平成15年度 博士論文要旨

論文題目:第二創業としての新市場進出とそのリスク・マネジメント

   ― 中国における「Image Golf School」の展開 ―

 

英文題目: Marketing and risk management for second-foundation

― Study for introduction of the Image Golf School in China ―

 

                 コース名 起業家コース

                     学籍番号 1048001

                  氏  名  大東将啓

                      Masahiro Ohigashi

内容の要旨

 

 近年、先進諸国における経済成長の減速の中、日本は長引いている不況に見舞われている。一方、経済の国際化が加速しているなか、中国は世界の工場から世界の市場へのなりつつある。このような時代の流れに順応し、世界経済秩序の変化をチャンスに、第二創業をよりグローバル的模索しようという考え方を基に、筆者は20009月から高知工科大学起業家コースにて第二創業をテーマとして研究を行ってきた。そして、3年間の研究と自らの実践を基に、本論文を完成した。そして、論文内容の要旨は以下の通りである。

 

研究の目的

筆者はアドバンス開発株式会社という住宅展示場の運営会社を経営していると同時に、ゴルフティーチングプロとして、ゴルフ練習場の経営にも携わってきた。しかし、日本の住宅産業とゴルフ産業は長期不況によるダメージは大きい。筆者は本業のコンサルティングサービス業とゴルフ産業から蓄積した経験に、起業家コースでの研究を加えて「Image Golf School」の中国での展開をビジネスモデル化することを本論文の目的としている。

現在までに中国に進出した企業数は数多く存在する。大企業に留まらず中小零細企業に至るまで、その数は統計上の数字に表れないところに至るまで存在すると考えられる。しかし、欧米企業と違って、市場としての中国に対する認識が薄く、その多くは、いわゆる『ユニクロモデル』と言われるところの安い労働力を生かした生産工場としての位置付けがほとんどである。本論文では、市場としての中国を重要視し、中国における産業高度化の進展にあわせて、サービスシステム、管理システムの輸出を内容とするサポートマネジメント業の中国での創立を研究テーマにしている。これによって、一方、今までの『ユニクロモデル』以降の新しい形での中国進出モデルの可能性を追求する。さらに、中国でゴルフ市場を研究分析し、上海でのゴルフスクールビジネス実践を通じて、社会主義市場経済下でのサービス産業のあり方を提言する。他方、日本国内で斜陽産業化してきた住宅産業に従事して、企業存続のための残された選択としての第二創業を研究実践することが、高知工科大学起業家コースの果実であると考える。また、中国沿岸地域の地方政府自治区の多くは、税金特例等の各々の優遇事例を提示して、外資の投資、工場誘致や合弁事業等に熱心である。しかし奮騰する中国経済とは裏腹に、事業に失敗して撤退を余儀なくした企業の例も枚挙に遑がない。本論文では、中国進出の成功例と失敗例を検証して、その違いを分析してリスク管理手法を提言する。これにより今後の中国進出企業への助けとなるものと期待できよう。

 

研究の視角

本論文は以下の3つの視角から分析を行っている。第一は、第二創業による事業推進の理論とリスク・マネジメント理論の視角である。経済のサイクルが大きく短くなった現代では、起業よりも、第二創業による事業の推進効果が注目されてきた。本論文はまずこの第二創業とリスク・マネージメント理論の発展の視角から、「Image Golf School」の中国での展開の可能性を理論的に検討する。第二は、新市場としての中国におけるゴルフ産業化の可能性の視角である。ゴルフ産業化の理論と世界ゴルフ産業発展の歴史を根拠に、中国におけるゴルフ産業化の条件を検討し、さらにゴルフスクールの展開の可能性と必要性を究明する。第三は、ケーススタディーとして、「Image Golf School」というビジネスモデルの視角である。筆者はコンサルティングサービス業とゴルフスクール産業での実践を基に、「Image Golf School」の構想を形成し、その実態も完成させている。最後に、それを中国の事情に適応できるようなモデルまで完成させる。

 

研究の独創性と意義:

筆者は20年にわたり米国でのゴルフスクールビジネスを研究してきた。米国プロゴルフ協会(Professional Golfers’ Association of America)のビジネスプログラムに幾度となく参加してきた。またTeaching & Coaching Summit にも参加した。米国ゴルフ財団主催のTeaching & Coaching Seminar では、日本人ティーチングプロの参加者のためにコーディネーターとして通訳を担当してきた。また米国を中心としたゴルフスクールビジネスを取りまとめたものを、日本の市場に導入してきた経緯がある。そして、社団法人全日本練習場連盟の指導委員長として指導者を教育する仕事をしてきた。これらの研究と経験は本研究の独創性をもたらした。

筆者は、1987年の日本ゴルフ学会発足当時からその設立にかかわり、研究発表も重ねてきた。ゴルフスクールビジネスに関する研究は、技術研究に比べて数少ない。その意味では、ゴルフ界に於いてスポーツ経営学の持つ意味は大きく、今後の研究が必要とされている。特に中国市場に対してのゴルフ産業論に関する研究は皆無に等しい。本論文では、中国語のゴルフ専門誌や雑誌も含めて文献研究も重ねてきた。また中国ゴルフ協会の秘書長である崔志強氏をはじめ、世界最大のゴルフ規模を誇るミッションインゴルフクラブの会員部主任の方孝元氏、上海大都会ゴルフ倶楽部の総経理である王亜明女史、広告代理店BBDOの上海支店マネージャーの除振伜氏と黄健氏、中国人女子プロ第一号者の葉莉英女史、男子プロの朱プロ、上海光明ゴルフ倶楽部の総裁である段康滋氏、総経理の原田行氏、上海太陽島国際ゴルフ倶楽部の副総経理である張玉英氏他、多くの人々からインタビューをすることができ、その内容が本研究の独有の実証資料となっている。

また、米国のゴルフスクールビジネスについても、トップ100ティーチングプロを中心としたプロ達にインタビューを実施してきた。それら有名なティーチングプロから学んだものを体系化して研究してきたものは、すべて独自な試みである。

 

論文の構成と内容

本論文は8章から構成される。具体的に以下の通りである。

 第1章は研究の背景、目的、意義と概要を説明したものである。

 第2章は第二創業による事業推進の理論である。この章では、現代の起業形態の発展と日本における起業実態を研究し、その特徴から第二創業の台頭の必然性を明らかにしていく。さらに、第二創業による事業推進の理論的根拠とその優位性を、理論分析の展開と実例による実証の展開といった二つの側面から究明していく。

 第3章は第二創業における危機管理とリスク・マネジメントの理論である。この章において企業における危機管理理論とリスク・マネジメントの理論を基づき、新しい経営環境の中で第二創業におけるリスクの発生と特徴を究明し、そのヘッジの方法を模索していく。

 第2、3章の理論をもとに、第4章から異分野・新市場進出による第二創業の事例考察を行う。第4章は現実における第二創業の必要性に関する検討を重点としている。この章において、本業としての住宅展示場事業を事例として、その変遷と現状についての分析通じて、現状の厳しさを明らかにし、現実的に第二創業の必要性を明らかにしたい。

 第5章は異分野としてのゴルフ事業をテーマに、ゴルフ産業発展の歴史及び日本ゴルフ産業の現状についての分析を通じて、ゴルフ産業の行方を追及し、中国への進出の意義を解明していく。

 第6章は新市場としての中国についての考察を内容とする。中国の改革開放の推移と現状についての検討を通して、その特徴を明らかにし、第二創業の拠点として選択する根拠を見出す。

7章において、中国におけるスポーツ政策の変遷による中国ゴルフ発展とゴルフ産業化の歩みを分析し、その発展の前景を予測し、本論文の結論としての「Image Golf School」導入の可能性、必要性とその適応性を見出て行く。

 第8章は「Image Golf School」構想の形成過程と沿革を説明し、中国での適応性を検討し、「Image Golf School」の中国展開による第二創業ビジネスモデルを具体化する内容となっている。

 

本論文の結論

本論文において、明らかのしたことは、以下の3点にまとめる。

以上第1章から第8章まで、第二創業としての「Image Golf School」が中国における展開を、第二創業の理論研究と事例考察の二つの側面から分析を行ってきた。ここでは、全文を総括して、明らかになってことを以下の三点にまとめる。

第一に、第二創業による事業推進の理論及び第二創業におけるリスク・マネジメントの理論についての研究を通して、第二創業が企業を存続させ、活性化するための有効手段であることが明らかになった。

起業論やベンチャーリングに関する理論の先行研究や第二創業の成功事例から、第二創業によって、経営の自由度を向上させ、事業の複合化によるビジネスチャンスの拡大及び多角化の派生効果などの第二創業による事業促進の優位性が証明できる。それと同時に、第二創業の成功要因として、資本集約度が低く且つ成長産業への参入、技術ノウハウの保有、競争相手と差別化された商品の扱いなどが明確である。こういった成功要因を取り揃えることが第二創業の成功率を高くする。それと同時に、第二創業が企業経営過程における一種のリスクヘッジ手段である当時に、第二創業に独特のリスクも存在するため、そのリスク・マネジメントも必要である。

第二に、「Image Golf School」の中国における展開の事例研究を通じて、第二創業として、スポーツコンサルティングサービス事業としての「Image Golf School」が新市場の中国への進出の可能性と実行性を論証した。

長引く日本経済の不況のなかで、特に日本住宅産業の落ち込みを背景に、筆者の本業である住宅展示場事業は非常に厳しい局面を迎えている。対策として、筆者のゴルフティーチングプロとしての経験や技術ノウハウを生かし、IT技術を活用する新型ゴルフスクールを構想した。一方、経済が世界規模で動いている現在、第二創業の拠点も必ずしも日本国内に限ることはない。むしろ、ここ十数年間に飛躍的な経済成長を遂げてきた中国にはその市場がある。急速に発展している中国において、スポーツの産業化が急速に進んでいるにつれて、ゴルフ産業化も動き出したところである。そのなかで、中国のゴルフ産業化によって、スポーツコンサルティングサービスに対するニーズは非常に大きい。このような事情はまさしく「Image Golf School」の市場を生み出している。このような成長産業である中国スポーツサービス産業への進出は市場の面からみて成功率が高い。

第三に、第二創業としての「Image Golf School」のモデルはシステム・ソフトの輸出モデルである。日本は中国への進出において、物づくりを行うことによるコストダウン型の「ユニクロ型」が主流であった。しかし、現在「もの」の交流(物の輸出や現地生産)より、日本企業のノウハウの活用による「こと」の交流への方向転換が、今後中国と日本のビジネス交流の方向性である。その代表的なものとしてコンサルティングサービスやスクールの展開などの市場がある。「Image Golf School」はまさしく、日本のゴルフスクールのノウハウ、日本のコンサルティングサービスのノウハウを活かし、ゴルフ技術をゴルファーに教えるだけではなく、スポーツライフスタイルの提供も行う総合的なシステムの輸出である。当然、国際経営上の視点として、文化や商慣習等の違いからビジネスモデルの修正を余儀なくされることもあると思われる。この論文の中で見てきた第二創業の実例からも実証されたように、絶え間ないイノベーションを企業活動のなかで実行していくことも非常に重要であると考える。

この「Image Golf School」の事例研究が今後の日本企業存続の一スタイルの提案となることを期待している。

 

 

平成15年秋修了

博士(学術)学位論文

 

 

第二創業としての新市場進出とそのリスク・マネジメント

−中国における「Image Golf School」の展開−

 

Marketing and risk management for second-foundation

Study for introduction of the Image Golf School in China

 

 

 

平成15年6月27日

高知工科大学大学院 工学研究基礎工学専攻 起業家コース

学籍番号1048001

大東将啓

Masahiro Ohigashi

 

目     次

 

 

はじめに

 

1章 研究の背景、目的、意義と概要----------------------------------------------8

1.1         研究の背景

1.2         研究の目的

1.3         研究の意義

1.4         研究の視角

1.5         論文の構成と内容概要

 

第2章      第二創業による事業推進の理論-----------------------------------------------13

2.1       現代の起業形態の発展

2.1.1        現代の起業形態

2.1.2        日本における起業形態の変化と現状

2.2       第二創業の定義と類型

2.2.1        第二創業の定義

2.2.2        第二創業の類型

2.3       実例から見る第二創業の優位性

       2.3.1 経営の自由度を手に入れる

2.3.2        変化に応じて業態の複合化

2.3.3        多角化の派生効果

2.3.4        業態革新によって市場を打開する

2.3.5        協業によって、時代のスピードについていく

2.4             実例から見る第二創業のタイミングと着眼点

2.5             第二創業の成功要因に関する研究

2.5.1        創業に必要な要素

2.5.2        第二創業の成功の鍵

―製品やサービスのアイディア―

2.5.3        競合相手との差別化

―カール・ヴェスパー氏の顧客特性の分析理論―

              

第3章      第二創業におけるリスク・マネジメントの理論-------------------------35

3.1       企業における危機とリスクの理論

3.1.1        危機の定義

3.1.2        リスクの定義

3.1.3        リスクの側面とその分類

3.1.4        企業の発展とリスクの変化

3.2       企業のリスク・マネジメント理論

3.2.1        リスク・マネジメントの定義

3.2.2        リスク・マネジメントの形態の類型

3.3       企業経営環境の変化とリスク・マネジメント

3.3.1        経営環境の変化によるリスクの変化とリスク・マネジメント

3.3.2        経営環境変化によるリスク・マネジメント内容の変化

3.4       第二創業におけるリスク・マネジメント 

3.4.1        第二創業におけるリスク・ヘッジ効果

3.4.2        第二創業に伴うリスク・マネジメント

 

4章 住宅展示場事業のケース・スタディーからみる第二創業の現実的必要性------63

4.1 本業としての総合住宅展示場事業

4.1.1 総合展示場事業とは

4.1.2 総合展示場事業を展開するアドバンス開発株式会社の沿革

4.1.3 全国総合展示場事業の現状分析

4.2 日本住宅メーカーの展示場への出展意欲の変化とその原因

4.2.1 住宅メーカーの展示場への出展事情の変化

4.2.2 展示場への出展意欲の変化

4.2.3 住宅メーカー出展意欲低下の要因

4.3 第二創業の視点

 

第5章      第二創業進出分野としてのゴルフ事業--------------------------------------74

5.1       ゴルフ事業を第二創業の進出分野にした背景

―「Image Golf School」構想の形成過程―

5.2 経済発展に密接に連動する日本ゴルフ産業の歴史

5.2.1 英国人によって舶来したゴルフ

5.2.2 日本人のためのゴルフ場の誕生と大衆化への展開

5.2.3 戦争による打撃を乗り越えて、国民スポーツへの道のり

5.2.4 バブル経済とその崩壊のゴルフ産業への影響

5.3 日本のゴルフ産業の現状

5.3.1 統計からみるゴルフ産業

5.3.2 ゴルフ場数が微増している数字の裏

5.3.3 ゴルフ練習場とゴルフ場のマーケットの関係

5.4 マーケットからみるゴルフ産業の行方         

 

第6章      新市場としての中国からみる中国における第二創業の根拠-----------88

 

6.1 中国改革開放の推移と現状

6.1.1 計画経済から市場経済への軌跡

6.1.2 開放政策の推移

6.1.3 外資導入の展開

6.1.4 開放と外資導入の結果

6.1.5        沿海部のダイナミズムとその影響

 

6.2 市場としての中国

6.2.1 変貌した中国のポイント

6.2.2        購買力向上による巨大な個人消費市場の形成

 

第7章       中国におけるゴルフ産業化からみる第二創業の現実性------------106

      7.1 中国におけるスポーツ政策の変遷

7.1.1 中国におけるスポーツの位置付けの推移

7.1.2 中国におけるスポーツ体制の変遷とスポーツ社会化政策への転換

7.2 中国ゴルフの発展歴史

           7.2.1  中国ゴルフにおける段階的な発展

           7.2.2  ゴルフブーム発生の要因

7.3  中国ゴルフの現状と問題所在

7.3.1 中国ゴルフ場の特徴

            7.3.2 中国ゴルフの問題所在

7.4  中国ゴルフ産業化の進展の可能性

7.4.1 ゴルフ産業化の理論根拠

                        7.4.2  中国今後の経済成長余力

 

8章「Image Golf School」の中国展開による第二創業---------------------124                                             

8.1 上海大都会ゴルフクラブとの業務提携

8.2 「Image Golf School」の特徴と中国への適用の可能性

    8.2.1 「Image Golf School」及び従来のゴルフスクールの特徴

    8.2.2 「Image Golf School」の中国への適応性の分析

8.3 「Image Golf School」の起業形態

8.4 「Image Golf School」のイノベーションとコア・コンピタンス

8.5 「Image Golf School」のリスク・マネジメント

 

結論-------------------------------------------------------------------------------------------145

 

謝辞

 

主要参考文献

 

付録1.IGSマニュアル集-------------------------------------------------------------152

 

付録2.ティーチングプロインタビュー集----------------------------------------242

 

付録3.ゴルフスイングチェックポイント集-------------------------------------265

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はじめに

 

高知工科大学大学院の起業家コースに入学し、第二創業を研究テーマとして、今回の博士論文を作成するまでに至った。この論文を完成するには、筆者のアメリカ留学の経験も貴重な役割を果たしている。

筆者は1981323日、2日前に同志社大学の卒業式を終え、アメリカダラス大学大学院への留学を開始した。そして、19838月、筆者はダラス大学大学院経営修士課程(MBA : Master of Business Administration)を修了し、オハイヨ州シンシナティーに本社がある、プロクター&ギャンブル社にシステムアナリストとして採用された。80年代当時は、日本企業がアメリカ市場を圧巻し、各企業が『カイゼン』『カンバン』など日本的経営手法を導入する事に懸命だった。また日本式の『終身雇用』『年功序列』等のシステムも研究されていた。そんな中でトム・ピータース著の『エクセレントカンパニー』は、計量的分析を中心とする従来の経営論に異議を唱え『人間の想像力』の重要性を強調した。その著書の中でマーケティングに特出したとされていたプロクター&ギャンブル社で、管理情報システム(MIS : Management Information System )という自分の専攻と自分の可能性を生かせると考えたのである。 

現在、毎日の新聞、雑誌テレビ等を通じてIT:Information Technology の言葉を目にしないことがない。幸い筆者は、MISの領域を20年前の大学院での研究から始まり、プロクター&ギャンブルでの経験を通じて、その後の自らの経営管理手法として生かすことができて、住宅展示場の運営を主な事業内容とするアドバンス開発株式会社の経営をおこなってきたのである。

筆者が、アメリカの大学院で学んだ時のケース・スタディーは、日本企業の躍進振りやアメリカ進出を紹介するものが多くあった。しかしバブル崩壊以降、日本経済の低迷は長く続いており、中小企業の苦しみは色々な経済指標に出てくる数字以上に深刻な状況である。その中で中小企業の復興なくしては、日本の復興はありえないであろう。また、本業である住宅展示場の開発・企画運営ビジネスの先行きの問題を抱えて『第二創業』として中国を新市場と位置付け『ベンチャー精神』で挑戦することが、リーダーシップ論等中心として高知工科大学の起業家コースで学んだことを実践出来ると考えた次第だ。2000年に高知工科大学の起業家コースに入学し、筆者にとって第二創業に欠かすことの出来ない、起業論・リーダーシップ論・リスクマネジメント・国際経営論・マーケティング論等を学ぶことが出来た。それと同時に本学の入学を勧めてくださった辻正夫氏(本学起業家コース修士課程修了)の繋がりで、中国という新市場へのネットワークを構築する機会を得た。まさしく高知工科大学が取り持つ縁を頂き、今回の論文をまとめると同時に、事業展開をするという一石二鳥の恩恵を被ったこととなる。

また、筆者は、日本で唯一の『プロゴルファー兼プロの通訳家』として、通訳、翻訳、インタビュー等を通じて、米国を中心に100人を超えるティーチングプロと接する機会に恵まれた。また日本人プロゴルファーの米国でのツアー参戦支援、ティーチング&コーチングセミナーのコーディネート、日本での米国ゴルフスクール展開等、日米ゴルフ界の橋渡し的な仕事に携わってきた。さらに、社団法人全日本練習場連盟の指導委員長として、指導者達を指導教育する立場として、スクールビジネスに携わって来た。これらの経験を生かして、今後発展が期待される中国のゴルフ界を研究し、ゴルフスクールビジネスの展開を通じて、『日中ゴルフ界の橋渡し的』仕事をすることにより、日中両方のゴルフ界の発展に寄与出来るものと確信する。 

この論文が、第二創業・サービス産業の輸出の一例となり、再び日本経済が蘇ることへの示唆となれば幸いである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第1章       研究の背景、目的、意義と概要

 

1.1       研究の背景

本研究は筆者が多年にわたる学術研究と社会経験の中で得た研究業績をもとに、高知工科大学大学院起業家コースで起業論・リーダーシップ論・リスク・マネジメント・国際経営論・マーケティング論等を加え、学術的、実践的に研究をした成果をまとめたものである。

本研究のテーマは『第二創業としての新市場進出とそのリスク・マネジメント −中国における「Image Golf School」の展開−』である。このテーマを研究する直接のきっかけは高知工科大学大学院起業家コースに入ったと同時に、仕事上中国と関係を持つようになったことである。さらに、その背景には次の3点を挙げることが出来る。

@日本経済の落ち込み。2001年度のわが国の国内総生産(GDP)5026,138億円、経済成長率は名目マイナス2.5%、実質マイナス1.2%となりった。実質経済成長率は、98年度以来3年ぶりのマイナスとなり、マイナス幅も98年度(0.7%減)を上回り、統計上比較を可能とする80年以降では最大幅を記録した。また2002年度のGDP4994,439億円となり、1994年以来8年ぶり500兆円の大台を割った。

A中国経済の飛躍的発展。中国経済は発展が著しく、国内総生産額では2001年に約124兆円に達し、米国、日本、ドイツ、フランスについで既に世界第5位の規模にまでなった。ここ5年間のGDPの伸び率でも7%以上を維持しており、今後も高い水準での成長が期待されている。中国政府は、第105ヵ年計画において2001年から2005年の経済成長率を年平均7%に設定している。2010年のGDP2000年の約2倍の125,000億元とすることを目標としている。15年後には日本を追い越す可能性があるといわれている。

また、中国貨幣の元がその国内での使い出に比べて過小評価されており、円は逆に過大評価されていると考えられる。使い出を示す購買力平価で見ると中国の経済規模は、すでに日本を少し上回りアメリカに次ぐ勢いを持ち、中国には膨大な潜在市場が存在していると考えられる。

B日本ゴルフ産業の落ち込みと中国産業高度化の持続的進展によるスポーツサービス産業化の展開。

バブル崩壊後、日本ゴルフ産業の落ち込みは深刻である。筆者は、本業ではないが、PGA(日本プロゴルフ協会)の一員として、携わってきた日本ゴルフ練習場事業の停滞にも懸念を抱かずにいられない。1993年から、日本男子ゴルフツアーのトーナメント数は年々減少し、2001年に90年代の年40試合から30試合まで減少した。さらに、ゴルフ場の倒産も相次ぎ、2002年度では108のゴルフ場の倒産と過去最高の数字となったことが発表された。[1] 同様に練習場の数も1993年から年々減少しているという現状である。

一方、中国において、経済の発展を背景に、2008年の北京オリンピックという大きなイベントも控え、国民はスポーツ事業に対する関心が高まりつつある。スポーツ産業の発展は今までない絶好の時期を迎えているといえる。日本の26倍もの国土と10倍以上の国民を有する中国において、今後ゴルフ産業が成り立つ期待は大きい。現在中国では、既に130のゴルフ場が一気に建設され、まだ60のゴルフ場が開発中である。[2] 

 

本論文では、起業・第二創業に関する先行理論の研究からはじまり、筆者の本業である住宅展示場事業と携わっているゴルフ練習場事業を事例研究とし、中国経済全般からゴルフ市場の研究までの考察を踏まえて、社会主義市場経済下でのスポーツサービス産業化の可能性を模索すると同時に、上海大都会ゴルフ練習場でのゴルフスクールビジネスの展開という、中国新市場への進出を内容とする第二創業の実践に役立つ研究を目指し、沈滞している日本経済の、そして中小企業再生のために一例を提言する。

 

1.2 研究の目的

現在までに中国に進出した企業数は数多く存在する。大企業に留まらず中小零細企業に至るまで、その数は統計上の数字に表れないところに至るまで存在すると考えられる。しかし、欧米企業と違って、市場としての中国に対する認識が薄く、その多くは、いわゆる『ユニクロモデル』と言われるところの安い労働力を生かした生産工場としての位置付けがほとんどである。本論文では、市場としての中国を重要視し、中国における産業高度化の進展にあわせて、サービスシステム、管理システムの輸出を内容とするサポートマネジメント業の中国での創設を研究テーマにしている。これによって、一方、今までの『ユニクロモデル』以降の新しい形での中国進出モデルの可能性を追求する。さらに、中国でゴルフ市場を研究分析し、上海でのゴルフスクールビジネス実践を通じて、社会主義市場経済下でのサービス産業のあり方を提言する。他方、日本国内で斜陽産業化してきた住宅産業に従事して、企業存続のための残された選択としての第二創業を研究実践することが、高知工科大学起業家コースの果実であると考える。

また、中国沿岸地域の地方政府自治区の多くは、税金特例等の各々の優遇事例を提示して、外資の投資、工場誘致や合弁事業等に熱心である。しかし奮騰する中国経済とは裏腹に、事業に失敗して撤退を余儀なくした企業の例も枚挙に遑がない。本論文では、中国進出の成功例と失敗例を検証して、その違いを分析してリスク管理手法を提言する。これにより今後の中国進出企業への提言を呈するものと期待できよう。

 

1.3 研究の意義

2001年に日本のゴルフ場誕生が100年を迎えた。日本において、ゴルフビジネスは、中村寅吉、小野光一プロがカナダカップの優勝した1957年をきっかけとした第一次ゴルフブームからはじまったと一般的に考えられるところである。その中で、本格的なゴルフスクールビジネスが日本で展開された時期と言えば、米国ゴルフ財団(National Golf Foundation)からのゴルフスクールシステムが導入された1985年以降となる。 

筆者は20年にわたり米国でのゴルフスクールビジネスを研究してきた。米国プロゴルフ協会(Professional Golfers’ Association of America)のビジネスプログラムに幾度となく参加してきた。またTeaching & Coaching Summit(米国プロゴルフ協会主催) にも参加した。米国ゴルフ財団主催のTeaching & Coaching Seminar では、日本人ティーチングプロの参加者のためにコーディネーターとして通訳を担当してきた経験を持つ。また米国を中心としたゴルフスクールビジネスを取りまとめたものを、日本の市場に導入してきた経緯もある。そして、社団法人全日本練習場連盟の指導委員長として指導者を教育する仕事をしてきた。これらの研究と自己が持つ経験は本研究の独創性をもたらすであろう。また中国市場での展開に関する研究は、更に新たな試みと言えよう。

筆者は、1987年の日本ゴルフ学会発足当時からその設立にかかわり、研究発表も重ねてきた。ゴルフスクールビジネスに関する研究は、技術研究に比べて数少ない。その意味では、ゴルフ界に於いてスポーツ経営学の持つ意味は大きく、今後の研究が必要とされている。

特に中国市場に対してのゴルフ産業論に関する研究は皆無に等しい。本論文では、中国語のゴルフ専門誌や雑誌も含めて文献研究を重ねてきた。また中国ゴルフ協会の秘書長である崔志強氏をはじめ、世界最大のゴルフ規模を誇るミッションインゴルフクラブの会員部主任の方孝元氏、上海大都会ゴルフ倶楽部の総経理である王亜明女史、広告代理店BBDOの上海支店マネジャーの除振伜氏と黄健氏、中国人女子プロ第一号者の葉莉英女史、男子プロの朱プロ、上海光明ゴルフ倶楽部の総裁である段康滋氏、総経理の原田行氏、上海太陽島国際ゴルフ倶楽部の副総経理である張玉英氏他、多くの人々からインタビューをすることができ、その内容が本研究の実証資料となっている。

米国のゴルフスクールビジネスについても、トップ100ティーチングプロを中心としたプロ達にインタビューを実施してきた。なかでも、デビット・レッドベター、ピーター・コスティス、ゲーリー・ワイレン博士、リック・スミス、デーブ・ペルツ、ボブ・トスキ、ブッチ・ハーモン、ジョー・ティール、ジャック・カーケンダル、モー・ノーマン、リック・マッコウード、ウォーリー・アームストロング、ジム・マックリーン、ボブ・ルーテロ博士、エド・コットレル博士、リン・マリオットなど、有名なティーチングプロから学んだものを体系化して研究してきたものは、すべて独自な試みである。

 

1.4       研究の視角

本論文は以下の3つの視角から分析を行っている。第一は、第二創業による事業推進の理論とリスク・マネジメント理論の視角である。経済のサイクルが大きく短くなった現代では、起業よりも、第二創業による事業の推進効果は注目されてきた。本論文はまずこの第二創業とリスク・マネジメント理論の発展の視角から、「Image Golf School」の中国での展開の可能性を理論的に検討する。  第二は、新市場としての中国におけるゴルフ産業化の可能性の視角である。ゴルフ産業化の理論と世界ゴルフ産業発展の歴史を根拠に、中国におけるゴルフ産業化の条件を検討し、さらにゴルフスクールの展開の可能性と必要性を究明する。第三は、ケース・スタディーとして、「Image Golf School」というビジネスモデルの視角である。筆者はコンサルティングサービス業とゴルフスクール産業での実践を基に、「Image Golf School」の構想を形成し、その実態も完成させている。最後に、それを中国の事情に適応出来るようなモデルまで完成させる。

 

1.5       論文の構成と内容

本論文は8章から構成される。

 第1章は研究の背景、目的、意義と概要を説明したものである。

 第2章は第二創業による事業推進の理論である。この章では、現代の起業形態の発展と日本における起業実態を研究し、その特徴から第二創業の台頭の必然性を明らかにしていく。さらに、第二創業による事業推進の理論的根拠とその優位性を、理論分析の展開と実例による実証の展開といった二つの側面から究明していく。

 第3章は第二創業における危機管理とリスク・マネジメントの理論である。この章において企業における危機管理理論とリスク・マネジメントの理論を基づき、新しい経営環境の中で第二創業におけるリスクの発生と特徴を究明し、そのヘッジの方法を模索していく。

 第2、3章の理論をもとに、第4章から異分野・新市場進出による第二創業の事例考察を行う。第4章は現実における第二創業の必要性に関する検討を重点としている。この章において、本業としての住宅展示場事業を事例として、その変遷と現状についての分析を通じて、現状の厳しさを明らかにし、現実的に第二創業の必要性を明らかにしたい。

 第5章は異分野としてのゴルフ事業をテーマに、ゴルフ産業発展の歴史及び日本ゴルフ産業の現状についての分析を通じて、ゴルフ産業の行方を追及し、中国への進出の意義を解明していく。

 第6章は新市場としての中国についての考察を内容とする。中国の改革開放の推移と現状についての検討を通して、その特徴を明らかにし、第二創業の拠点として選択する根拠を見出す。

7章において、中国におけるスポーツ政策の変遷による中国ゴルフ発展とゴルフ産業化の歩みを分析し、その発展の前景を予測し、本論文の結論としての「Image Golf School」導入の可能性、必要性とその適応性を見出して行く。

 第8章は「Image Golf School」構想の形成過程と沿革を説明し、中国での適応性を検討し、「Image Golf School」の中国展開による第二創業ビジネスモデルを具体化する。上記のような内容を踏まえて進めていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第2章           第二創業による事業推進の理論

 

 近年長引く不況の日本経済の中、「第二創業」という言葉をよく耳にする。しかし、「第二創業」が、今までの起業論において、独立して研究されたことのない概念である。最近、「第二創業」が盛んになったのは、やはり日本企業が何らかの不況脱出の方法を模索し、激しい競争のなかで勝ち抜こうとする努力の現れであろう。

 厳密にいえば、「第二創業」も「起業」の一種である。18世紀後半イギリスで始まった産業革命は、やがて世界に波及した。また、産業革命に誘発され、起業ブームが起こったといわれている。それから約二百数十年経って、「起業」は本質的には不変であるが、色々な形式で進化してきたのである。その中に、近年の日本では、「第二創業」が企業にとって、存続するための重要な方法となった。この章において、「起業」と「第二創業」という二つの概念について、その異同と関係を究明していく。そして、なぜ今「第二創業」が必要なのか、「第二創業」による事業推進の理論を展開していく。

 

2.1 現代の起業形態の発展

2.1.1 現代の起業形態

 近代社会において、世界中の起業家達は、事業を起こし、新製品を生み出し、産業の効率化を増進させ、さらに新しい産業の創出をもたらすまでいたるケースも少ない。その結果、今の社会の発展があったのである。

 日本でも、多くの起業家は人類の進歩に貢献してきた。ソニーの井深大・盛田昭夫や本田技研工業の本田宗一郎といった起業家がまさにそのような歴史的な貢献を果たしたといえる。

 今日の大企業も、すべて起業家の手によって創出され、小さな企業からスタートしたものである。そして、その企業が時代の流れに順応し、顧客のニーズに合致することができれば、富を蓄積し、次の世代に引き継ぐ大きな企業に発展したわけである。

そこで、起業の理論を把握するために、まず現代起業の形態を見てみることにしよう。その分類は概ね次の三種類ある。

第一に、ベンチャー型。これは従来の起業であり、起業のプロト・タイプと呼ばれるものである。これは基本型であり、いわゆる企業の創設者型である。特に有名なものは米国のフォードである。現在ブームとなっているSOHOによる起業やITを利用した起業はこのタイプのものが多い。松下、ホンダなど多くの日本企業の企業はこのタイプに属している。

第二に、チャンドラー型。企業の発展と戦略の組織の研究で著名なMITの経営学者チャンドラー(Alfred. D. Chandler が、彼の名著と言われる“Strategy and Structure で言うEntrepreneur(起業家)型である。チャンドラーの定義によると、「企業が進歩するために、環境変化に対応するために大きな変革をする経営者をEntrepreneurといい、その大きな変革が一種の起業である」とチャンドラーは考えている。使える経営資源を割り付ける経営者は企業におけるキーマンである。そしてこの経営者の役割が企業の盛衰を決定的にするのであるが、ここではこの役割をEntrepreneurと呼ぶ。これに反して、ただ単に与えられた方法で、調整をし、評価をし、企画する人々はManager(マネジャー)と呼び、起業的な決定や行動は企業全体の経営資源の割付や再割付に影響するものを指すものである。注意すべきことは、起業からあるいは一定の時期、順調に発展してきた企業が、大きな曲がり角に直面する例が多々ある。最近の例では我国のダイエー、米国では過去にフォードの例が有名である。これらに見られるように、困難を克服し、企業が進化するためには、この経営者のEntrepreneur(起業家精神)が大切だといわれている。これは企業の進化発展のために、時代の流れをつかみ、時代のニーズに合う変革を起こし、発展を遂げるタイプである。

第三に、企業内起業型。このタイプの起業は米国のビジネスコンサルタントのGifford Pinchot1985年に“Intrapreneuring”という著書で定義したものである。彼は、「ビジネスばかりではなく総ての組織は存在意義のために、確たる競争力(Core Competence)を持たなければならない。それはイノベーションである」という思想から、「起業が必要なのは個人よりもむしろ、組織なのだ」として、組織内の起業化、組織的起業化を提唱したのである。この考え方は、Druckerの思想の影響を述べているが、その底には日本の企業内起業化の影響があると考えられる。基本的には現代はInnovationが極めて速く行われることが必要で、そのためには個人で出来る範囲を越えて、組織的に、また、市場対策等も行われなければならない。そこに現代の組織の競争力が創生されると言うのである。

一般論としてInnovationに必要な事項は次の5つの項目であると言われている。

@    アイディア Aタイミング B起業家 C資金 D遂行する人々、だという。

これらの5項目を個人や少数の人々がやり遂げることは極めて難しい。そこで、組織的な取り扱いが必要だとするものである。特に、Pinchotは一般のベンチャーキャピタリストは“I’d rather have a class A entrepreneur than a class B idea than a class A idea with a class B entrepreneur” (アイディアは優れていても起業家が並の場合よりも、アイディアは並でも起業家が優れている場合が良い)としているといっている。このことは起業システムの良否が現実の起業化の成否に直結するのである。

その典型的な例として、NTTという組織内で新規事業を成功させた「iモード」のNTTドコモの例を挙げることが出来る。

2.1.2 日本における起業形態の変化と現状

 戦後日本の起業は今日までの軌跡を見ると、上述の起業形態の第一のタイプ(ベンチャー型)から、第二のタイプ(チャンドラー型)、第三のタイプ(企業内起業)への変化がみられる。さらに、第二、三のタイプはゼロから創業よりも、再創業という「創業の繰り返し」の特徴、後述の「第二創業」とは共通点をもっている。

また、起業に際して、事業内容からみれば、概ね三世代の展開があったと言われている。それは、以下の通りである。

第一世代の起業形態は、物づくり系ベンチャーであり、その代表としてソニー、本田、京セラ、カシオなどなど挙げられる。これらの起業の成功は日本の高度成長を支えたと評価出来る。第二世代の起業形態は、サービス系ベンチャーである。その代表はパソナ、HIS、ドトール、NOVAなどが挙げられる。そして、第三世代の起業形態はソフトバンク、アスクル、楽天などを代表とするEビジネス系のベンチャーである。これらのベンチャーも日本経済の活発化を促進していると言える。

バブルの崩壊は、日本の起業事情に想像以上に大きな影響をもたらしている。

大型倒産が相次ぎ、リストラがほぼすべての企業において行われている。完全失業も最高記録を更新している。こうした状態の中、1995年、当時の通産省は「中小企業創造活動促進法」を実施し、新たなベンチャー企業の創業による経済の活性化に乗り出したが、現実は依然として厳しい。日本経済の活力の源泉は中小企業である。ところが、近年の開廃業率の低下を背景に、中小企業はもとより我が国経済の活力の減退までもが懸念されている。

 

図表21 開業率と廃業率の変化の比較


     出所:総務省統計局『事業所・企業統計調査』を基に、加筆作成。

 

 

 


図表21が示すように、期待し見ていた最近の開業率でも、伸び率は2000年に小幅2.7%から3.5%までに留まっている。反対に、不況の影響もあって廃業率の増加は3.2%から5.6%までに昇り、開業率の増加を大きく上回ってしまった。このような傍証から、起業の難しさを伺うことが出来る。そこで、第二創業がだんだん脚光を浴びるようになってきた。

一方、戦後、ものづくりとか小売業、卸売業、サービス業といった伝統的なビジネスモデル企業は今、勝ち組と負け組に二極化している現象が表面化してきた。平成11年国税庁の統計で、日本には、270万社の企業があり、休眠企業を除くと250万社くらい会社がある。このうちの72%が赤字の状態にある。黒字はわずか28%であった。ところが30年前は、7割が黒字で、3割が赤字という正反対の割合であった。それは、伝統的な経営方式では「負け組」に入ってしまうことを意味している。したがって、「勝ち組」になるために第二創業を試みる企業も多くなってきた。

 

2.2 第二創業の定義と類型

 長引く不況を背景に、事業をいかに継続・発展させていくかが、中小企業にとって大きな課題となっている。その一つの方法として、第二創業が注目を集めている。特に、中小企業が事業を継続していく方法として、第二創業がきわめて重要と指摘、積極的に支援していくことを求めている。

 もちろん前述のように、ゼロから新しく創業するための環境条件や物的・人的条件を整えることの難しさが、第二創業への追い風になっている。しかし、第二創業が盛んになりつつあるもう一つ重要な要因は、日本企業の組織そのものの特徴である。これについて、スタンフォード大学教授今井賢一氏は、第5KSP国際フォーラムにおいて以下のように指摘した。

「日本企業の伝統的な組織は非常に緻密な組織である。しかし、技術が複雑化し、時代が激しく変化しているなかで、それらの組織は長い時間を経過して、だんだんと疲労してきている。現実には問題が複雑になりすぎて、従来の組織のなかではもはやうまく調整ができなくなってしまった。したがって、組織の中の人材も、自分の能力を充分に発揮できないという状態になっている。つまり仕分けしてやる必要がある。その一つの方法は第二創業になるわけである」[3]

 以上のようなことを踏まえて、この節では第二創業と類型を検討していく。

 

 

 

2.2.1       第二創業の定義

 第二創業は基本的に起業の一種であり、厳密に言えば、ベンチャーの一種である。また、「第二創業」という言い方自体は近年盛んに議論され、注目された概念である。それについての研究はまだ本格的ではないため、その定義も明確的かつ統一したものではない。以下挙げるのはアメリカベンチャー研究で有名な学者、ワシントン大学教授カール・ヴェスパー氏の研究と経済産業省の見解である。

(1) カール・ヴェスパーの理論

 カール・ヴェスパー教授は、著書『ニューベンチャー』のなかで、連続して起こる起業を「第二事業」の理論と展開している。ここに挙げている「第二事業」を第二創業と見なすことが出来ると考える。

 カール・ヴェスパー氏は「ベンチャーの連続」という理論を提起した際、起業家を2種類にまとめている。それは「スタート型」と「ランナー型」である。すなわち、「スタート型」の起業家は同じ分野において起業を繰り返す「類似のベンチャーの連続」を実行するタイプである。それに対して、「ランナー型」の起業家は、事業の成長に従って必要とされる新しいスキルを身につけることができ、異なった管理スタイルへの要求にも適応していくことが出来る「第二の事業」を起こす。[4]

 つまり、カール・ヴェスパー氏は上述のような「ランナー型」起業家によって、新しいスキルを用いて、新しい管理スタイルによって、新しい事業を起こす行為を第二創業と考えるのである。 

(2) 経済産業省の定義

 企業が置かれている環境はここ数年で劇的に変化している。空前のバブル景気から長引く平成不況へ陥った。俗に「企業30年」という仮説もあるが、近年そのサイクルも短くなっている。それがゆえに、目まぐるしく変化するニーズに素早く対応出来ることが「勝ち組」の条件となるといえよう。そのために、起業より、第二創業は最適な手段であると考えられる。

 第二創業という言葉の明確な定義はないが、経済産業省中小企業庁の「事業承継・第二創業研究会」の中間報告(平成138月)によると、次のような記述がある。「既存の企業が持っている経営資源を活かし、新たな事業に進出、事業を大きく発展・変革させること」を第二創業と定義付けている。中間報告のなかで、『事業体の維持・発展の観点からは、既存の事業体が、従前の事業を円滑に維持すること(狭義の事業承継)のみならず、新たな技術や市場に進出して事業を大きく発展・変革させること(第二創業)も極めて重要である』と指摘している。
 すなわち第二創業とは、(1)事業承継を契機とした新事業への取り組み、(2) 新たな市場への進出、新たな商品・サービスの提供等を通じた経営革新、(3) 異業種への進出、業種転換等での新事業へのチャレンジなどを表す。

そして、いろいろな価値観が変化し、将来が不透明であるといわれている昨今、「昨日と同じことをやっていてはいけない。明日に向かって新たな取り組みをしていかなければならない」との認識は深まってきている。BPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)といわれる抜本的な業務改善も視野に入れて、積極果敢に業務改善や経営革新を進めていくことにより、勝ち残っていくことが第二創業の真髄であろう。
 ちなみに、中小企業経営革新支援法に基づく経営革新計画の策定にあたり、経済産業省は「新たな取り組み」を、(1) 新商品の開発または生産、(2) 新役務の開発または提供、(3) 商品の新たな生産または販売の方式の導入、(4) 役務の新たな提供方式の導入を定義した。

 

2.2.2       第二創業の類型

 上述のように、第二創業は一般的に「新分野進出」、「新事業開拓」であり、経営の安定化やさらなる発展を図るため、戦略的に新たな柱の一つとなる事業としてとらえられる。しかし、一口に第二創業と言っても、そのアプローチ方法はいくつかに分類出来る。その類型を以下の5つにまとめたい。

@新しい分野へ展開する「再創業」型第二創業。生きものは新陳代謝をしなくては生きていけない。しかし、その生きものにもいつか「死」が訪れる。企業もまた生きものである。企業はしかし、「第二、第三の創業」を意識的に行なっていくことで、絶えざる新陳代謝が可能になる。つまり、創業の繰り返しによって、進化していくことで「死」を免れる。

 この類型の例としては、ユニフォームメーカーの株式会社ジーベック(広島県・府中市)を挙げたい。同社の広島県府中市は備後かすりの産地にあり、前身の後藤被服(1948年創業)は、かすり問屋に生地を卸すのが仕事であった。しかし、時代の流れで地場産業のかすりが衰退し、60年代後半に思い切ってユニフォームの製造に業種転換した。地場産業の衰退が言われて久しいが、その打開策として業種転換を行なった企業も少なくない。しかし、成功した企業はそう多くはない。60年代後半にはファーストフード、ファミリーレストランなどの外食産業、大手スーパーチェーンなどが急速に店舗数を拡大していった時期である。ユニフォーム需要の将来性を、こうした時代の流れから読み取ったことにジーベックの業種転換が成功した最大の理由がある。もっとも、同社の後藤社長によれば、ユニフォーム製造業への転身にはもう一つの必然性があったという。「広島市は戦前、戦中はいわば『軍都』で、軍服をつくっている会社もこのあたりには結構ありました。軍服もユニフォームですから、そうした流れの中に現在の事業を位置付けることもできます」と語った。ひとことで言えば、「土地柄」ということなのかも知れない。とはいえ、戦後生まれの企業で、しかも業界でトップクラスにまで成長したのは、170社(地元の被服組合加入企業)ある地元企業の中でも同社だけというのはやはり注目に値する。土地柄ということでついでに言えば、周辺にはユニフォームメーカーが集まっているために「東京よりもむしろ情報は入手しやすい」(後藤社長)。したがって、地方ゆえのハンデはない、という。「消費者ニーズの変化をいち早く読み取るために、ショップ経営も行なっています。しかし、大事なのはあまり先を読み過ぎずに、少しだけ先を見ることです」後藤社長は二代目。そして、目下「第二の創業」を継続中である。すなわちカジュアル分野への進出だ。本業が好調なときにこそ、次の事業の芽を育てたい、というのがその理由である。そればかりではない。「キャディー用ウェアを作り始めたので、これを切り口として、いずれスポーツウェアの分野にも進出したいと思っています」(後藤社長)。今という時に安住しない創業者精神がそこにはある。 

 A本業から枝葉を広げる「多角化」型の第二創業。もっともオーソドックスなのは、まったく未知で、新しい分野への進出ではなく、これまで培ってきた既存技術、ノウハウをベースに新分野への進出する方法である。この場合、既得の技術力や設備が有効に使え、新たな投資を最小限に抑えることから、リスクが少ない特徴がある。従来付き合いの顧客のニーズを汲み取り、それを第二創業の土台とすれば、営業体制もフル活用出来る。筆者が設計した第二創業のビジネスモデルがこの類型に当てはまる。

 この類型の実例として、繊維素材のプリント印刷に使われるスクリーン製版、染料の配合を手掛ける株式会社小松プロセスに注目したい。同社は2000年に暗い場所で光が当たると反射するカラーインク「アートブライトカラー」を開発した。繊維はもちろん、紙や木材、コンクリート、鉄などにも使えるため、インクをチューブに詰めて、絵の具にしたり、スプレーに詰めて、ペンキにしたりするなど、用途を広げるための工夫をし、繊維産業以外に、いろんな業界へと販売ルートを拡大している。このような本業のノウハウを基礎にしたやり方は第二創業の最も近道であろう。 

 B 産学官連携や異業種交流から業態を増やす「多業態」型第二創業。産学官連携や異業種交流から生み出される第二創業もある。大学や研究機関などにある研究と産業界のニーズのマッチングがうまくできれば、新製品の開発や技術の高度化を図ることが出来る。また、バイオ、環境、福祉などの産業はそもそも業種横断的な技術開発が必要であり、単独の企業では解決の難しい課題も、それぞれの分野で豊富な経験をもった研究機関や企業との連携が有効である。

 この類型の実例として、産学官連携を活かして第二創業を試みる企業、繊維機械、産業機械、防衛機械などを製造・販売する石川製作所を挙げたい。同社は、売上げの主力を占めている繊維機械部門が急速に落ち込んだのを受けて、新しい部門を立ち上げ、繊維機械の制御装置などを製造した技術、設備を基盤としながら、電子機械やバイオ、医療機器など、いわゆる次世代の成長分野をターゲットにした。同社は北陸先端科学技術大学と連携し、環境衛生測定機器の開発に成功した。現在もなお研究開発員を大学に常駐させ、新たな研究シーズの発掘に注力している。

 Cシステムを変化させることからの第二創業。取り扱う商品そのものや業務内容は従来と同じでも、これまでとは経営システムをドラスティックに変化させることも第二創業の範疇に入ると考える。そのような例として、テキスタイルメーカーの丸井織物株式会社がある。同社はIT技術の進歩を視野にいれ、高度情報化を重要な経営資源と位置付け、社内LANの構築を手始めに、会社のホストサーバーには生産状況や資材・製品の入出荷状況がリアルタイムに入り、業務報告とそれに対する指示も速やかに行われる。また、イントラネットを使ってクライアントが出荷状況を把握出来るまでになった。情報の共有化によって、短納期化、多品種少ロット化に迅速な対応が取れるようになった。このような新しい経営システムの導入は企業に新しい生命力を吹き込んだといえよう。

 D社内ベンチャー型第二創業。社内ベンチャーも第二創業の一形態と考えられる。例えば最近多くの会社の中にeコマース部門を作り育て挙げているのはその例である。ここで、企業が持っている技術・人材・取引先、信用などの既存の資源を活用出来るため、事業を展開する上でのリスクが軽減出来る。

 

2.3 実例から見る第二創業の優位性 

 上述のように、第二創業によっては起業の新陳代謝を促進し、既存ノウハウや資源を最大限に活用し、事業展開のリスクを回避するなどのメリットがある。

この節では、さらに様々の実例からその優位性を検討していく。

         

2.3.1 経営の自由度を手に入れる

 新幹線三島駅から歩いても10分余りの静岡県駿東郡長泉町は、晴れた日なら富士山の雄姿が望める。自然環境のすばらしいこの地に、「第二の創業」に取り組んでいる企業がある。それは通称「Z会」と名が通っているの株式会社増進会出版社である。通信教育で知られる″Z会″の最大の売りは、いわゆる有名国私立大学への会員の合格率の高さである。 例えば昨年の実績でみると、東京大学の全合格者数に占めるZ会会員の割合は実に59.1%。京都大学が53.4%、一橋大学が42.4%、大阪大学が27.8%という具合である。受験生の間でZ会が「難しいZ会〜」と言われる一方、「受験の神様」扱いされているのもうなずける。

Z会」がその名を知られるようになったのは、もちろん昨今のことではない。そのルーツは実は戦前までさかのほる。「初代社長が実力増進会をつくって、東京淀橋(新宿)で通信添削を始めたのが昭和6年(1931年)。しかし、戦災にあって中伊豆に疎開し、再開したのは昭和27年です。そのころからZ会の略称も使うようになりました」と、社長の藤井史昭氏は語る。

 面白いのは、事業の再開にあたって、発祥の地である東京に戻ることをせず、中伊豆にとどまったである。「もし東京へ戻ったら高いビルも借りなくてはならないし、多大な出費を強いられた。なにしろ、当時は会員も数百人規模で、売上げもわずかでした。しかし、地価の安いこの地にとどまったことで、価格競争力と経営の自由度を手に入れることができました。おかげで資本を蓄積し、今日の基礎が築けた」と藤井社長が言う。自らの企業体力を寸分に考えたうえで、いたずらな競争を避け、むしろ、「地の利」を活かしたとも言える。中伊豆から現在地の長泉町に本社を移転したのが、昭和54年(1979年)であった。その後、会員数を急速に増やし、現在は約16万人。「Z会」は教育産業の中でも確固たるブランドになっている。

そんな同社が1996年、「第二の創業」宣言ともいえる基本理念の再確認と組織改革を行なつた。その基本理念とは「新しい社会の中核を担う人々に対して、その役割にふさわしい知性・感性を育む教育・文化サービスを提供し、それを通して日本社会の革新と発展に貢献する」である。また、組織改革としては若い人材の登用に主眼を置いた。

 しかし、これより前に増進会は既に改革への道筋を着実につけており、その第一歩が1985年の株式会社組織への移行であり、その後に続く対面教育事業、出版事業への進出である。

対面教育事業は、一方的な講義ではなく、理解度を測る出題、質疑応答などを盛り込んだ授業である。そこでは、生徒どうしの議論も交えた「ゼミ形式」による授業の導入も試みている。同85年に渋谷教室(東京)がスタートしたのを皮切りに、教室は現在、全国で15ケ所。「60年代後半は大手予備校と通信教育との「棲み分け」ができていた時代でした。しかし、その後、予備校の全国展開で、その垣根はなくなりました。現に、会員の6割が予備校にも通っている。こうした時代の変化に対する答えの一つが教室運営です」(藤井社長)。

 教育サービスの提供手段の多様化といえる。そして少子化という問題が、増進会のもうひとつの大きな変化の流れの中に存在する。教育産業にとってこれは死活問題である。

 そこで同社では、通信教育事業、対面教育事業に続くものとして、出版事業にも乗り出している。まず手始めに92年には「若山牧水全集」を出版した。94年から、中・高生を対象とした学習参考書や問題集をはじめ、「知の喜び」「考える喜び」をキーワードとした「ペブル選書」を刊行している。これは受験生だけでなく、社会人も読者に想定した内容であり、先の「若山牧水全集」を出版した時の考えに通じている。

 考えてみれば、増進会は「Z会会員OB」を数多くかかえているわけで、これらをマーケットとした商品は無数に考えられる。出版物もその一つである。出版事業は従来の事業の延長線上のものともいえるが、見方によっては「脱受験」の新規事業の側面も持っている。会員OBという経営資源をどのように活用するかは増進会にとって大きなテーマだろう。基本理念もそれを視野に入れてのもの、と言えよう。

 このように、Z会は、第二創業の繰り返しによって、常にニーズの変化に対する敏感な反応力を保ったのと同時に、経営の自由化もそれによって手に入れたのである。

 

2.3.2 変化に応じて業態の複合化

 時代の変化を感じ取ることができれば、発想は自由になる。変化に気付かないと、これまでの延長線上でモノを考え、思考に幅がなくなる。変化を捉えるアンテナを張りめぐらし、変化をチャンスとして捉える。こうすることで企業は進化する。これも「第二の創業」の一つの優位性である。

 ここで株式会社柿安を実例として分析することにする。

 柿安4代目の赤塚社長は、しぐれ煮の製造・販売、東京進出、中華点心類の製造・販売と、次々と新機軸を打ち出すことで沈滞気味だった老舗に新たな生命を吹さ込むことに成功した。そして、今度は新業態「柿次郎」でこれまでとは異なるファミリー層の開拓を狙っている。

『柿安』は多少無理してでも都心の一等地に出店してきたが、『柿次郎』はもっと幅広い層に利用を目的とした郊外型レストランで、そのコンセプトは、「食と文化の融合」である。1号店は1995年8月にオープンしている。2600坪の敷地に長野県から旧民家を移築、再製した建物は、そのコンセプトを見事に体現している。

 店は母屋、蔵、長屋門などからなる独立店舗の集合体とし、それぞれが異なつた営業形態をとっている。提供している料理も牛肉せいろ蒸、松花堂、麦とろといった和食からラーメンに至る多彩なメニューを持っている。ファミリー層の幅広いニーズに応えられるようにしている。「柿次郎」に見られる、業態の複合化は外食産業に限ったことではない。

 

2.3.3 多角化の派生効果

 業態の複合化によって、多角化の派生効果が生じると考えられる。ほとんどの起業家は一度企業の多角化に乗り出すと、新しいプロジェクトに着手する上で、多くの機会に巡り合うことに気付いている。起業家の成功が知れ渡る、人々は支援者を探すためのアイディアを授けてくれる。そこで、起業家が自分のチャンスをつかむ。起業家たちが、当初意図した方法ではなく、むしろ意図していなかった方法で、新しい事業を起こす過程において、新しい発見がなされていき、その結果多角化の派生効果を生み出している。

 その例として、カール・ヴェスパー氏は著書のなかでジョシア・ライオネル・コーエンのことを挙げた。

レストランの経営者であったコンラット・ヒューバートは、円筒の形状をしたバッテリーと照明装置を備えた発明品を手に入れることが出来た。この円筒形の装置は、フラワーポットの脇にしっかり固定させることが可能ならば、その装置の上方で照明がつき、花を照らし出せる照明装置として独立させることが出来るというアイディアを持ち、さらにそれを販売することを決心をした。そしてエバレディ・フラッシュライトという名前に変更したのである。

 この照明装置を発明し、それをヒューバートに販売権を譲った人物は、後に、機雷起爆装置のアイディアを考え出し、アメリカ海軍にも販売している。彼は、ポータブル扇風機の製造を開始したため、扇風機のモーターの一つを使って、店舗用のウインド・ディスプレイを作る試みを行っている。そのディスプレイは、顧客の注意を引き付けるために小さな電気機関車が線路の上を走り回るというものであった。その結果、店に来た顧客が自分たちの子供のためにそのディスプレイそのものを購入しはじめたのである。ライオネル・コーエンはいつの間にか、おもちゃの電気機関車の製造に取り組んでいったのである。

 ヒューバートの例からは、表面上一連の偶然しか見出せない。しかし、ここから、必然的な派生機会の存在があったのである。というのも、通常、派生的に現れる機会は、本来の起業内容と結び付いたものになるからである。製造面の結び付きや、技術的なノウハウでの結び付き、あるいは販売経路での結び付きといったものが必ずある。上の例は、特に多角化が更に新しい機会の発見を促し、最初の販売経路もこの新しい事業のために使われていることを示している。

 

2.3.4 業態革新によって市場を打開する

 家電業界で、業態の複合化という業態革新を積極的に推し進めている株式会社デンコードー(宮城県・仙台市)である。同社は、北海道から福島県まで、東北地方で89店舗を展開する大型家電量販店である。販売する商品に合わせていち早く業態の革新をはかってきた同社は1984年、パソコン専門店「DAC(ダック)」(Denkodo and Computer)をインストア方式でスタートさせている。

 いわゆる従来型の家電量販店に新業態組み合わせた複合業態である。しかし、同社ではさらに1995年「スーパーデンコードー」という新業態を登場させ、DACを同業態の中に吸収していった。一般家電製品に『DAC』が扱っていた情報通信関連商品、これに中古CDやゲームソフトなどのエンタティメント関連商品を加えた「三位一体」が『スーパーデンコードー』のコンセプトであり、これを新設すると同時に、従来からある店舗を段階的に『ス−パーデンコードー』 へとリニューアルしていくという戦略を井上元延社長は、語っている。

 周知のように、このところ家電業界にはヒット商品がない。かつては三種の神器扱いされた家電商品もほとんどの家庭に行きわたり、むしろ不要な家電品に囲まれている家も少なくない状態である。

 消費者二―ズは従来型の家電商品から情報通信機器関連、映像などのエンターテイメント関連商品へと明らかにシフトし、業態の革新を図っている。1995年3月の多賀城店を皮切りに始まった「スーパーデンコードー1」の開設は、その後も続き、現在店舗数は27店を数えるまでになっている。

 このように、不況の産業が一般的に存在するが、不況のなかでも大きな市場やニーズが存在している。業態の複合化という業態革新によって、ニーズを不況の産業に引き込む、活気を吹き込む効果を狙えると考えられる。

 

2.3.5 協業によって、時代のスピードについていく

「デンコードー」から「スーパーデンコードー」への業態革新と並行する状況で、同社が積極的に推し進めているのが新業態開発だ。前述した「DAC」が「スーパーデンコードー」へと生まれ変わった。「DAC」がインストア形式だったのに対し、完全な独立店舗として「DAC」を発展させた。同店は豊富な品揃えに加え、サプライ関係や専門書も充実した。また、パソコントラブルに敏速に対応出来るように専属スタッフを配置した「パソコンドック」、常設のパソコン教室などを設けることで他社との差別化を狙っている。

 この他にも、CD・ゲームソフト・書藷などカルチャー関連の商品の販売・買い取りを行なう「Wonder Goo(ワンダーグー)」(三店)、CD、ビデオのレンタルとCD、書籍の販売をコンビニ感覚で行なう(営業時間は11時から24時)「TSUTAYA」(2店)、携帯電話やPHS、携帯情報端末など移動体通信関連商品を扱う「MEDIA SITE(メディアサイト)」(1店)、家電製品、情報通信関連機器商品の修理を専門に行なう「Mr Concent(ミスターコンセント)」(1店)なども展開している。

 商品特性を考え、消費者ニーズに応えていく体制をとろうとすれば、もはや単一の業能では不可能と同社は見ている。井上社長は、「複数の業態を持つことで、いろいろなユニットが考えられる。『スーパーデンコードー』に組みこめるユニットを増したい」と言う。                                                                                                                                                                                                                                                                                             

 業態を増やすことについては他社との協業でカバーする考えはこの体制の発想である。変化の激しい時代に全てを自社の力でやろうとするのは無理があり、時代のスピードについていけない、と井上社長は考えている。

 周知のように、「TSUTAYA」はカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社(大阪市)がフランチヤイザーとして事業展開している。デンコードーはフランチヤイジーとしてこれに加盟している。また、「Mr Concent」は北陸サンキューグループ(福井県・福井市)のFCである。本体である「デンコードー」と「スーパーデンコードー」の周りにこうした多様な業能を配し、そのスキマを埋めていくのが同社の戦略

である。    

ほかにも、第二創業の優位性については、事業継承を円滑に行う為に有効だという点があると、産業省中小企業庁の調査からわかる。中小企業庁の調査では、実際に事業承継を経験した経営者の約四割が、新分野に進出している。新分野に進出するタイミングとしては、事業承継後間もないケースが多く、承継後三年未満で新たな事業に進出した人は90%に達している。事業承継は新たな事業・技術に挑戦するチャンスであり、これを生かすことが事業の円滑な継続につながることは間違いない。中間報告によると、後継者が新たな事業に進出し、事業を大きく成長・発展させた例は多いという。山梨県にある明治創業の老舗印刷会社A社は、息子が事業を承継し、インターネットのホームページ作成の代行業に進出、IT関連の事業が売上げの30%を占めるまでになった。

事業の承継問題も、中小企業にとって大きな課題となっている。承継をスムーズに進めるには、後継者を育成するための教育施設の整備が不可欠である。授業料は約百万円と高額であるが、すでに中小企業大学校の事業承継コースが存在する。そのため中小企業の従業員が気軽に受講出来るよう、授業料を安くするなどの工夫が必要になると思われる。M&A(企業の合併・買収)やMBO(経営陣による企業買収)などのような第二創業も事業承継対策として有効だと考えられる。とくに、「現代版のれん分け」と言われているMBOは、企業を売却する場合に比べ、事業の継続性が確保され、従業員の雇用への配慮も行き届きやすいなどのメリットがある。

 

                                               2.4 実例から見る第二創業のタイミングと着眼点

 企業が「第二の創業」とも言える「起業」を考えるとき、もっともオーソドックスな手法は、従来の事業の延長線上、もしくはその周辺領域で蓄積した技術、ノウハウ、販売ルートなどを活用することである。

 では、サラリーマンが「起業」するときは、未開拓の手つかずの市場、誰も気付かない鉱脈を探りあてることがベストなのはいうまでもない。しかし、現実問題として、そうした市場があるのかという問題がある。大方のビジネスマンは首をかしげるであろう。もちろん、それがある。続々と誕生するニュービジネスはそのことを証明している。以下の実例から、極めてすばらしい着眼点をもち、第二創業実証した企業を紹介する。

(1)流行っている時こそ第二創業を考えるべき 

 業態と業態のスキマ、商品と商品のスキマを見つけ、それを事業化することで 起業に成功した人は少なくない。 CD、ビデオ、ゲームソフトのレンタル、リサイクル(買い取り再販)ショップを全国展開している株式会社ゲオ(愛知県・春日井市)の遠藤結城社長もその一人である。

 脱サラという経歴から一番になれる商売、つまり、競争相手のいない、新しい分野をやろうということで始めたのがビデオのレンタルショップが1986年(昭和61年)に1000万円の資本金でスタートした。2年後には法人化し、店舗展開も弾みがついた。ここで注目すべきことは、その出店戦略にある。 

 1号店を豊田市(愛知県)でスタートさせると、3号店は秋田(秋田市)、4号店は山形(天童市)というように、いきなり地方への出店を行なっている。通常ならば地元である愛知県での展開を考えるか、又はマーケットも大きく、需要も見込めそうな東京、大阪、名古屋などの大都市圏への出店を考えそうなものである。しかし遠藤社長は、参入企業が増えて競争が激しくなることを予想し、地方に「楔」を打つことで対応するという、彼自身のビジネスのノウハウを確立させた。この経営方法により、ゲオの出店エリアは地方が圧倒的に多い。1997年9月時点の店舗数は118店(すべて直営)になった。地元である愛知県の40店は別格として、北海道8店、東北9店、九州8店に対し、東京は8店、大阪はゼロという状態である。

 大阪がゼロなのは、ライバルである「TSUTAYA」をチェーン展開しているカルチュア・コンビニエンス・クラブの本拠地があるためとみられる。「競合のない、したがって、一番になれる可能性のあるビジネスしかしない」(遠藤社長)という経営哲学の持ち主からすれば、あえて大阪に出店する意味はないということだろう。

 ライバル社である「TSUTAYA」とゲオはいろいろな意味で対照的である。例えばゲオが直営展開なのに対し、「TSUTAYA」はFCであり、レンタルショップであるのに対し、ゲオはリサイクルにも力を入れている。売上高ではリサイクルがレンタルを抜くという業績をあげ、同社の19973月期の売上高は237億円であった。このうちの3割程度(残りはレンタルと卸売りなど)がリサイクルによるものとみられる。

 その理由として、リサイクルの方が租利も大きく、不況期に合うビジネスであり、レンタルは供給過剰で淘汰の時代に入っていることにある。

 ビデオなどのレンタルショップは全国で約8,000店あるといわれている。これらが主として低価格を売りものとして競争しており、「はやり商売」の宿命であると、予想されるげんじょうであり、リサイクル事業展開に至ったのである。中古販売はレンタルよりもノウハウが必要なこと、レンタルのように競争のあげくの安売り競争がないだけ魅力的であると考えられる。             

 レンタル事業が好調な時期に、既に次の事業としてリサイクルを考える積極的思考は、 「はやり商売」ゆえの危機感からの発想である。「はやり」はいつか廃れ、廃れてから次のことを考えるのでは遅い。本業が好調なときこそ次の事業を考え展開していくと言った遠藤社長の積極性は、危機感の裏返しである。

(2)   変化はチャンス

「海のほか何も見られないときに、陸地がないと考えるのは、決してすぐれた探検家ではない」。こう言ったのは、イギリスの政治家であり、哲学者でもあるフランシス・ベーコンである。株式会社加ト吉(香川県・観音寺市)の加藤社長もこの名言に触れて事業を発展させたひとりである。

それは世の中で、不変のものなど何一つとして存在しておらず、事業も然りで時の流れとともに、経営環境も、市場環境も変化している。また変化するからこそ、経営飛躍のチャンスが生まれる。ある商品の寿命が尽きれば、それに代わる商品が登場する。商品の盛衰の流れを目敏く見極め、市場へ的確なタイミングで供給してこそ事業は大きく発展していくであろうという考えである。

 しかし、人間、世の中が変化する事実を知っていても、自分が変化の渦中にいるとなかなかそれを認めたがらない。それは、過去の社会環境の延長線上で生さており、つい過去にとらわれるからである。起業家、経営者の手腕とは、海上でその陸地をいち早く発見するのに似ている。刻一刻と変化する経営、市場環境に対して、適切に対応するしなやかさの発揮が求められる。しなやかな経営を保ち続けるためには「常なる危機感」と「チャレンジ精神」を行動基準にしなければならない。

前述したゲオは、リサイクルがレンタルを追い抜くまで成長した今、遠藤社長が自社ソフトの制作・販売を発展させようと考えている。

 具体的には、CDROMの制作・販売である。つまり、「川下」から「川上」 へと事業を拡大していこうとしているわけである。とはいえ、同社がメーカーを志向しているわけではない。遠藤社長はこの点について、著作権をもつ仕事に対し、コンテンツビジネスを希望し、店舗を多様化したメディアの場に展開すると考えている。

 CD、ビデオ、ゲームソフト、あるいは書籍など、メディアミックスの店づくりというのが遠藤社長の構想である。早い段階で地方への出店を優先させ、競合相手がいないうちに「楔」を打ち込もうとしたのも将来のコンテンツビジネス参入をにらんでのことであった。つまり、商品の「出口」となる店をまず押さえ、次いでその販売形態にマッチする商品は自らも制作していこうと、遠藤社長はこの新規事業のために実は大きな決断をしている。1996年に、東京本部を開設した理由は、ソフトをすべて社内で制作するのは無理があり、ソフトハウスは東京に集中しているということである。

 1996年秋、初の自社開発ソフト「ソフトロボ」を販売したのを皮切りに、現在は年間約30タイトルを制作している。また、前述のメディアミックスという考えから、97年2月には出版事業へも進出している。「スキマビジネス」は後から続く企業の数が多ければ多いほど、それに比例して成長期間は短命になる。「はやりビジネス」と言われる所以であろう。したがって、次々と新規事業を興していくことが成長のための絶対条件となる。

 しかし、スキマを起業のための突破口としながら、それをさらなる発展のための跳躍台とすることは可能である。ゲオがレンタルショップ経営だけにとどまっていたならば「はやりビジネス」の宿命を免れなかったかも知れない。同社はコンテンツビジネスに進出したことで、そこから飛躍するための方向性を見出した、と言える。その業績を受け、20011124日大阪証券取引所のナスダック・ジャパン市場に上場を実現させた。

(3)   時流をつかむとニーズを見出す

「結婚式はお金がかかって当然」という考え方はすでに一昔のことであった。この時代の流れを察知し、第二の創業を成功させたのは結婚式場「チャペルグリーンベル」を運営する株式会社錦(京都市)の鎌田九美夫社長である。
 「両家の面子に関わる」などの日本人特有の意識は、世界に例をみない高額結婚式を存在させてきた。しかし、最近の若者のなかに派手な挙式を嫌う人が増えつつ、お金をかけずに質素な式を望む風潮も生まれてきているが、思い出になる結婚式を挙げたいという気持ちは変わっていない。
 そんななか、錦社の鎌田九美夫社長は「4万8000円挙式」という格安のパッケージ商品を開発し、注目を集めている。26歳のとき、元々和装関係のメーカーに勤めていたノウハウを活かし、鎌田社長が独立を果たした。業態は貸衣装屋として、戦略はディスカウントであり、マスコミを効果的に使いながら、10年以上にわたってまずまずの実績を上げ続けた。しかし、資産家の老舗が多い貸衣装業界で、いくら頑張ってみても限界は見えている状態であった。
 暗中模索が続いたが、鎌田社長は仕事上、式場に出入りする機会が多く、地味な施設での式を目にし、新しいビジネスの可能性を徐々に映し出されてきた。そこで、あるイベントホールを借り受け、仮設のチャペルを設置することにした。6年前に事実婚や再婚など、様々な事情で式を挙げられなかった人たちに向けて、9800円という破格な金額で「記念撮影」をテレビで募集してみたところ予想以上の反応があった。
 意を強くした鎌田社長は、これら顧客の要望を反映する形で、本格的な挙式の可能性を模索し始める。業績の拡大というよりも、社会性に目覚めた部分が事業の拡大につながった。 以降、低価格挙式の実現に向け企画をねり、その後まもなく4万8000円という驚くべき低価格のパッケージ商品を開発、爆発的な支持を得た。そして、三年前には、常設のチャペルと撮影場、着付け室などを備えた現在のビルに転居をはたし、昨年12月に立ち上がった大阪店と合わせて年間約1700組のカップルが、チャペルグリーンベルで結婚式を挙げるまでに成長した。また、低価格ゆえの気軽な贈答品としての需要も喚起し業績の一端を担っている。その結果、貸衣装の会社は第二創業によって、成功を果たしたのである。

 

上述の様々な実例から、第二創業は企業の優位性、特に中小企業の存続には、非常に重要である。そこで、第二創業の成功要因に関する研究がより重要であると考える。これについて、次節で詳述する。

 

2.5       第二創業の成功要因に関する研究

2.5.1 創業に必要な要素

 どのような創業においても、必要不可欠の要素がある。無論、第二創業も一種の創業である以上、同じように、その最も基本的な必要要素として、次の5つを挙げることが出来る。

@製品やサービスのアイディアスペース。創業を計画する段階でも、どのような製品やサービスを提供するつもりなのか、というコンセプトがはっきりしていかなければならない。これは創業の最も基本的な条件ともいえよう。ちなみに、成功するアイディアは緻密かつ正確なニーズの規模に対する事前の市場調査に基づくものである。

A技術的ノウハウ。 企業の製品やサービスを生み出すためには、事業に従事する誰かが、専門的スキルや知識を身につけていかなければならない。例えば、自動車整備工場を開業しようとするのに、整備士がいなければ話が成立しない。会計事務所を設立したければ、会計士や税理士が必要となる。起業家はそのノウハウを身につけていれば越したことがないが、起業家がそれを買ったり、借りたりすることも出来る。しかし、いずれにしても、それが企業内になければならない。

技術的ノウハウの重要性は競争相手に対して多少関係を持つことであろう。斬新なアイディアがあっても、それはあまり技術のいらない分野であれば、すぐにも競合参入者が追随してくる。反対に技術性が高ければ高い方が競合者の参入障壁、あるいは競合者との差別化になるため、高収入の事業になる可能性も高くなる。この技術的ノウハウが競合相手の参入障壁になる理由としては、人々はそれをすぐに習得することができないからである。

 創業者は参入しようとしている特定の分野における過去の独自の業績や彼らの参入計画が特定の分野において、すでにその分野にいる誰よりもいい仕事を行うことが出来る特別の専門的知識を持っているならば、その分野への参入は成功する可能性は大きいと考えられる。さらに、この技術的ノウハウを、新しい事業において従業員がそれを身に付け、作業上において向上を図ことで、起業の成功を導けるものであると考える。

B人的ネットワーク。たとえ起業家は一人であっても、いざ起業となれば、人の協力がなければならない。成功企業の創業の歴史をみても、起業内容のアイディアの獲得を含めて、創業と営業の実質的な必要条件に関しては、他の人々との接触が中枢的な役割を果たしているというのが一般的である。特に独特な「仲間取引」の存在は大きい日本において、人的ネットワークの重要性が無視できない。

C物的資源。 どのような事業の場合も、必要な物的手段は確保しなればならない。これらの資源は資産や資本を含めているが、なかでも、起業家キャピタルが最も重要であろう。

D注文の獲得。 製品やサービスに対する顧客の注文がなければ、どんな起業も成功しない。したがって、市場規模の調査と顧客の獲得は起業家にとって、それぞれ創業前と創業初期の活動の中心となる。

以上の5つの要素は、各々独立して創業に影響を与えるではなく、常に相互関連して作用している。これらの要素は創業の成功のためにすべて必要となる。

なかでも、特に第二創業の成功の鍵となる要素は@の製品やサービスのアイディアの生み出すとDの注文の獲得である。それについては以下で詳述する。

 

2.5.2 第二創業の成功の鍵

――製品やサービスのアイディア――

第二創業とは事業転換を伴うと考えれば、いわゆるベンチャーの一種ととらえることが出来る。しかも成功の確率が極めて高いベンチャーである。資金繰りや企業間取引などで経験豊かな経営者は、素人がいきなり会社を作るベンチャーなどと比べると大きなアドバンテージがある。つまり、第二創業が既存事業の基礎の上での再創業であるため、創業者の経験を別としても、人的のネットワーク、物的の資源の備えには有利であり、起業者が技術的ノウハウの用意もできているのは通常である。
 しかし、そのアドバンテージを生かすも殺すも経営者次第である。まず必要なのは、どの分野にどう参入すれば、新規事業を効果的に立ち上げることが出来るのかという分野の選択である。すなわち、第二創業の鍵となる要因は、製品やサービスのアイディアを生み出すとなる、と考えられる。

そして、成功した第二創業の経験をみれば、その選択は起業者自身の「勘」や「ひらめき」をきっかけとなった例が少なくない。つまり、言葉で言い表せない経営者の「センス」が成否を左右する傾向がみられている。さらに、成功事例を分析すると、その「ひらめき」を生み出すベースには、好奇心旺盛な経営者自身の資質が大きな役割を果たしていることが分かってくる。しかし、「好奇心」や「ひらめき」だけでは足りない。当然のことながら、その新規事業の将来性をしっかりと合理的に見定めなければならない。「勘」「ひらめき」「洞察力」を確実に検証していかなければならない。 

また、この選択の成敗は第二の創業の成敗を決定するのけではなく、本業の展開にも影響を与える。以下では第二創業のスタートコンセプト要因、産業と戦略相互作用要因という二つの側面から、製品やサービスのアイディアを生み出す成功要因の分析を行っていく。

(1)第二創業のコンセプトの確定。

起業のために製品やサービスのアイディアを生み出すには、つまり、起業に際し特定ベンチャーの開始を促す上で偶然的出来事の役割は、慎重な判断と計画的な探索が伴うであっても、非常に強力である。事実、ほとんどの起業家はベンチャー・アイディアを積極的に探索する時でも慎重に決定することもなく、むしろ試行錯誤を繰り返しながら偶然に到達するものである。後になって考えると、ベンチャーに関して事実上、起業家が他の人々に優る有利なスタートができたという事情によって、その選択が影響されたことがわかる。これらの優位性には、すべての重要な要素、技術的ノウハウ、個人的接触、物的資源、ベンチャー・コンセプト、さらにベンチャー以外の追求過程での出来事から生まれる顧客の注文さえもが含まれるであろう。とはいえ、第二創業のアイディアの選択において、必然的に成功に結び付く要因がある。そして、第二創業(ベンチャー)における明白な実行可能性を探る鍵となる三つの質問としては、@人々はこの第二創業による製品やサービスを欲しがるであろうか。A創業に漕ぎ着けようとしているベンチャーから、商品(あるいはサービス)を買うだろうか。Bベンチャーは彼らの支払いで利益を得られるだろうか。

 この三つの質問を順番にクリアーするコンセプトに当てはめてゆけば、選択はより効率的に行われるであろう。つまり、市場は製品やサービスを欲しがるだけでは、市場にその製品やサービスに対する支配能力がなければ、利益を得ることができない。例えば、製品やサービスの内容が非常によくても、極めて価格が高ければ、そのニーズは減少することになり、この創業による利益の獲得も困難になるため、創業は成功に結び付かない。

(2)産業と戦略相互作用要因。

新しい事業を展開する際に、産業の影響要素および産業と戦略の相互作用も考えなければならない。このテーマについては、マクトゥーガルとロビンソンによる研究が最も大きく反映している。産業の成長と衰退には、ある程度一定のパターンがあるように思われる。すなわち、初期に多くの新規企業が参入した場合、産業が成長し、成熟するにつれて、参入企業のほとんどが絶滅してしまうのである。自動車、半導体、航空などの産業がすべてこれを証明している。産業の競争パターンは、一般的に、産業の性質や産業のライフサイクル段階によって変化するのが認められる。

マクトゥーガルとロビンソンの研究によると、産業構造は主に参入障壁の観点から定義され、戦略はクラスター分析によって統計的にグループ化された一群の変数から定義された。彼らの研究は、統計上の結果として測定された戦略と産業構造がともに成果に有意な影響を与え、二つの間の相互作用が、最も強い影響を生み出すことを明らかにした。[5]

創業時からかなり長期にわたって、平均的に投資収益率から見た収益性は、会社の戦略的地位によって決定されるように見える。カール・ヴェスパーの研究において、大企業2,500以上の戦略事業単位に関する戦略計画研究所のデータによると、収益性と相関がある鍵となる四つの要因として、@資本集約度が低く、A競争相手に比べて高いシェアを有し、B普及品よりむしろ差別化された商品を扱い、C成長市場にいること、が指摘されている。

以上の要因と、産業と戦略相互作用要因を踏まえて、第二創業は、次5つの条件で成功する傾向があるとまとめておきたい。@資本集約度が低く且つ成長市場に参入すること、A多くのばらばらな競争相手よりもむしろ少数の主要な競争相手と競合すること、B相対的に少数の顧客に販売すること、C商品(製品やサービス)が顧客にとって大きな負担にならないこと、D初期の大きな収益性よりむしろ、狭いセグメントで大きな市場シェアを狙うこと。

 

2.5.3 競合相手との差別化

――カール・ヴェスパー氏の顧客特性の分析理論―― 

 カール・ヴェスパーは著書の中で新規事業が既存企業との差別を狙うためには、顧客の特性に対する研究が重要であると指摘している。

競合相手に対する差別化を狙うには、まず新しい商品(製品やサービス)販売対象である顧客の特性を把握しなければならない。一般的には、人々は新商品(特に新しいサービス)よりも、これまでに買い続けてきた商品の方が安全であると考える傾向がある。しかし、顧客の特性を性格に分析し、新しい商品に顧客を引き込む可能が出てくる。

 そして、顧客の特性は、顧客の習慣、顧客の認識、顧客の制約要素に分けることが出来るとカール・ヴェスパー氏は主張している。具体的には以下のようにまとめたい。

まず、顧客習慣の作用は、人々はたとえ新規企業がより優れたものを提供しているとしても、既存の企業から購入し続けようとする力である。

また、顧客の認識の働きは、既存企業から切り替え、新規企業から購入することが望ましいかどうかに関する顧客の判断を決定するものである。これらの認識は、新規企業が他の企業の提供していないものを提供しているか、新規企業から購入した方が安いのか、より性能のいい新品を提供してくれるのか、より良いサービスを提供しているのかといった事実の分析に基礎を置いている。このような知識を基礎に、取引の判断となる。見込顧客を対象にしてこのような問題を検討することは、新規企業が、その商品(製品・サービス)を顧客に販売していく上での助けになり、同時に他の類似の顧客に売り込んでいく手助けにもなる。このような能力が、一般に新規企業に、既存企業よりも弾力的な特徴を与えることになり、そして大規模企業や一般的により大きな力をもった競争相手をしのぐことを可能にさせるのである。

最後に、顧客のシフトを制約する要素も存在している。それは、購買を新規企業にシフトしようとするかどうかを合理的に判断するための基礎である。ポーターはそれらを「切替コスト」と呼んでいる。その問題は、多くの場合、消費者の購買にまつわる問題というより、業者間取引を行っている企業に該当する問題である。

上述のような制約要素に対する対応策を探るための第一のステップは、その潜在的な問題の存在を認識させることである。そして、その対策を生み出すことは起業家が創業を成功させる前提になる。

  以上の諸要因を総括して、成功する可能性の高い第二創業と失敗しやすい第二創業の特徴の要点を次の図表22に示す。

 

 図表22 第二創業の成功要因比較


 出所:筆者作成。

 


 以上、第二創業に関する理論的考察を通じて、第二創業が今の時代に対応しやすい創業形態であると同時に、企業にとって不況を脱出し、生き残るための重要な手段でもあることが明らかになった。そして、第二創業の成功要素をいかに取り揃えることが第二創業の鍵となる。次章から以上の理論考察を基に、ケース・スタディーを行う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第3章  第二創業におけるリスク・マネジメントの理論考察

 

 企業経営において経営変革は必ず大きなリスクを伴う。その変化が環境に対応するものでも、その企業の根底を覆すものになる可能性がある。多くの場合、ある市場の変化で、将来の業績に疑問を持つ場合には、劣勢を挽回するべく、企業の市場を開発したり、新事業に事業転換したりする。

 現在、多くの建設業、特に、ゼネコンが倒産の憂き目に直面している。これはかって、建設市場の先行きに疑問を持った企業が、異分野として、不動産、特に開発事業に手を出した結果起こったものである。建設業と不動産業はともに不動産を取り扱う。しかし,建設業と不動産業では、資本装備率からみるとまったく異質な産業である。後者は投資型,前者は非投資型であり,経営基盤はまったく違う。このことは,建設業が開発や不動産に進出する場合には十分に注意する必要がある。単に,日常,建設を通して不動産を扱っているからと安易に進出して大きな失敗に陥った。建設産業が労働集約的で,マネジメントが極めて重要であるのに対して、不動産業は資本の回転率が悪く、長期の視点から経済の先を洞察することが、必要であったのである。

 本論文の主題も、第二創業、新市場、新事業とリスクが多い。そこで課題を含んでいるそれを如何に考えヘッジしていくかが、問題となる。

企業は、目標を達成するため、企業戦略に沿って、経営を展開していく。しかし、現在から未来に向かって、いろいろな予測不可能なことが発生し、目標の達成の障害となる。つまり、様々の危機が発生する。これらの危機を今までの経験に基づき、危機をもたらす要素を出来るだけなくし、危機の発生を最大限に予防する。また、危機が発生した場合に、いかにその被害を最小限に抑えることが、リスク・マネジメントの目的である。

 企業を存続、発展させるためには、このようなリスク・マネジメントが必ず必要不可欠である。これは、成功企業と失敗企業の分水嶺であると言っても過言ではないであろう。また、第二創業が展開される際、ある種のリスクをヘッジ出来る優位性を持っている一方、第二創業に伴うリスクの存在も無視できない。すなわち、第二創業を展開する企業は第二創業のリスク・マネジメントを避けては通れない。それにもかかわらず、今までのリスク・マネジメント理論は、一般的な意味の企業のリスク・マネジメントに止まり、第二創業におけるリスク・マネジメントの理論がほとんど存在しない。しかし、第二創業を展開するためには、リスク・マネジメントの理論が当然必要となってくる。それゆえに、この章は、第二創業におけるリスク・マネジメントの理論を展開していく。

 

3.1     企業行為における危機とリスクの理論

3.1.1    危機の定義

 過去多くの研究者によって、危機の概念に関する研究が行われてきたが、いまだに統一した明確な定義付けがなされていない。代表的なものを以下に挙げる。

セルブスト(Selbst1987)は、危機を組織的なものと関連付けて、「危機とは、組織の機能、目的の達成、生存や存在を防げる行動もしくは、多くの従業員、顧客が好ましくないと認める人の影響のことをいう」と定義付けている。つまり、セルブストはある行動やその行動の不十分さに注目して、危機を否定的で脅威的なものと捉えた。

ペロー(Perrow1984)、ハベルマス(Habermas1973)、ポーチャント(Pauchant1988)、ミトロフ(Mitroff1988)という多数派は、次のような定義付けをしている。「危機とは、自然がすべてのシステムを打ち壊したり、ある仮定や自分の主観、存在などに脅威を与えるものである。」この定義では、意思決定者らに認識されている各種の危機のほとんどを網羅しているが、システムがいかにしっかりと定義されているかが重要となる。組織に限ってみるのならば、この定義は個人、及び危機の認識といったものはまったく無視されてしまうのである。 

 これに対して、日本大学教授大泉光一は「危機とは、個人または組織が通常の日常業務では対応できなかったり、突然の変化によってストレス状態になっている状況のことである。危機はシステム全体に物理的な影響を与えるだけではなく、個人の基本的な固定観念、主観、実存的コアにまで影響を及ぼす崩壊である」[6]と危機を定義し、危機はシステムに対してもたらす物理的ダメージだけではなく、組織や個人に対して主観的コアまでダメージをもたらすものであることを付け加えた。 

 

3.1.2    リスクの定義

 リスクとは一般的に危機発生の確率と発生強度のことを指す。その定義に関しても、それぞれの文献によって異なる。代表的な定義は以下のようなものが挙げられる。

 グリーン(GreeneMR.)は「リスクとは経済的損失の発生に関する不確定性である」と定義している。[7] このように、リスクを「損害の不確実性」と定義するものは初期の文献に多い。

また、バグリーニ(Baglini, N.A.)はリスクを「損害の可能性」と定義づけている。[8] 

 これに対して、ウィリアムズ(Williams)とハインズ(Heins)は「リスクとは与えられた状態のもとで一定期間中に起こりうる結果の変動である。」すなわち、リスクを「実績損害と予想損害との偏差」として考えている。[9]

 総括して、リスク概念は3つのアプローチから構成されることが読み取れる。すなわち、不確実性からのアプローチ、損失のチャンス(確率)としてのアプローチと変動ないし偏差からのアプローチである。

 リスクと不確実性は同じ意味で使われることが多いが、実際には同一とは考えられない。ある種のリスクが高いかどうかを判断するためには、事件(事故)、損失の発生/不発生から生じる潜在的な衝撃についての理解は重要である。

 潜在的利益を追求することは常にリスクが伴う。これはリスクの本質を探究する際重要なポイントである。潜在的な利益は、リスクを伴った活動を成功させることによってのみ得ることが出来るのである。したがって、潜在的利益が増えると、リスクの高さも容認しなければならない。というのも、利益機会がない場合は、リスクを伴った活動を実施する理由はないからである。

 

3.1.3    リスクの側面とその分類

 リスクを効率的にヘッジするために、リスクの源泉及びその衝撃領域を理解すること、すなわちリスクの側面とその類型の把握が非常に重要である。したがって、発生の源泉から、リスクの類型を以下の5つの類型に分類することができよう。

@    テクニカル(パフォーマンス)・リスク。以前よりも高いパフォーマンスを

提供したり、新しい制約があったりするにもかかわらず、同等なパフォーマンスを提供するために新しいデザインを開発することから生じるリスクである。その多くは、新しいシステムや機器によってより高いパフォーマンスを求める結果として発生するものである。信頼性や保守性などは、システムの調達の際に注意しなければならない。それは、要望されたパフォーマンスレベルを達成出来るよう効率的な設計を心がけている設計者に課せられた追加設計要件であると捉えるからである。これらの追加設計要件は、それぞれがリスクの源泉となりうる。

A    プログラマチック・リスク。プログラムの範囲外にあるが、プログラムの

方針に影響を及ぼす資源や活動を獲得または使用する際に発生するリスクである。このリスクはプログラム実施計画を潜在的に阻害する要因に基づき分類されるのである。 

B    サポータビリティ・リスク。現在開発中または開発済みのシステムならび

に現在採用しているシステムを稼動ならびに保守することにより発生するリスクである。サポータビリティ・リスクはテクニカルの側面とプログラマチックの側面の双方から構成されている。システムを稼動する際にどのようなサポータビリティが要求されるかは技術的なチャレンジが求められる設計段階で考えなければならないのである。 

C    コストならびにスケジュールのリスク。企業の予算に制限がある時期に、

あるプログラムのコストとスケジュールが超過した場合は、別のプログラムのコストとスケジュールを減少させざるをえないことになる。したがって、コストとスケジュールの超過のリスクは問題である。

 

3.1.4 企業の発展とリスクの変化

企業は設立からビジネスの展開までの各段階で、次のような特有のリスクが発生する(図表3-1参照)と考えられる。ここで、企業の発展段階とリスクとの関係を理解しておくことは、第二創業におけるリスク発生の特徴とそのヘッジには重要であると考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


図表3-1 企業の発展とリスク

     

出所:筆者作成。

 

 

 図表3−1を説明すると、次の通りになる。

@創立期の複合リスク。企業の設立時で、通常少ない資本と人材で新しい技術やノウハウ・アイデアを前面に打ち出して船出する段階といえる。当然ながら、いくつかのビジネスとしての基本的な事柄が無視されており、あらゆる種類の経営リスクが存在しているという意味では、「複合リスク」をいかに制御・管理するかが成長への鍵となる。特に、ベンチャービジネスに対するベンチャーキャピタルの存在が必要であることからもわかるように、資金調達をいかに行うかが成長のキーとなる。

A創造性による成長期のリーダーシップ・リスク。ノウハウやアイディアの商品化に成功し、ビジネスが順調に進み出す段階である。ヒト・モノ・カネを総動員して商売をすることになり、経営者が総務、営業、財務そのほか、ほとんどすべての業務に責任を持つことになる。この時点でのリーダーシップ・リスクの対策は、経営者が総合的な視野を持つことと、将来の成長を担保するために企業の組織化を始めることである。この段階では、経営者の責務を一部肩代りする人材をどのように確保するかが課題となる。

B経営管理による成長期の管理リスク。成功をおさめ利益が出る時期であるため、需要を満たすことに目が奪われ、組織や管理上の弱点を見過ごしがちである。特に、正確な原価計算やABC分析などにより、商品別の採算計算を行うことが必要である。数値予測や経営資源管理、予算編成、部門別の業績評価、管理会計などに重点を置く必要がある。

C権限委譲による成長期の統制リスク。企業規模がかなり大きくなり、管理職のモチベーションを上げるために権限委譲による成長の持続が行わる。この段階で重要なのは、企業のビジョンが権限委譲された経営陣・管理職に明確に理解され実行されていることである。事業部制を編成するなど分権化による分散化した管理体制を統括することが重要となる。

D協調による成長期の官僚化リスク。地域的にも企業規模が拡大し、地方分権化が進むと組織の統一管理が困難になってくる。効率経営を妨げる官僚化を防ぐため、企業の原点に戻る、組織全体が一丸となるために管理職が協調・協力して動けるような、管理職教育を含めた仕組みの構築が重要である。経営者が再度中央集権化を目指す時期ともいえる。経営情報がスムーズに流れるような仕組みをどうつくるかが、課題となる。

E組織不活性化による成長期の不活性化リスク。企業の巨大化・組織化が過度に進むと、柔軟で創造的な経営の維持が難しくなる。組織の官僚化・保守化を含め構造上の無駄が著しく増え、組織に不活性化リスクが生じる。組織の一員として、個々人が自ら進んで効率的な業務活動が出来るような職場環境や仕組みづくりが、古い体制を変えるための課題となる。活性化を図るため、製販の分別・別会社化や事業分割などが、経営課題となってくる。

F上場による成長期の株式公開リスク。企業の発展段階とは別に、飛躍的な成長を目指すために巨額な資本投資を導入する株式店頭登録、または一部二部株式市場への上場の機会がある。少数株主による私的企業から多数株主による公的な企業になり、飛躍的な成長が望まれる一方、利害関係者が増え自由奔放な企業経営に歯止めがかかることになる。この段階は、利害関係者へのディスクロージャー(情報公開)やそのほかの社会的責任が問題となる。

G企業倒産。企業が経営破綻に陥ると「倒産」という状態になる。この倒産の形態には、破産、特別清算、商法の会社整理、会社更生法の適用などがある。こうなると、債権者は回収できない債権の放棄を行うことになる。なぜならば、総資産合計額よりも総負債合計額が多い債務超過、すなわち、資本の合計額を超える累積損失のある状態となるため負債(債権者にとっての債権)のすべてを資産によって、または資産を現金化して返済できないことになるからである。近年、長引く不況のなかで、倒産という言葉はよく耳にする。しかし、倒産は企業経営に際して、ごく普通なリスクの一種に過ぎない。図表3-2は戦後の大型倒産を負債総額の大きい順にリストアップしたものである。

 

図表3-2 戦後の大型倒産のベスト10

順位

時期

企業名

負債総額(億円)

業種

倒産の形態

 

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

1996年10月

1993年11月

1985年8月

1994年10月

1995年3月

1991年8月

1995年11月

1996年6月

1987年10月

1995年10月

日栄ファイナンス

村本建設

三光汽船

日本モーゲージ

大阪総合信用

恵川

兵銀ファクター

新京都信販

新和光観光開発

東京抵当信用

9900

5900

5200

5184

4370

4100

3692

3488

3090

3000

保険会社

総合建設工事

外航海運

貸金業

貸金業

料亭経営

ファクターリング

信販、貸金業

不動産売買

抵当証券

商法整理

更生法

更生法

特別清算

商法整理

破産

特別清算

破産

破産

商法整理

出所:高梨智弘著『リスク・マネジメント入門』、日本経済新聞社、2002年 

元データ出所:帝国データバンク調査資料。

 

倒産には様々な理由が挙げられる。その主要な理由として、以下の3点を挙げておこう。@経営の失敗、たとえば順客のニーズの変化を適格に把握できなかったため、商品開発に失敗したり、全社的なコスト削滅ができずに価格破壊の流れに乗れず売上げが低迷することなどがその例である。A債権先の倒産または経営破綻による債権回収が不可能な場合、これは本来の経営の失敗というよりも、相手企業の経営の失敗により被害を受けるケースである。B不慮の災害による損失、地震や水害等により工場が壊滅的な打撃を受けることやタンカーなどの船の事故などがその例である。

H株主代表訴訟。社長に権限が集中するなど、取締役会の形骸化は突き詰めるところ企業文化・経営風土に帰する問題であるが、それに一石を投じているのが株主代表訴訟である。1950年の商法改正によって、株主が会社に損害を与えた取締役の資任を間うとともに損害賠償請求を起こすことが出来るという株主代表訴訟制度が導入されたが、訴訟費用が賠債額に比例する高額なものであったため、ほとんど利用されていなかった。しかし、93年10月から施行された改正商法で訴訟費用が一件当たり一律8200円に統一されたため、急激に取締役の責任追及が増えている(表3-3参照)。代表訴訟では、取締役が損害賠償しなければならない場合以外にも、社会に対する企業イメージのダウンにつながる場合や、経営陣が退陣させられリーダーシップに間題が起きたり、組織内で社員が動揺したりすることによって経営活動にマイナスの影響を及ぼすこともある。

 

3-3 主要株主代表訴訟例

会社名

提訴年月

訴訟金額(億円)

請求内容

東海銀行

サイボー

ミネベア

大日本土木

東京三菱銀行

大和銀行

ミドリ十字

高島屋

19951

19952

1995年3月

1995年11月

1995年11月

1995年11月

1996年8月

1996年8月

403.9

83.98

180.0

64.55

95.0

14.5

240.0

1.6

貸出金債権の放棄

不公正な第三者割当増資

子会社の新株引き受け

ゴルフ場開発にかかわる債務保証

違法な貸出債権放棄

ニューヨーク支店の違法取引

薬害エイズ訴訟の和解による損害

総会対策に絡む利益供与

出所:高梨、前掲書

 

I予見不可能なリスク。純粋リスク[10]に対して保険をかけることが、その損失を回復させる手法として定着しているが、リスク・マネジメントの発展段階は米国と比較してかなり遅れていると思われる。その埋由の一つは、米国ではリスク・マネジメントと保険が密接に関係しているからであろう。すなわち、米国では、企業がリスク・マネジメントを実行すると、原則として保険料率が低くなるという変動制と競争料率制を採用しているからである。一方、日本では今までいわゆる固定制を採用しているため、リスクが低くなったからといって保険料率が低くならない結果、保険との関係でリスク・マネジメントがあまり発展しなかったと考えられる。日本でリスク・マネジメントを行う主たる理由は、もし何か大きな事故が発生し社会的な問題になると、企業としての社会責任を問われることになるので、それを回避するためであると考えられる。

もちろん、事前の予防に加え、リスクが実現した後の緊急対応・業務の再開、そして通常の業務に回復させるというビジネス・リカバリー戦略も重要である。

特に、戦争・紛争等が経済のボーダレス化や企業のグローバル化が進むにつれ、浮き彫りになった。国際的に活躍する企業は大小を問わず国際的な紛争に巻きこまれる可能性があることを前提に、リスク・マネジメントを行う必要がある。1990年8月、イラクのクウェート武力制庄に端を発した湾岸戦争の勃発などは、記憶に新しい事態である。また、東欧やアフリカでは民族紛争・宗教紛争が多発している。カントリー・リスクの調査が重要となるのは、戦争・紛争等のリスクが非常に大きいからである。

また、海外駐在員などの不慮の事故も同じように、国際化が進むと、当然ながら海外駐在員が増加することになる。当地での交通事故をはじめ、あらゆる事故が考えられるが、1986年に三井物産のマニラ支店長、若王子氏がフィリピンで誘拐された事件のような要人の誘拐もその一つである。また96年12月に起きた、ペルーの首都、リマで起きた政治的な要求を掲げた日本大使公邸人質事件で数百人(うち日本人も百数十人)が公邸内に監禁され、一部の人質が解放されたものの長期間にわたる拘着状態の後、最終的には少数の犠牲者で武力解除されたケースなども記憶に新しい。

上述のリスクの中には、第二創業の展開においても伴うリスクもあれば、第二創業がゆえに、第二創業の特質によってヘッジ出来るリスクもあろう。これについて、後説では詳述する。

基本的な対策で最も重用だと思われることは、日本と外国とは「安全性の程度に大きな差がある」という認識をしたうえで、普段からリスク意識を持ち、些細なことでも実行することである。スイスの世界経済フォーラムの97年競争カランキングで二位になり、また一人当りの所得水準も先進国と同じような高さで、カントリー・リスクも高くないと思われている香港では、住居の玄関の扉に鉄格子の扉をつけ二重にしている。海外では、国民一人一人がリスク・マネジメントを実施するという気持ちが特に重要だと考えられる。

 

3.2 企業におけるリスク・マネジメント理論

3.2.1      リスク・マネジメントの定義

 リスク・マネジメントの定義もリスクの定義と同様、文献によって異なる。その代表的な論者と論述は次のようになっている。

レニーは、「リスク・マネジメントは、……会社のさらされているすべてのリスクを分析し、記録するように期待されている。……企業は革新と拡張のプロセスが進行する中で、リスクを回避する新しい方法を探索する意欲を含むものである。企業のリスク・マネジャーは、リスク軽減の目的を達成すべく、すべてのビジネス・リスクを分析・測定・分類するスタッフ・スペシャリストとなるべきであると考えられる」[11]と述べている。

 最も早くリスク・マネジメントテキストを著作したメーアとヘッジスは、「経営管理上の機能としてのリスク・マネジメントは、企業の保険管理より大きく、全般管理より小さいもの[12]」という立場をとった。「リスク・マネジメントが保険管理を有効ならしめるために最適な組織と基本方針と種々の手段を用いて、いろいろな危険を管理すること」と定義する。メーアとヘッジスは対象リスクを「すべてのリスク」とすることがなく、「ある特定のタイプのリスク」を対象とした。この特定のタイプのリスクとは、損失の発生のみに関わるリスクであり、かれらの用語では非投機的リスクとされている。

ウィリアムズとハインズは、「リスク・マネジメントの目的は、企業の目標ないし目的と一貫して純粋危険の悪影響を最小限のコストで最小化することである[13]」と述べている。

また、ローゼンブルームは、「マネジメントは企業の究極的利潤に影響を及

す純粋危険の全局面に対する経営者の管理機能である[14]」と定義する。

バグリーニは、「マネジメントの目的とは、ロス・コントロールとロス・ファイナンシングの最善の組み合わせによって、純粋危険の費用を最小化するような企業資金割り当てを行う経済過程である[15]」と定義する。

ドーマンは「リスク・マネジメントは個人や企業が直面する損失の可能性の問題を解決するための科学的方法である[16]」というように定義している。

日本リスク・マネジメント学会長亀井利明は、「リスク・マネジメントは企業の倒産を防止し、企業経営の合理的運営を図るためになされる企業危険の科学的管理である[17]」と定義付けている。

上述の定義の方法はそれぞれ異なるが、リスク・マネジメントの対象リスクとの関連から、定義は次のような二極に示すことができ、その一極が企業活動全般に作用するリスクを対象とする見解であるのに対し、もう一方の極は損失のみ発生せしめるタイプのリスク(純粋リスク)を対象とする見解からの定義である。[18] 

前者の代表的論者はレニーであり、彼の論述が最も広義にリスク・マネジメントを把握しているとみられる。それ以外の論者は、多少対象リスクを若干狭くとらえて、リスク・マネジメントを論じているに読み取れる。

以上をまとめると、一般にリスク・マネジメントと言うと、経営リスクをいかに管理するかの仕組みを意味する。そこでリスクの表現の仕方によって危機管理・危険管理・リスク管理などの呼称が使わる。

そして、現在一般的に使われているリスク・マネジメントの定義は「保険や安全対策、さらには経営戦略などを活用して事業の偶発的あるいは人為的な損失(リスク)を発生しないようにし、もしリスクが発生した場合には、それを最小化し、さらに実現したリスクに適切に対処する経営管理の方法」となる。

経営リスクを避ける秘訣は、まず関係者がリスクに対してそれが起きるかもしれないことを常に認識していることである。次に、起きるかもしれないリスクに対して前もって理解し、いざという時の心構えができていることが重要である。そしてリスクが起きるかもしれない時、起きてしまった時の、さらには起きないように予防するための実際の行動が出来る仕組みとその行動に精通していること、つまり、経営リスクとその対応の仕方を認識して理解し、自分のものにしていることが必須の心掛けである。

 

3.2.2 リスク・マネジメントの形態の類型

 リスク・マネジメントの定義に関しては、研究者よりそれぞれ異なるが、その類型は次の三つに分けられるのが一般である。それらの類型を、南方哲也は『リスク・マネジメントの理論と展開』[19]の中で、保険管理型、経営管理型、経営戦略型といった3つのリスク・マネジメント形態に分類している。南方氏の論述によると、3つの類型のそれぞれの特徴は次のようなものである。 

(1)保険管理型リスク・マネジメント。主として純粋リスクを管理の対象として、危険処理手段の中核に保険の合理的な利用を考え、そして、その前段階として、事故の防止を図る。しかし、純粋リスクにおけるすべての保険可能リスクが保険化出来るとは限らないため、保険外管理をどの範囲まで導入するかによって保険管理型リスク・マネジメントの内容が異なる。また、保険可能リスクの中にも、現実には保険をかけることのできないリスクも存在する。これらの保険不可能リスクに対する保険外管理をどのように処理するかによっても、保険管理型リスク・マネジメントの内容は異なるものとなる。保険中心に構成された保険管理リスク・マネジメントは、保険の選択・実行に伴う資本、資金、資産の維持管理を行う財務管理の一部という特徴をもつ。しかし、近年の企業において、物的なリスク以外のリスクが巨大化したため、保健管理だけでは、フォローできない部分は大きくなったのは現実である。

(2)経営管理型リスク・マネジメント。純粋リスクのみならず、一部の投機的リスクをも含めて企業リスク全般をその対象とする。そして、処理手段として、必ずしも保険を中心に考えるものではなく、管理の科学的処理を現場管理ではなく、部門管理レベルで取り扱おうとするところにこの種のリスク・マネジメントの意義がある。その内容としては、リスク処理の計画、リスク処理の組織、リスク処理の調整、リスク処理の統制からなっている。

(3)経営戦略型リスク・マネジメント。経営管理型リスク・マネジメントと同様、純粋リスクのみならず、企業リスク全般をその対象とする。つまり、企業リスクの全般を部門管理としてのリスク・マネジメント部門で集中的に処理しえないという認識から考え、企業リスクを全般管理リスクと部門管理リスクに分類することによって、部門管理リスクを対象とする経営管理リスク・マネジメントに対して、全般管理リスクを対象とするリスク・マネジメントを経営戦略リスク・マネジメントとして類型化したのである。経営戦略型リスク・マネジメントは、リスク処理の具体的な執行活動は行わず、各管理部門でのリスク処理は、その担当部門の活動に任せ、いわゆるスタッフとしての機能を果たす。したがって、経営戦略型リスク・マネジメントは全般管理と部門管理に関連したリスクに対する助言、助力、調整、監視などのスタッフ機能を遂行するものであり、とりわけ、投機的リスクや経営戦略的リスクの取り扱いが重要な意味をもつ。ここに、海外の進出、海外への投資のリスク・マネジメントが含まれる。

最近の傾向をみれば、従来の保険管理型リスク・マネジメントから、経営管理型リスク・マネジメントへ、経営戦略型リスク・マネジメントへ移転する企業が増えていることがわかる。

 

3.3 企業経営環境の変化とリスク・マネジメント

 経営環境が激しく変化する現代の企業にとって、過去の成功に学ぶよりも、失敗を避けて経営リスクをどのように捉え、どう対応するかというリスク・マネジメントが重要な時代が到来したといわれている。この章では、リスクは経営環境の変化と共に、どのように変化しているかを検討することを通じて、現在企業が求めているリスク・マネジメントはどのようなものか、また第二創業においてどのようなものが求められているかを究明していく。

 

3.3.1      経営環境の変化によるリスクの変化とリスク・マネジメント

 現代の企業は、その存続を危うくするほどのさまざまなリスクに囲まれているといって過言ではない。そこで、企業を取り巻く経営環境を見ると、1990年代の後半にはメガコンペティションといわれるような厳しさを増しているような環境である。21世紀に続く激しい企業競争を勝ち抜くために、従来の経営にかえて経営者は何をすればよいのか?まったく新しい経営手法を開発しなければならないのか。それとも成功事例に学べばよいのか?という疑問に対して成功事例も経営環境がまったく違ってしまえば、参考になるとは限らない。したがって、過去の成功の手法に学ぶよりも、失敗を避けて成功のために経営リスクをどのようにとらえどう対応するかという、経営リスクを管埋するリスク・マネジメントが重要な時代が到来したのであろう。それは、顧客の志向、技術の進歩、為替変動、規制緩和、経済のボーダレス化など21世紀に向けて経営環境が以前にも増して激変することが予想されるため、リスク要因も著しく変化するからである。ここで、激変する経営環境の本質を見極めるために、その変化の構造を分析し、まったく新しい市場の出現に企業がどのように対応していくべきなのか、リスク・マネジメントを通した解決策を提案する。

戦後50年間の経営環境の変化と、これから21世紀前半までの50年間に予想される経営環境の変化を明確な形でとらえることが、経営者にとって、新しい展開を予測し、いかなる経営リスクにも対応出来るようにするためには重要である。このような「変化を前提とした経営」と、「変化によって生じるリスクを直視する経営」という二つの観点を踏まえて、特に経営戦略そのものにリスク・マネジメントを組みこむことが、メガコンペティションを生き残る鍵となるであろう。

1.経済高度成長時代の経営環境とリスク・マネジメント

図表3−4を参照してみると、景気の波があるとはいえ、市場拡大の流れに大きな変化はなく、同一のパラダイムの中で同一の経営手法を実行出来るという意味において継続的な上昇波動といえよう。

 

 

 

 

 


 

比較的長い期間

 

 
図表3-4 過去の経済発展(景気循環)の波

出所:高梨、前掲書。

 

 

長期展望に基づいた経営情報の分析に重点が置かれたタイプ

 

図表3-5 従来の戦略的経済アプローチ

 


      出所:高梨、前掲書を元に筆者が加筆作成。

 

戦後の五十年のほとんどは、終戦直後の混乱期と最後のバブル経済崩壊時を除き、右肩上がりの経済と言える(図表3-4参照)。右肩上がりの経済では、景気の好不況の波があるとはいえ市場が拡大しており、経営リスクは主として生活をより豊かにする機能向上型製品を開発出来るかどうかにかかっていた。すなわち、物不足時代に完全に売り手市場で、企業の戦略の重点はいかにより多く生産し、より大きなシェアを獲得することであった。このような意味においては、パラダイム(内容については次項で詳述)は変化しておらず、経営情報の分析に力点を置く伝統的な経営手法を的確に実行することに目的が置かれていた(図表3-5参照)。顧客の欲しいものを、じっくりと時間をかけて分析し、その分析結果に基づいて商品の開発・製造・販売戦略を策定し、それを実行すればよかったのである。全体のサイクルタイムが10年以上というケースも珍しくない時代であった。

しかしながら、バブル経済を経て戦後の一つの目標であった経済復興と豊かな社会づくりがある程度まで達成されると、消費者の求める物が変わってきた。現在は飽食の時代と名づける人がいるほどモノ余り時代であり、顧客ニーズは多様化しているため、市場がすでに買い手市場に変わった。個々のニーズをどのように経営システムの中に取りこむかが、最大の経営リスクとなっている。このような意味においては、従来の右肩上がりのパラダイムが変化し、今は図表3-6にあるごとく、不連続の上下波動の時代と言えるであろう。このような環境では、顧客ニーズをつかんだ短期で柔軟な経営戦略の実行に重点が置かれる。

このような時代には、新しいパラダイムに合わせた戦略、すなわち、変化する環境のなか、即断即決で戦略を実行する新しい型の戦略的経営アプローチ(図表3-7参照)が最適となる。志向の変化した顧客に合わせた新しい経営戦略の練り直しには、市場の変化に即した経営情報分析の見直しなどが必要になる。さらに、その経営情報の分析から、単一なる経営戦略を打ち出すだけではなく、市場や顧客のニーズにおける変化が発生した場合、すぐに対応出来る変化に対応出来るように、複数の経営戦略を策定し、すばやく実行に移るパターンになっている。したがって、情報収集・分析から最後の戦略の実行までのサイクルタイムも短くなった。

 


図表3-6 現在の経済発展(景気循環)の波

 


出所:高梨、前掲書。

 

 

 

 

 


図表3-7 変動の時代の新しい戦略的経営アプローチ

変化に対応出来る複数の戦略を策定と実行に重点が置かれたタイ

 
 

       出所:筆者作成。  

 

2.パラダイムシフトを招く環境条件とリスク・マネジメント

右肩上がりの経済が終わり、いわゆるバブル経済も崩壊し、1990年代後半から先行き不透明な状況が続いている。80年代と比較してみるとわかるように、経営環境は以前とは様変わりであり、そこにはあらゆる状況の変化が見られる。

経営環境の劇的な変化によって、経営者は利益を出すために、従来とはまったく異なった経営手法の実行を余儀なくさせられている。このような時期をパラダイムシフトと呼んでいる。

米国の科学史家トマス・クーン博士によると、パラダイムシフトとは「科学者に一定の期間、問い方と答え方のお手本になるような古典的業績」である。このバラダイムを経営の場面に応用したのが未来学者のジョエル・A・バーカーである。バーカーによれば「パラダイムとは、境界を決めるルールや規則を意味し、その境界の中で何をすれば成功することが出来るかを教えてくれるもの」となる。すなわち、パラダイムはそれに従わないと損を被ることになるビジネスのルールや枠組みのことを言っている。

そこで、パラダイムシフトが起きた場合には、今までとは比較にならないほどリスク・マネジメントが重要となる。また、新しいリスク・マネジメント手法を導入することも成功要因のひとつとなる。

古いパラダイムと新しいバラダイムの例には、次のようなものが考えられる。少し遠い過去のパラダイムは、地球説における平らの地球・天動説から丸い地球・地動説までの変化、政権における王権神授から民主主義へのシフトなどが、人類の歴史に根本的な変化をもたらした。近代においてのパラダイムは、政治体制における共産/社会主義と資本主義の対立から資本主義を認める共産主義への変化、価格における上昇から価格破壊へのシフト、品質における製品の品質重視から経営の品質重視へのシフトなども、近代社会とくに経済に対して大きな影響を与えてきた。

パラダイムシフトに乗り遅れた例は、枚挙にいとまがないと言える。チェスター・カールソンが発明した20世紀最大のヒット商品「コピー機」の原型の特許を、大手写真会社やコンピュータ会社、電話会社がパラダイムシフトとして見分けられず購入しなかったため、ビジネスチヤンスを逃してしまったことや、スイスの時計業界が「ゼンマイ」仕掛けの従来の時計技術にこだわりクォーツ時計の流れに乗り遅れた事例などが挙げられる。また鉄道会社がトラック輸送の優位性に気付かなかったこともその一つである。大型コンピュータメーカーが、パーソナルコンピュータ(以下パソコン)が出現した初期の時代にその可能性に目が向かなかったこともまたパラダイムシフトに乗り遅れた例の一つである。このようなパラダイムシフトを招く主な環境条件の変化は、以下の通りである。

@市場の変化

大店法の改正による店の大規模化、「貨物自動車運送事業法」の施行によるトラック事業の参入規制が免許制から許可制へ、金融・保険・証券の事業規制の撤廃による、いわゆる日本版ビッグバンなどの規制緩和や、団塊の世代とその子供たちが大きな購買層になるような人口構造の変化、通信販売やインターネットなどの新しい販売チャネルの導入、グローバル化の進展による新規参入、などの影響で市場の構造が急激に変化してきている。新しい市場に適切に対応するために、大量仕入れ・共同仕入れなどによるコスト削減の必要性、新しい商品の研究・開発、消費者行動に合った販売方法の構築、競争激化に対応するための、新しい経営の仕組みづくり等が重要となる。

A技術の変化

これまでのパソコンの普及に見られるようなダウンサイジングの進展や、半導体の発展と利用範囲の拡大を見ても、またインターネットの出現を見ても技術の変化のスピードアップは一目瞭然である。今まで考えてもみなかったような新しい商品の出現、既存の商品の品質向上・コスト削滅・小型化には著しいものがある。

高度技術の導入は、製造工程や製品自体の小型化やスピード化に効果があるだけではなく、経営管理や経営手法そのものに大きな影響を与えている。たとえば、電子メールやイントラネットによる、効率的なコミユニケーションの普及によって、間接部門の改革が急激に進んでいる。

B顧客の変化

飽食の時代といわれるように生活レベルが上がった消費者が、個性を主張し始めたり、本物を求め始めた結果、企業側からみた顧客の質が急激に変化している。それは必要だから物を買うのではなく、より生活を豊かにするために物を購入し、サービスを受けるため、より目の肥えた顧客が意思を主張する消費行動が増えているからである。

顧客の変化は、企業の商品供給体制を少品種大量生産型から混流ラインのような多品種少量生産型に変更させている。すなわち、経営資源に基づく生産体制に合わせた固定的な生産から、顧客の要求に合わせた柔軟な生産への変更を意味する。

C競争の変化

バブル経済の崩壊とその後の先行きが不透明な経済状態、また、海外からの圧力による各種の規制緩和による競争条件の変化や前述した市場、技術、顧客などの変化から、競争そのものの形が変わってきている。パラダイムシフトが起きているため、従来と同じ舞台での競争激化ではなく、まったく新しい場での新しい競争状況が出現していると考えた方が適切であろう。特に、顧客の変化が新しい市場での新しい型の競争優位を確立することを求めている、と考えた方が良いといえよう。

D経済構造の変北

バブル経済の崩壊後、土地価格の下落や株価の暴落により担保価値が激減し、借入れができず資金繰りが悪化し結果として、倒産企業が増え、不良債権間題が表面化した。その結果、銀行などの経営破綻が起き、経済構造の変化が始まったといわれている。特に土地や有価証券の担保価値がなくなり、中小企業のファイナンスに問題が生じており、従来型の金融システムが崩壊したといわれている。そこで、通産省の中小企業支援の政策によるベンチャービジネス研究の動きを始め、1996年頃から民間企業を中心としたベンチャーキャピタルが次々と創設された。

米国でエンジェルと呼ばれている個人投資家は、通常のベンチャーキャビタルが投資をしないような技術やユニークなアイディアを持っている零細企業にも投資をしている。日本でもこのような個人投資家が組織化を図る動きが起きている。

E為替の変動

輸出企業にしろ輸入企業にしろ、為替の変動は企業の収益に直接影響を及ぼす。外貨と円の換算によって輸出は企業の売上高に、輸入は企業の売上げ原価に直接かかわる。この為替の変動を長期で見ると、ほとんどずっと円高に動いてきたといっても良いが、企業活動では、通常は短期に資金を動かすため、短期の為替変動が重要な影響を与える。したがって、為替の変動に対応出来る体制をつくっておくことが重要である。そのために、外貨建て債権・債務を同額にし、為替のポジションを均衡させる対策をとっている企業もある。

F責任の変化

株式を公開した上場企業だけではなく、非上場企業であっても企業の規模が大きくなるとともに、社会に対する影響も大きくなる。さらに世界的な市民運動の高揚と相まって急激に企業の社会的責任が問われるようになってきている。株主代表訴訟やPL法などでも、その責任範囲が急速に広がっているといえる。企業内の業務清動を改善するなどの企業システムに対する内向きの責任から、地域社会や顧客などに対する外向きの責任に住目が集まってきている。

 

3.3.2 経営環境変化によるリスク・マネジメント内容の変化

経営環境が変化する時代には、特に企業を取り囲むリスクをいかにコントロールするかが重要となる。そのためには適切な仕組みが必要であり、その仕組みを動かす人が鍵を握ることになる。もちろん、企業の存続にかかわるだけでなく、経営者や従業員の安全、さらには社会全体にも大きなダメージを与える可能性もある。このような意味では、リスク・マネジメントを適切に実行することが、企業の社会的責任といえる。

高度化し、且つ複雑化した経営環境では、ヒト・モノ・カネの三要素に、情報・トキ・企業文化を加えた6要素の経営資源を適切に配分することが必要である。トキは経営資源のタイミングや経営戦略実行の速さなども含む概念である。

経営の国際化が進み、日本企業は経営の透明性と社会責任を求められ、地球的な視野からのリスク・マネジメントが必要とされている。

スピードヘの対応や変化の本質を見極めることは困難なことであるが、企業にとって、環境の変化に対応した経営改革を行うことが競争に勝つ最大の方法である以上、その変化に対応するリスク・マネジメントを考えなければならない。具体的に次のようなものとなる。 

1)トキのリスク・マネジメント

高度化し複雑化した経営環境のなかでヒト・モノ・カネと言われる3要素の経営資源だけでは、激しい競争について行けなくなっている。今はヒト・モノ・カネの3要素に加えて、情報・トキ・企業文化を含めた6要素の経営資源を少なくとも適正に配分することが必要と言われている。この第5の経営資源「トキ」は、時間の流れや経過ばかりでなく経営資源投入のタイミング、経営戦略実行の速さ、市場の状況や成熟度、経営環境への適応度合い、企業体制の良しあしなどを含む概念である。

経営資源投入のタイミングを含む「トキ」に対するリスクの大きさは、特に経営環境の変化の程度に比例すると考えられている。そこで、以下に主要な経営環境の変化について説明する。

@高級化。何年か前に、バブル経済の影響の一つとして3000ccクラスの高級車「シーマ」が飛ぶように売れ、当時「シーマ現象」と言われて高級化の代名詞となった。それはカネ余り現象と言われ、富裕層が増えただけでなく、物品税の廃止や初回の車検が二年から三年に延びたことなどによる高級品の値ごろ感からの販売増であった。飽食の時代と言われるように、生活必需品がすべて揃った結果、より豊かになり、人とは別なものを持っているという充足感などが、このような高級化の消費行動を助長した。企業は、このような経営環境の変化を的確に捉え、迅速な対応をする戦略の実行が重要となる。バブル経済やその崩壊を含め、経済の好不況による市場の変化を敏感に察知するリスク・マネジメントのシステム構築の必要性も生まれている。

A健康ブーム。飽食の時代に入り、消費者はより個性化・多様化し、高級化以外に本物志向や自然回帰志向が台頭している。このような流れのなかで、物に対する要求から精神的なものや健康重視といった要求への傾向が顕著になっている。21世紀に向けて高齢化の進展も考慮すると、このような健康(精神的な健康を対象とする消費志向も含む)をベースにした消費志向は変わらないと考えられる。事実、ビタミン剤やドリンク剤などの健康関連の飲食物、農薬を使わない有機栽培の果実や野菜、さらには、保存科や着色料を使用しない無添加食品などが増えている。

B世代交代。高齢化が進む人口構造の急激な変化は、シルバー層、団塊の世代などと言うようなそれぞれの年代に応じた大きな購買層を形成している。特に、ファミコン世代からパソコン世代へ脱皮した若い人たちが、新しい高度情報社会で核となって活躍することが期待されている。この世代は、高度情報技術を無意識に取り入れることの出来る新世代であり、情報関連産業の発展を支えている。また、飽食の時代に育った世代が、新しい個性を核とした、まったく新しい市場を構成している。それぞれの購買層のニーズに合わせたマーケティングや商品・サービス開発が重要となるとともに、考え方や生活信条がかなり異なる各層の職場での協調協力関係も重要な経営課題となっている。

C価格破壊。バブル経済の崩壊などによって購買力が低下した結果、販売競争が激化している。さらに、市場競争は予想を上回る価格破壊の進展によってますます激しいものになってきている。それは、グローバル化の進展、規制緩和、円高、購買力低下に対応するためのコスト削減競争などによる価格引き下げ競争が激しくなってきているからである。なかでも、清涼飲料水、ファーストフード、紳士服、パソコンを中心とした電子機器がその先陣をきっている。価格破壊の進展は、企業のコスト削減競争の焦点を、製品コスト中心の削滅から企業経営全体のコスト削減に転換させることを意味している。

2合併・買収(MA)のリスク・マネジメント

M&Aの本質は、「トキを買う」ということである。メガコンペティションの中で、企業の多くは不採算部門の削減や支店の統廃合、さらには人員削減によるコスト削減や経営の効率化を進めてきた。このような規模の縮小による経営環境の変化への対応とは別に、規模の拡大戦略がM&Aである。M&Aを行う理由は、ゼロからビジネスを作り上げていると激しい経営環境の変化について行けないからである。工場の建設や人の雇用、また技術や商品の調査研究だけではなく、販売チャネルや顧客などすべての経営要素を確立するには時問がかかる。そこに変化の激しい時代に「トキを買う」M&Aを実行する理由がある。M&Aのリスクは、多額の投資を必要とする、対象となるビジネスの価値評価が適切にできないかもしれないということである。それは、純資産の時価評価、特に営業権や将来収益の現在価値の測定・評価が難しいからである。さらに、M&Aはニつの人の集合体が一緒になるために「合併・買収による統合は文化的な特徴に対する適応を通じて二つのグループが同化を試みる一つのプロセスとして見ることが出来る」[20]と言われるように、人の文化や精神にかかわるケアーが重要である。

3)環境変化と継続的改善を内容とするリスク・マネジメント

経営環境が激しく変化する時代には、企業経営の全システムが改善され続けなければならない。そのためには、従来の状況を打破するための新しい経営手法の採用・適用と、それを継続的に実行し必要があれば柔軟に変更することが重要となる。環境変化に対する対策の主なものは以下の通りである。

@リストラ。工場の閉鎖、支店の統廃合やダウンサイジングなどの不採算部門の縮小、余剰人員の削滅などを中心とした主として規模の縮小による組織の再構築をいう。一般に、不況期にとられる経営手法である。他にリストラの例としては、組織再編などによる経費削滅、間接部門の人員削減、生産ラインの統合、コストの安い海外生産へのシフトによる工場の合理化、新卒者採用中止などが挙げられる。

Aリエンジニアリング。抜本的な企業改革を行うために、縦割りの機能別組織を超えて、顧客二−ズの充足・顧客満足という観点から横断的な業務プロセスを抜本的に再編成するトップダウンのアプローチのことである。

Bベンチマーキング。ベンチマーキングとは、現状のプロセスなどを業界内外問わず、他社のベストプラクティス(最善の業務方法)と比較することにより、そのギャップを分析し現状を抜本的に改善・改革していく有効な経営手段・方法論である。

リストラ・リエンジニアリング、ベンチマーキングのそれぞれの特徴についての比較は、図表38の通りである。

 

図表38ベンチマーキング・リエジニアリング・リストラチャリングの比較


出所:筆者作成。

 


 図表8が示すように、ベンチマーキングなど3者すべての改革であっても、改革の思考の方向性をみると、ベンチマーキングは、成功例に学ぶ経営者マインドからするとプラス思考と考えられる。リエジニアリングは、リスクを避ける経営者マインドからすると、マイナス思考がみられる。リストラチャリングは、短期思考で合理化という意味ではマイナス思考もみられる。

 経営変革に対応するリスク・マネジメントとして、プロセスの再編成をするリエンジニアリングが効果的である。エンジニアリングは、採算の悪い事業や工場の売却・閉鎖、支店の統廃合、さらには人員を削減するリストラとは異なり、仕事の進め方やプロセス自体をゼロベースで考え直して、漸進的な改善ではなく飛躍的にパフォーマンスをあげる新しい経営改革手法である。

 このリエンジニアリングの本質は、マイケル・ハマーの表現を借りると「もし今日、車や雑誌を作り売り始めるとしたら、今、あなたがどのようにしているかとは別にどうしようと思えるか?」となる。すなわち、競争に打ち勝つためには、顧客が満足する商品やサービスを提供するために最適な業務プロセスを構築することである。

 リエンジニアリングのリスクは、ベストな抜本的方法を考えつくかどうかと、仮に抜本的方法を導入できたとしてもプロセスを抜本的に再編成するため、従来の方法に慣れ親しんだ社員の抵抗に遭ったり、また社員の能力不足などのためにそれに積極的について行けないかもしれないということである。

 リエンジニアリングを成功させるには、経営環境に適した最善のプロセスをどのように構築するかが鍵となる。

一方、ベンチマーキングは業界内外のベストプラクティスに学ぶため、すでに成功しているという事実があり、リエンジニアリングの目標を提供する経営手法ともいえる。

 すなわち、現状を打破するプロセスを明確にでき、それもベストプラクティスという事実に基づく経営が出来るため、変革を行う場合に社内のコンセンサスを得やすいと言える。

 ベンチマーキングの定義は「広く業界内外の優れた業務の実行方法(ベストプラクティス)を学習し、自社と他社とのギャップを埋め、さらには、そのレベルを凌駕して、業績を飛躍的に改善するための経営変革手法」となる。

 業界外のベンチマーキングは、比較対象をプロセスに落とし込むことで、業績の壁を超えて企業の標準的業務活動のベストプラクティス (最善の業務方法) に学ぶことが出来るため非常に有効である。

 日本企業の生産性を向上させてきたのは、どちらかというと製造部門の生産性向上に力点が置かれていたTQC(トータル・クオリティ・コントロール) だったが、現在は経営全体の品質向上を図るTQM(トータル・クオリティ・マネジメント)が重要であると言われている。

4)国際化や海外進出に伴うリスクとリスク・マネジメント

 国際化は、海外への進出という「内→外」の国際化と、規制緩和や自由化により外国企業の活動の舞台を日本国内に提供する「外→内」の国際化がある。どちらにしろ、国際的な競争条件(クオリティー、コスト、サイクルタイムなど)の差によるリスクとそれらの関係が変化することによるリスクが考えられる。

 米国で大和銀行が、支店における不正事件の隠蔽によって業務停止を受け、米国から撤退しなければならなくなったり、A社の価格カルテルに対して司法省に提訴され、司法収引をしたにもかかわらず、関係した役員個人が反トラスト法違反の疑いで起訴されたりするなど、日本企業は厳しい現実に直面している。

 これらは、経営の透明性と社会責任を求められているものであり、経営者は自ら襟を正して、グローバルな視野からリスク・マネジメントを実行しなければならないことを、真肇な態度で受けとめなければない。その原因としては、次の2点を挙げることが出来る。

@文化の違い。文化の違いといえば、日本人が国際パーティに招待された際に、言語の障壁のためか、それとも出不精なのか、出席したがらない人が多く見受けられる。また、出席しても仲間だけで集まったり、発言もあまりしない。 国際社会では「沈黙は金」ではなく、むしろ「雄弁は銀」と考えるべきであろう。さらに発言しても主張がないと言われたりする。ビジネス社会ではコミュニケーションが大事であり、欧米人に負けない日本のビジネスマンもいるが、一般論として日本人は異質だと思われがちである。さらに、日本人はタテ社会やムラ社会に住むと言われるように、米国のような契約社会と違って通常の会話のなかでも、あまりコミットメントはしないと言われている。たとえば、「YES MAN」と言われたように長い間、自己主張がないと言われてきた。それは照れの場合もあれば、単に「はい」というあいづちを打つ意味で「肯定」を意味していないこともある。このような曖昧さは日本独特の文化であり、契約社会では通用しないと考えるべきであろう。

A    日本的な経営管理方法の違い。アジアの他の国や、欧米のそれとの違いも

良く理解しておかないと、海外子会社や合弁企業での労働争議や紛争の種になることに気をつけなければない。

日本は、どちらかというと、一般のビジネスマンはジェネラリストの集まりであり、人と人との付き合いが重要視されている。そこで、「会社=人」という構図が見えてくる。このような意味で、終身雇用や年功序列型の「人の階層」が出来る。日本独特の人間関係の中での横並び意識や総論賛成各論反対などがその例である。中国は、日本と比較すると、個性を重んじるスペシャリストの集まりと言え、人間関係ではなく技能をより重要視する。そこで「会社=技能」という等式が考えられる。どちらかと言うと、仕事に直結した「技術の階層」が出来る。したがって、年齢とは無関係に能力が高ければ給与も高いという能力主義が最近だんだん成り立っている。つまり、個性や個人の主張が重んじられる。

 こういった要因で発生したトラブルは国際化に伴うリスクである。そのマネジメントとして、まず異文化を勉強する上、充分に認識し、お互い尊重しあう関係の構築から始めるしかないと考える。

 

3.4 第二創業におけるリスク・マネジメント

 前章において、現代企業における第二創業の必要性優位性を分析した。第二創業は、起業と異なる特徴をもっている。地方企業である以上、企業経営上のリスクも当然生じてくる。しかし、第二創業の特性によって、第二創業に伴う特有なリスク・マネジメントも生じうるが、地方従来一般企業経営に伴って発生するリスクをヘッジする効果がある特徴をも持っている。ここで、それを具体的に見てみることにする。

 

3.4.1      第二創業におけるリスク・ヘッジ効果

 第二創業はそもそも、経営環境の変化に対応し、企業を存続させ、活性化するための企業の行為である。それゆえに、ある意味では、一種のリスク・ヘッジ行為とも捉えられる。その代表的な側面は次の2点を挙げることが出来る。

@    起業期の資本・人材・ノウハウ不足のリスク。

第二創業はある意味では一種創業でもあるが、第一次創業の基礎をもっているのが一般的である。そのために、普通前述のような起業から企業への発展プロセスの中から、資金調達・仲間集めや、会社の設立といった過程を省くことが出来る。つまり、会社がすでに存在し、資金も持っており、既存人材やノウハウもあって、それを新たに調達するのではなく、新しい事業に生かすだけの問題になる。そのため、第二創業は起業期における資本・人材・ノウハウ不足のリスクを回避する効果があると考える。

 中でも第2章で述べたように、事業の枝葉を広げる「多角化」型第二創業や、システムの転換による第二創業、社内ベンチャー型の第二創業は、起業期の資本・人材・ノウハウ不足のリスク・ヘッジには特に有効である。

A 組織不活性化による成長期の不活性化リスクのヘッジ

前節でも触れたように、企業の成長につれて、それぞれの発展段階には異な

るリスクが発生する。その一つは企業の発展につれ、組織の官僚化・保守化を含め構造上の無駄が著しく増え、組織に不活性化リスクが生じる。第二創業は創業の繰り返しによって、企業が再び原点に戻り、絶えず新陳代謝機能を高めていく効果を発揮する。

 例を挙げると、同じく第2章で触れたように、産官学連携や異業種の交流によって、同じ事業でも、新しい業態への転換によって、常に新しい風に吹かれ、新しいノウハウをもらうことによって、組織を活性化させることがである。

 また、システムの転換による第二創業も同様、取り扱い商品そのものや業務が従来通り変わらなくても、システムの更新によって、新しい生命力が吹き込まれ、活性化することが出来る。

 このようなリスク・ヘッジの効果を利用して、第二創業によって、企業の存続を図る企業家は少なくない。

 

3.4.2 第二創業に伴うリスク・マネジメント

 第二創業による環境の変化や経営改革は企業競争に打ち勝つ最大の方法である。しかし、企業である以上、リスクが発生し、リスク・マネジメントが必要である。ここで、第二創業を展開する際のリスク・マネジメントを次のようにまとめることにしよう。

 第一、情報の収集システムを整備する。

リスク・マネジメントは危機を認識するところから始まる。そのために、社内に「情報の収集管理システム」が確立されなければならない。というのも、情報化が急速に進展した今では、情報収集システムは事業成功するか否か、リスクをヘッジ出来るかどうかの決め手となりうるからである。特に、第二創業を決めると、新しい分野や、業態、システムなどの対する認識の成功には、情報の収集システムが決定的に重要なポイントとなる。

また、情報収集システムの整備をチェックするためには、以下のシステムを確立しなければならない。@情報は、分類され、ランクつけて収拾されるシステム A「自社のマイナス情報」を徹底的に伝達するシステム B同業他社情報を生かす工夫を勉強するシステム

こういったシステムが確立できれば、リスク・マネジメントに必要な情報収集がまず出来ると考えられる。 

第二、危機情報はトップに伝達される体制を樹立する。

危機管理情報システム確立するためには、危機情報を必ず企業トップに伝える仕組みになっていなければならない。

そこで、この危機情報はトップに伝達される体制をチェックするために、以下の質問表をつくる必要がある。その内容は次のようになる。@危機管理は担当スタッフとトップマネジメント層との共通認識はあるか? A「マイナス(危機)情報こそトップへ」という共通認識はあるか? B危機対応組織はトップ直轄になっているか? C危機情報がスムーズに伝えられるための工夫はなされているか?

以上の質問に対して、すべて「YES」であれば始めて、危機情報がトップに伝達される体制になっていると考えられる。

第三に、危機情報は水平方向に伝達するシステムをつくる。

 前述したように、リスク・マネジメントは経営戦略型が理想的である。すなわち、危機管理は総力戦である。担当部門だけではなく、関連部門すべて協力して取り組まなければ、企業危機が発生する場合、乗り切ることが困難になる。したがって、万一企業危機が発生した場合、その危機情報が関連部門に迅速に伝えられるシステムがあらかじめ整っていなければならない。

 そこで、危機情報を必要部門に伝達する必要性はまず全社で理解すること、連絡必要部門はあらかじめリストアップされること、自社の危機体験情報はしっかりインプットしておくこと、自社の危機体験情報を関連部門に伝達際のマニュアルを作成しておくことが必要である。

 第四に、情報を的確に評価・判断するために必要な「一般」情報は収集・蓄積する。

 情報は収集するだけでは意味がない。情報は具体的場面で危機判断に役立ってこそ意味がある。ところが、その危機判断を的確に評価・判断には、一般情報が意外に重要である。というのも、リスク・マネジメントの担当者は的確な危機判断を行うため、危機管理に関連する「一般情報」が重要な基礎知識になるからである。そのために、あらかじめ危機管理関連の「一般情報」を収集・蓄積するための方法論を具体的に確立する必要がある。

 第五に、「顧客預かり情報」は万全に守られるシステムをつくる。

 業務関係で、顧客から預かっている多くの秘密情報を防衛しなければならない。というのも、顧客情報の漏れは損害賠償を請求されることは企業にとっては大きな危機であるだけではなく、「情報管理のズサンな会社」と思われることは、会社の信用が失われるを意味するからである。

 そのために、以下のことをまず以下の認識を社内で確認することが必要である。@顧客預かり情報は会社の利益と直接に連動している。A個人顧客からの預かり情報はその個人の安全を左右するものである。それから、個人預かり情報の防衛は、具体的方法論にまで徹底する。

 第六に、危機を事前に排除するための社内システムを整える。

 リスク・マネジメントの仕事において、実際に危機が発生した場合の対応業務よりは、危機を事前に排除する業務の方に注目すべき。その理由は簡単で、

事後対応に要する費用が高くつくからである。

 そこで、確認すべきことは以下のようなものである。@危機を事前に排除することの経済的価値について、社内共通の認識はあるか? A審査部門、経理部門、監査役は、企業危機を事前にチェックして、排除するための部門であることが全社的に理解されているか? B審査部門、経理部門の各担当者や監査役は、各自の任務は企業危機を事前にチェックし、排除する責任を自覚しているか? C危機を事前に排除するためのルールやマニュアルは用意されているか? D危機の事前排除ルールやマニュアルは、統一的に運用されるべきであるの社内コンセンサスはあるか?

 以上の質問の答えはすべて「YES」でなければ、その危機の事前排除のシステムは不十分であることを意味する。

 第七に、危機対応のためのネットワークを築く。 

 危機管理は総力戦であることは、社内スタッフだけではなく、場合によって、外部専門家の支援も必要となる。したがって、外部専門家とのネットワークを日頃から構築することはリスク・マネジメントの重要な内容の一つである。そのためには、いざとなる時に連絡出来る外部専門家をリストアップすることと、外部専門家とは日頃からコンタクトをとることは大事である。

 第八に、提携(合弁)会社管理危機管理の視点から検討する。

 子会社や提携先に不祥事や事故などが発生した場合、自社にも様々な影響が及ぶ。特に不祥事が発生する場合、親会社が社会的責任を追及され、世論の批判を浴びることもありうる。したがって、危機管理に適した企業組織を万全にするためには、子会社・関連会社・提携先の管理問題も、改めて自社の危機管理の管理から見直す必要がある。

 そのために、以下の2点をあらかじめ認識する必要がる。@子会社(提携先)は自社の危機管理の問題でもある。A出資比率、派遣スタッフの内容など、子会社(提携先)の概要は、危機管理の観点からされるべきである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第4章   住宅展示場事業のケース・スタディーからみる第二創業の必要性

 

 2章と第3章において、第二創業およびその際のリスク・マネジメントの理論を検討した。そして、その理論原理をもとに、住宅展示場運営事業から出発する第二創業の模索をケース・スタディーとして、この章から検討し、第二創業の必要性、可能性およびあり方を明らかにしていく。

 

4.1 本業としての総合住宅展示場事業

4.1.1 総合住宅展示場事業とは

 日本の住宅需要者が、住まいづくりを考えるときには、8割以上の人が総合住宅展示場を訪れ、より良い住宅を選んでいる。このような総合住宅展示場を運営する事業を総合住宅展示場事業という。展示場運営会社は需要者に、より先進的かつ経済的な住まいの情報を提供するため、住宅メーカーのモデルハウスを展示し、メーカーとユーザーの住宅情報の交流を図る役割を果たしている企業である。

この総合住宅展示場事業は、住宅メーカーにとっては、同じ場所に競合する住宅メーカーが存在して、お互いに商売をするという日本特有の販売方法である。自宅の新築を考えている消費者にすれば、人生で一番高い買い物である住宅をその場で実際に見比べることが可能となる。

総合住宅展示場の開発・企画運営会社(以下、企画会社と言う)は、全国20社程度で、メディア系列、広告代理店系列、地主系列と独立系に大別される。企画会社の業務は、大きく分けて展示場の開発とその後の運営に別れる。開発の経緯は、そこに出展する住宅メーカーからの要望によるものと、企画会社からの提案によるものがある。一般的に好立地と言われているのが、幹線道路に面した、間口の広い、周りに建て替え需要がある一戸建ての住宅が存在する用地である。そのような立地の所有者と企画会社が、約5年間の期間で賃貸借契約を結び、総合住宅展示場として開発する。モデルハウスを展示する住宅メーカーは、自己の負担でその地域戦略に適した自社のブランドの住宅を建設する。企画会社の負担は、敷地内の給排水、電気工事、共有部分の工事、センターハウス(アンケート回収場所、便所等)の建設、看板・掲示設備の設置などの部分である。

 開設後の企画会社の仕事は、展示場の運営業務となる。その主なものは、集客に関する企画運営。すなわち新築を計画している消費者が、展示場に来るべく広告宣伝活動を計画して実施するわけだ。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、チラシ、インターネット等のメディアミックスを駆使して、より効果的な方法を検討、計画し実施する。また来場者へのイベントとして、来場者への相談会(建築士会のセミナー・ファイナンシャルプラナーのライフ設計相談・住宅金融公庫の相談会等)の開催、プレゼント企画、色々な催し物(ガーデニング教室・フラワーアレンジメントセミナー・不動産市等)も行う。要するに各出展メーカーが自社の家を販売する営業活動を支援する為に、可能性がある消費者を集客するである。

 

4.1.2 総合住宅展示場事業を展開するアドバンス開発株式会社の沿革

同社の創立者の大東清四は、長年公務員として大阪府庁に勤め、外郭団体である財団法人大阪住宅センターに出向していた。それまで建築畑で培ってきたものと、住宅メーカーや不動産業界のネットワークを生かして15年前に創業した。「21世紀の住情報の提供」をテーマに、「事業を通じて社員と社会が共に前進」する願いをこめて「アドバンス開発」と命名した。

住宅展示場名

89年

90年

91年

92年

93年

94年

95年

96年

97年

98年

99年

00年

01年

02年

03年

アメニティー大久保

開設

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閉鎖

 

 

 

 

 

 

 

アメニティー円町

 

 

開設

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閉鎖

 

 

 

 

 

 

なんば大阪球場住宅博

 

 

開設

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閉鎖

 

 

 

 

 

なんば住宅博

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開設

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第A

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住アメニティー桃山六地蔵

 

 

 

 

 

開設

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名称変更

 

 

 

桃山六地蔵住宅博

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第A

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住アメニティー姫路

 

 

 

 

 

開設

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閉鎖

 

 

 

 

東大阪住宅博

 

 

 

 

 

 

 

 

開設

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閉鎖

 

東香里住宅博

 

 

 

 

 

 

 

 

開設

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閉鎖

 

江坂住宅博

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開設

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閉鎖

堺泉北住宅博

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開設

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大津プリンスホテル住宅博

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開設

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図表41 アドバンス開発鞄W示場事業の推移

出所:著者作成。

 

図表41は当社の展示場の開場と閉鎖を年代別に表したものである。一般的に展示場契約は、1期約5年だが、期間終了後延長したものや、第2期へと存続したものもある。

アドバンス開発株式会社は198910月に住アメニティー・大久保(京都府宇治市・4棟)、19914月に住アメニティー・円町(京都市中京区・13棟)、19914月になんば大阪球場住宅博(大阪市浪速区・21棟)、19946月に住アメニティー・桃山六地蔵(京都市伏見区・13棟開)、19948月に住アメニティー・姫路(兵庫県姫路市・5棟)、19974月に東大阪住宅博(大阪府東大阪市・13棟)、19979月に東香里住宅博(大阪府枚方市・7棟)、1998年4月になんば住宅博(大阪府浪速区・23棟)、19989月に江坂住宅博(大阪府吹田市・15棟)、19999月に桃山六地蔵住宅博(京都市伏見区・14棟)、20014月に堺泉北住宅博(大阪府堺市・17棟)開設、20024月 大津プリンスホテル住宅博(滋賀県大津市・14棟)などの総合住宅展示場を開設した。

 1995年までは、同社の総合住宅展示場は順調に開設し続けてきた。しかし、1996年から閉鎖が目立ってきた。その理由は日本住宅メーカーの経営現状による要因が最も大きいと考える。それを後節において詳しく分析する。

 

4.1.3 全国総合住宅展示場事業の現状分析

 長引く日本の不況の中で、住宅メーカーの経営も非常に厳しい時代に入ったと言われている。それは総合住宅展示場にも反映している。同時に総合住宅展示場の大幅の減少である。

 矢野経済研究所の「総合住宅展示場実態調査」によると、全国の総合住宅展示場数も、出展率も2002年に入ってから激減状態になっている。その特徴は以下の2点にまとめることが出来る。

第一に、展示場出展率低下による展示場事業収益の減少である。2002年度の全国の総合住宅展示場数は394ケ所(前年比3ヶ所減)、区画枠数6,009区画(前年比81区画減)、出展棟数5052棟(前年比244棟減)であった。特に出展棟数が244棟減とういう大幅な減少を記録した。結果として住宅メーカーによる展示場の選別が進み、出展率は2001年度の87.0%から84.1%へ低下した。すなわち展示場の空きスペース(いわゆる歯抜け状態)が増加している。全国の展示場の区画枠数は6,009区画。これに対して出展棟数は5,052棟で、出展していない空きスペースは、全国で957区画あることがわかる。すなわち1,000棟分近くが歯抜け状態になっているわけだ。これは前年の空きスペース(794区画)よりも163区画が増加したこととなる。その結果、出展率は前年の87.0%から84.1%に2.9ポイント低下した。これはあくまで全国平均であり、集客力のある人気の展示場は100%近い高出展率を維持している反面、6070%に満たないところもあり、展示場間の格差は拡大している。

展示場運営では、出展率が7割台でペイライン、8割を超えると利益が出るというのがおよその目安だったが、最近では住宅メーカー側からの出展料の値引き要求が強まっており、展示場運営は出展率が低下傾向のなかで、出展料の減額要求にも対応しなければならないという厳しい状況である。

 第二に、地域別に近畿地方における出展率の低下。図表42が住宅展示場の2002年地域別数・出展棟数では、ブロック別に全国の展示場数、区画枠数、出展棟数、1展示場当たり出展棟数、出展率を表している。関東ブロックでの展示場数、区画枠数、出展棟数は、全国でも特出しており、全国に占める構成比は、それぞれ36.3%、38.9%、38.8%となっており、全国の三分の一以上が関東にある。近畿ブロックでは、それぞれが15.5%、15.4%、14.4%となっている。出展棟数が区画枠数よりも1.0ポイント下がっているのは、それだけ住宅展示場内の空き区画が全国平均よりも悪いことを物語っている。特に2002年の近畿ブロックの出展率は78.8%と全国平均の84.1%よりも5.3ポイントも低い。また前年の近畿ブロックの84.8%から6.0ポイントも低下したこととなる。この1年間に近畿ブロックだけで、出展棟数が60減少したこととなる。これは1展示場あたりの出展棟数が、2001年の12.7棟から11.9棟にと、約1棟ずつ空き区画が増えたこととなる。

 


図表42 住宅展示場の2002年地域別数・出展棟数

出所:矢野経済研究所『ヤノ・レポート』、2002年6月、第1120号、2ページ。

 

なぜ、総合住宅展示場事業はこのような局面を迎えたかについては、日本住宅メーカーの経営状況の変化による展示場への出展の意欲の変化に原因があると考える。それは、以下の4.2節において、分析をおこなう。

 

4.2 日本住宅メーカーの展示場への出展意欲の変化とその要因

4.2.1 住宅メーカーの展示場への出展事情の変化

総合住宅展示場に出展棟数の最も多いメーカーは、積水ハウスで出展棟数は542棟である。しかし、出展棟数の最も多い同社も前年の552棟から10棟減少している。出展棟数2位の積水化学は上位メーカーの中でも最も減少幅が大きく、前年447棟から35棟減らし412棟となった。出展棟数上位10社の前年対比増減数は図表43の通りである。

 

 図表43 出展数上位10社の前年対比増減数

 

2001

2002

増減数

積水ハウス

積水化学

大和ハウス

住友林業

ミサワホーム

旭化成

一条工務店

パナホーム

三井ホーム

東日本ハウス

552

447

353

306

317

284

279

285

239

149

542

412

339

316

295

285

277

276

236

129

    10

    35

    14

10

    22

1

    2

    9棟

    3棟

    20

出所:矢野経済研究所『ヤノ・レポート』、20026月、第1120号、6ページ。

 

図表43が示すように、上位メーカーの中で増加しているのは、住友林業と旭化成の2社のみ。積水化学の次に減少幅が大きいのはミサワホームの22棟減。以下、東日本ハウス20棟減、大和ハウス14棟減、積水ハウス10棟減、パナホーム9棟減と続いている。

 

4.2.2 住宅メーカーの出展意欲の変化

 総合住宅展示場へ、住宅メーカーの出展意欲には最近大きな変化がみられている。その特徴は以下の2点にまとめることが出来る。

第一に、新規出展には非常に消極的である。矢野経済研究所が実施したアンケートでは、「住宅メーカーの展示場への出展意欲について」という質問に対しては、「既存展示場の継続契約の場合」には「やや消極的」が2001年の48%から2002年の56%へと拡大し、「非常に消極的」19%と合わせると消極的であるという解答が75%に達した。住宅メーカーが既存展示場の契約継続に昨年にも増して慎重かつ消極的になっていることがわかる。「やや積極的」とする回答は昨年の36%から今回は22%へと減少した。

「新規契約の場合」には、住宅メーカーの消極的な姿勢がさらに顕著に現れている。昨年最も多かった「やや積極的」という回答が昨年の36%から今回は16%へと20ポイントも低下し、逆に「非常に消極的」という回答が前年の21%から今回は52%へと31ポイントも大幅に増加した。この「非常に消極的」52%と「やや消極的」32%とを合わせると84%にも達する。

企画運営会社から見た住宅メーカーの出展意欲に関する回答として代表的なものは、「現状維持か縮小かのどちらか」「出展継続の場合でも出展料の減額要求が強い」「営業効率の落ちている会場の見直し機運が強まっている」「新規展示場を増やした分、既存のものを減らすことが前提」「新規展示場の場合は立地とコンセプトで選別される」「展示場撤退ではなく、展示場淘汰傾向が強まっている」などの回答があった。

 

 


 図表44 既存出展について住宅メーカーの意欲アンケートの返答

出所矢野経済研究所『ヤノ・レポート』、20026月、第1120

 

 

 

 

 


45 新規契約出展について住宅メーカーの意欲アンケートの返答 

出所:同図表45

 

第二に、既存出展には出展料の削減志向が強い。住宅メーカーによる展示場の選別が進む中で、既存出展メーカーの維持や新規出展企業獲得の難しさ、さらに出展企業からの出展料の値下げ要求など、展示場運営の厳しさが現れている。

 

4.2.3 住宅メーカー出展意欲低下の要因

わが国の住宅産業が成長していく過程において、住宅展示場は住宅メーカーの営業戦略上欠かせないものだった。また、ユーザーが実際に商品を確認して具体的なイメージをつかむための現物見本として大きな役割を果たしてきた。しかし、近年になって、総合住宅展示場へ出展意欲が低下した住宅メーカーは多数である。その背景と要因は以下の2点にまとめたい。

第一に、戸建て注文住宅市場の縮小。これまで住宅産業が成長する過程では経験したことがないほど戸建て注文住宅市場が縮小し、近い将来に住宅市場の100万戸時代到来も予測されている中で、多くの住宅メーカーは住宅展示場以外の営業展開強化を今後の方針として打ち出している。さらに、利益確保のためのコスト削減にも躍起になっており、費用対効果で住宅展示場を厳しく評価選別し、効率の悪い展示場を淘汰する動きは今後さらに加速されよう。持家市場が縮小していく中で、商圏が重複するような効率の悪い展示場は見直さざるをえない状況であると同時に、受注の減少が続くようになると、人件費を除いても1ヶ所で年間3,000万円程度の維持費がかかるといわれる展示場を減らしていかざるを得なくなる傾向が表面化した。2001年の持家着工戸数が36年ぶりに40万戸を切るという戸建て需要の低迷の中で、これまで積極的に展示場展開をしてきた大手住宅メーカーの多くが、程度の差こそあれ自社の展示場を削減していく方針を打ち出している。今後は住宅メーカーが個々の展示場集客力や営業効率を厳密にチェックして維持か撤退かをより厳しく選別していくとみられる。

第二に、住宅販売促進方法の多様化。現在、多くの住宅メーカーは、CS活動の強化によって紹介受注の比率アップを目指している。ITの積極的な活用による受注販促活動にも動いている。このように住宅展示場以外にも販売展開が多様化するに伴い、契約源泉に占める展示場比率は相対的な低下傾向が見られる。

 図表4−6 アドバンス開発株式会社の業績の推移

 出所:筆者作成。

 

 

売上げ

営業利益

当期利益

未処分利益

棟数

会場数

第1期(89.1/20-89.9/30)

16,886

-1,014

112

112

4

1

第2期(89.10/1-90.9/30)

59,976

-15,556

-17,213

-17,101

4

1

第3期(90.10/1-91.9/30)

310,862

11,116

8,904

-8,197

38

3

第4期(91.10/1-92.9/30)

389,453

19,129

15,858

7,661

38

3

第5期(92.10/1-93.9/30)

380,140

93

2,427

10,088

38

3

第6期(93.10/1-94.9/30)

604,760

3,143

53

4,142

56

5

第7期(94.10/1-95.9/30)

649,992

6,872

694

4,836

59

5

第8期(95.10/1-96.9/30)

641,861

9,874

2,844

7,680

60

5

第9期(96.10/1-97.9/30)

875,743

3,763

6,294

13,975

64

5

10期(97.10/1-98.9/30)

1,526,789

54,813

12,004

25,980

71

6

11期(98.10/1-99.9/30)

1,707,994

119,388

31,802

42,783

89

6

12期(99.10/1-00.9/30)

1,527,267

122,664

53,148

75,931

74

5

13期(00.10/1-01.9/30)

1,517,484

76,507

75,713

121,645

84

6

14期(01.10/1-02.9/30)

1,487,108

138,473

58,492

115,137

73

6

15期(02.10/1-03.9/30)

1,350,000

95,000

58,000

143,137

70

5

 このように、総合住宅展示場事業は一つの分水嶺を向かえていると考えられる。また、図表46アドバンス開発株式会社の業績の推移を見れば、創業時からの売上げ、営業利益、当期利益、未処分利益、棟数、会場数の推移がわかる。売上げは、第11期までは順調に伸びてきたが(177994千円)それ以降は減少傾向になっている。その推移は、図表4−7アドバンス開発鰍フ売上げと営業利益の推移を見れば一目瞭然である。これは会場数の頭打ちに加えて、棟数の減少、さらには、出展料の低下などの要因がある。

 

   図表47 アドバンス開発鰍フ売上げと営業利益の推移

注:期間表示については、第1期から第15期まで、それぞれ第1期は89.1/20-89.9/30、第2期は89.10/1-90.9/30、第3期は90.10/1-91.9/30、第4期は 91.10/1-92.9/30、第5期は92.10/1-93.9/30、第6期は93.10/1-94.9/30、第7期は94.10/1-95.9/30、第8期は 95.10/1-96.9/30、第9期は 96.10/1-97.9/30、第10期は 97.10/1-98.9/30、第11期は98.10/1-99.9/30、第12期は 99.10/1-00.9/30、第13期は 00.10/1-01.9/30、第14期は 01.10/1-02.9/30、 第15期は02.10/1-03.9/30、といった期間を指す。

出所:筆者作成。

 

全国の住宅展示場の数が伸び悩み、出展棟数が減少する中でアドバンス開発の展示場展開に関しても新規の開設が難しい時代に入ってきた。図表48が示している住宅展示場の棟数と会場数の推移を見ても、会場数が第10期の6会場をピークに一進一退を繰り返していることがわかる。ほとんどの会場の開催期間が5年であり、毎年新規で一つの会場をオープンしても、会期末を迎える会場の閉鎖とで合計数が同じとなる。したがって会場数を増やす為には、新規のオープン数を閉鎖会場数よりも増やすか、期限末が来る展示場を継続することが必要となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

図表48 住宅展示場の棟数と会場数の推移

出所:筆者作成。

 

4.3 第二創業の視点

 こういった厳しい住宅展示場市場を直面して、アドバンス開発株式会社にとっては第二創業の必要性があると考える。そして、筆者はアドバンス開発株式会社が企画会社としての機能に着目し、第二創業の切口と考えている。 

 アドバンス開発株式会社は総合住宅展示場の企画運営企業として、住宅メーカーの事業展開に様々な企画をして、コンサルティングサポートの役割を果たしてきた。その位置付けとして、図表49が示す通り、アドバンス開発は土地オーナー、住宅メーカー及び顧客の真中に位置して、各方面から声を最も直接聞く立場にある。一方土地オーナーに土地の活用の企画を提案し、一方住宅メーカーに展示場の企画と運営を任せられる。中でも、住宅メーカーに代わって、顧客との直接接触を通じて得た心得を住宅メーカーの営業マンの育成にも役立ったのである。

 


  図表49 アドバンス開発の位置付け

 


  出所:筆者作成。

 

ほかにも、アドバンス開発は土地の活用に関わる出店の企画・コンサルティングサポート業務を数多く行ってきた。例えば、東香里住宅展示場が閉鎖後の跡地を活用して、全国規模の薬局チェーンを経営しているセガミメディクス株式会社の出店を企画し、コンサルティングサポート機能を実行した。200110月東香里総合住宅展示場が閉鎖することのあたって、長年使用してきた土地を引き続き活用するために、当社はドラッグストアの郊外大型化傾向を見込み、展示場跡地への出店を提案した結果、セガミメディクス株式会社の最も大型店舗がそこにできたのである。

こういった機能を生かして、異分野において、第二創業の可能性とあり方を本研究において、最も中心的な課題とする。そして、筆者はゴルフティーチングプロとして世界中のゴルフ関係者との密接な関連を生かすべく、第二創業の内容をゴルフ産業、特にゴルフスクールの中国での展開及びそのコンサルティングサポートと考えている。というのも、既に斜陽化した日本のゴルフ産業では、第二創業する意味が薄いのに対して、世界の5分の1の人口を有する中国に台頭しつつあるゴルフ産業において、ゴルフスクールが中国ゴルフ産業の発展のなかで、花形商品、さらに金のなる木になると考えられる。その理由と根拠を次章から詳しく検討していく。

 



[1] GOLF TATTLAER20032月号。

[2] 2003312日、中国ゴルフ協会事務局長崔志強氏のヒアリングにより。

[3] KSP国際フォーラム実行委員会、『いま、なぜ起業家の時代か』、199598100ページ。

[4] カール・ヴェスパー、『ニューベンチャー戦略』、同友館、1999年、111112ページ。

[5] Patricia P. McDougall  and  Richard B. Robinson,  “New Venture Performance”, Presented at the Babson Entrepreneurship Research Conference, Calgary, 1988.  

[6] 大泉光一著『企業危機管理の理論と実践』、中央経済社、1998年、1〜3ページ。 

[7] Greene M.R. “Risk and Insurance”,South and Publishing Co.,Cincinnati

 27Ohio1962,P.2

[8] Baglini, N.A. “Risk Management in International Corporation, Risk Studies Foundation, Inc., 1976, P1. 

[9] Williams,C.A.,Jr. and Heins, R.M., “Risk Management and Insurance, 6th ed., McGraw-Hill Book Companpany, 1989, P8. 

[10] リスクの中に、「投機リスク」に対して、予見不可能なリスクを「純粋リスク」と呼んでいる。純枠リスクとは、自然災害のような、それが実現した場合には損害のみを発生させるリスクを「純粋リスク」という。このようなリスクの例としては、地震、火災、風水害、害、爆発、交通災害、労災、コンピュータ犯罪、停電、戦争、テロ、脅迫、誘拐などがあげられる。これらのリスクに対しては、保険をかけてある限り、損害の全部または一部のカバーが出来る。そこで、インシュランス・カバレッジ(付保率・保険担保範囲)が、重要なリスク・マネジメントのポイントとなる。

[11] Robert Rennie, “The Measurement of Risk, The Journal of Insurance,

 March 1961, P8391

[12] Robert Mehr and Bob.A.Hedges, “Risk Management in the Business Enterprise, Richard D.Irwin, 1963  

[13] Williams,C.A.,Jr. and Heins, R.M., Risk Management and Insurance, 6th ed., McGraw-Hill Book Companpany, 1989, P11

[14] Rosenbloom, J. S., A Case Study in Risk Management Appleton-Century-Crops,

 New York, 1976,  P16

[15] Baglini, N.A.Risk Management In American Multinational and International Corporation, University Microfilms International, 1974, P4.  

[16] Dorfman,M.S., Introduction To Risk Management and Insurance, 4th  ed., Prentice

  Hall, Englwood Cliff, New Jersey, P39

[17] 亀井利明『危険管理論』、中央経済社、1984年、10ページ。

[18] 森宮康『リスク・マネジメント論』、千倉書房、1985年、10ページ。  

[19] 南方哲也『リスク・マネジメントの理論と展開』、晃洋書房、2001年、2528ページ。

[20] AF・ブオノ、JL・ボウディッチ著『合併・員収の人材戦略』上田武・高梨智弘共訳、日経BP社、1991年。

 

第5章:第二創業進出分野としてのゴルフ事業

 

 前章では、本業としての住宅展示場事業が長引き不況のなかで、特に住宅産業の厳しい現状のなかで、今のままの経営を維持することが、もはや事業の縮小と後退を意味することになると考えられる。そして、この章では、新しい創業の選択肢として、中国のゴルフ産業への進出を選んだ背景、理由を明らかにしたい。

5.1       ゴルフ事業を第二創業の進出分野にした背景――Image Golf School」構想の形成過程 

この節では、「Image Golf School」に至るまでの、ビジネスモデルとそれに関連した筆者のバックグラウンドについて述べる。図表51はその過程を表すものである。

 


    図表51 「Image Golf School」構想の形成過程 

 出所:筆者作成。

 

19743月に東香里ゴルフセンターがオープンした。当初は近隣に2ヶ所のゴルフ練習場があったが、自動オートアップセッター(ボールが自動的に次のボールをティーアップする機械)を始めて導入する。これにより、ゴルファーが毎回のショット後に、いちいちボールをティーアップする必要がなくなった。また、精算業務が1球単位で行なわれるために、今までの練習場のような1コインや1籠単位ではなく、好きなときに好きなだけ球数を練習することが出来る。この自動オートティーアップの導入により、顧客一人当たりの平均打球数が他の練習場より1割程度多くなった。 

この当時のビジネススタンスは、最新鋭の機械を導入することにより他の練習場との差別化を図り、施設産業的な発想であった。すなわちハード先行型のビジネスモデルである。

19794月にゴルフ練習場に隣接する場所で、全天候型のハードコート14面の香里グリーンテニスクラブを開設した。ゴルフ練習場の打球売上げは、全体の80%以上を占めており、残りがレッスン&スクール、ショップ、飲食等である。しかし、テニスクラブの場合は、スクール部門の売上げの占める割合が大きい。すなわちハードよりもソフトの充実が問われる産業である。 

特にテニススクールの場合、学生アルバイトをテニスインストラクターとして起用してレッスンを行なうことが一般的である。したがって社会人になる前の学生を、サービス業のプロに仕上げるまで教育することは、並大抵のことではない。例えばレストランのウエートレスとして働く学生アルバイトの場合は、そこに「食」とうい物が介在するが、テニススクールの学生アルバイトコーチは、コーチ全てが商品である。しかも学生は4年の周期で入れ替わる宿命がある。今まで学生としてサークルやクラブ活動で親しんできたテニスを、サービス業としてコーチをするまでは、テニスの腕前以外にも多くのことを学ぶことが必要となる。現在学生コーチを中心に55名が在籍して2900名のテニススクールを運営している(20031月現在)。

このスクールビジネスモデルの確立に役立ったのが、MIS(Management Information System)である。これは、MBA(Master of Business Administration) プログラムの中の専攻科目であり、企業や組織に有効な情報を効率よく伝達して意思決定に役立てるシステム。著者は、米国のダラス大学院でMBA課程の中のMISを専攻して、スクールビジネスモデルに応用して適切な管理運営が可能となった(スクール部門の売上げは1989年から2002年までの間で2.47倍に成長)。

19891月にアドバンス開発株式会社を設立したことは、既に記述したとおりである。基本的には、住宅展示場の開発・企画・運営を通じて、住宅メーカーに対しての「サポート&コンサルティングビジネス」と位置付けている。表向きは、住宅展示場の宣伝広告やイベント企画を行い、集客活動をしているのであるが、最終的には出展住宅メーカーの営業活動が成功するように、それぞれの会社に対してサポートを個別にしているのが現状である。このサポート&コンサルティングビジネスの足がかりとなったのが、社団法人全日本ゴルフ練習場連盟の指導部会の委員長としての職責を全うした経験だ。練習場の指導者の研修や教育等をセミナーを通じて指導することは、自らの能力を高めるのに役立ったと考える。

19934月に株式会社SIC(Sport Instructors Corporation)を設立して、ゴルフスクール運営の委託運営ビジネスを展開する。スポーツクラブ内のゴルフレンジでのスクールやレッスンを担当して、インストラクターの派遣業務等を行なったり、近隣練習場のスクール委託運営業務をおこなう。その中には、NTT系列のハロースポーツ、東急グループの東急オアシス、新日鉄系列のサンスポーツ21等のスポーツクラブや近隣のゴルフ練習場があった。ゴルフスクールの運営に関してのノウハウをまとめた物が、社団法人日本プロゴルフ協会の表彰を受ける(1997PGAコンベンション「優秀賞」受賞、1999PGA研究発表「最優秀賞」受賞、2001PGAコミュニケーションプログラム「優秀賞」受賞)

199710月、アメリカのナチュラルゴルフと提携してゴルフスクールビジネスを展開する。世界一のボールストライカーとして名高いモー・ノーマンのスイング理論を研究し、科学的に分析したシステムを日本で紹介してスクール展開をする。また週刊パーゴルフ、月刊ゴルフ&ゴルフに連載したり、「驚異の新ハンマー打法」(ごま出版)より出版し、その理論を普及させた。ナチュラルゴルフのオーダーメイドのゴルフクラブ販売等を通じて、海外ビジネスネットワークを広げる。

20009月に高知工科大学大学院起業家コースに入学し、第二創業に欠くことのできない起業論・リーダーシップ論・リスク・マネジメント・国際経営論・マーケティング論等を、学術的、実践的に研究することが出来た。

20028月に、日本ゴルフ学会第15回大会で、シンポジュウムにて「プロとアマチュアのスイングに見る特徴とその背景にあるもの」をシンポジストとして発表する。イメージを目標に置くことにより、フォロースルーが大きく取れて、ヘッドスピードが平均5.6%、距離が約12ヤード伸びたことが立証された。今までのゴルフスクールは、スイングを形から矯正してきたが、イメージを中心に内面から見ていくことも重要であることを強調した。

この様な筆者のバックグラウンドと今までのビジネスモデルを総合することにより、今回第二創業のビジネスプランの形成の基礎になったのである。しかし、新しい創業としての産業選択肢が普通成長産業が選ばれる。日本のゴルフ場産業も実は衰退していると考えられる。従って、第二創業の拠点を、日本ではなく、高い経済成長を遂げ、巨大な潜在市場をもっている中国にしたのである。その理由や根拠をこの章と次章において、詳述することにする。そして、最後の目的である「Image Golf School」を中国の新市場で展開するということを第二創業として、展開していくビジネスプランを導く。

 

5.2 経済発展に密接に連動する日本ゴルフ産業の歴史

 ゴルフは一種のスポーツとして、最も政治・経済活動や経済発展状況と密接な関係をもつスポーツといえる。それは、ゴルフの歴史から証明されている。スポーツとしてのゴルフはいつ、どこで生まれたかについて、いまだに定論はない。しかし、文字記載のある限り、15世紀のスコットランドではスコットランド王室の愛好家によって、ゴルフが盛んになったという記録が残されている。もちろんプレーする人は貴族であった。それから1608年ゴルフがイングランドに入り、さらに当時世界最強の国イギリス連邦の植民地拡大によって、世界各国に広がったのである。現在では、ゴルフ大国と言えばアメリカ、日本、ヨーロッパなどの先進国となっている。さらに、ゴルフ場をビジネスの場とするケースも多い。温故知新、歴史を振り返ることによって、今後ゴルフ産業の行方を見えてくる。ここでまず、日本ゴルフの歴史をみてみよう。

 

5.2.1 英国人によって舶来したゴルフ

 日本の一号ゴルフ場はイギリス人アーサー・ヘスケス・グルーム氏がつくった神戸ゴルフ倶楽部である。イギリスで生まれたグルーム氏は日本人と結婚した日本に愛着が深い人物である。彼がゴルフ場をつくったきっかけは、当時未開発の地であった六甲山を開発したことから始まる。1895年(明治28年)、グルームは外国人を中心とした別荘地帯を建設し、1901年ゴルフ場が4ホールでスタートした。完成当初は、グルームのプライベートコースであった。しかし、このゴルフ場の噂は瞬く間に神戸中に広がり、さらに横浜、長崎などにも伝播していった。 

 

5.2.2 日本人のためのゴルフ場の誕生と大衆化への展開

 ゴルフ場は、日本で誕生した当初、事実上主に来日する外国人のためのものであった。日本人のための、日本人によるゴルフ場の第1号は、井上準之助氏が設立した東京ゴルフ倶楽部がつくったゴルフ場であった。それは1914年(大正3年)5月にオープンした現在駒沢オリンピック公園にある通称「大切山」にあるゴルフ場である。

 関東初のゴルフ場「ニッポン・レース・クラブ・ゴルフィング・アソシエーション根岸コース」が誕生して2年後の1908年(明治41年)、井上氏は日本銀行ニューヨーク代理店監査役として米国へ渡った。そこでゴルフに出会い、すぐにゴルフに熱中し始めた。帰国後、外国人のためにつくった根岸コースで、遠慮しながらプレーすることに我慢できなくて、日本人によるゴルフクラブの創設に乗り出し、社交グループ「東京倶楽部」の会員から有志をつのって、191312月に「東京ゴルフ会」を組織した。さらにこれを母体として、「東京ゴルフ倶楽部」を設立した。そして、19145月に6ホールが完成し、後9ホールとなった。ついに日本人による日本のゴルフ場が誕生したのである。

 東京ゴルフ倶楽部が誕生してから、関西、九州でも外人ゴルファーに気兼ねなくプレー出来るようになった日本人ゴルファーたちは、次にクオリティーの高いゴルフ場を求めるようになったのである。

 さらに、日本のゴルフ場の歴史において、画期的な出来事は株主制で運営されるゴルフ場の誕生である。1921年頃、東京GCは会員数が増えるとともに、メンバーの技術も向上し、9ホールのコースでは、対応しきれなくなっていたため、「程ヶ谷カントリー倶楽部」を完成させた。土地売収、借地のために、1921年(大正10年)東京GC内に「程ヶ谷ゴルフ株式会社」が設立された。同社が「程ヶ谷カントリー倶楽部」に土地を貸し、会社の株主は同時にゴルフクラブの会員になるという、合理的な運営方法をとった(現在は社団法人制)。現在株主制で運営されているゴルフ場の多くが、この運営スタイルを採用していることから、日本のゴルフ場の歴史において、画期的なシステムの誕生といえよう。それと同時に、程ヶ谷カントリー倶楽部は本格的な18ホール設計のコースの専門家を招聘して完成させた、日本初のチャンピオンシップコースが誕生したのである。1920年代初め、関西ではゴルフ場建設が相次ぎ、大衆化の傾向が強まった。関東でも、もっと気軽にゴルフがしたいという中級階級のゴルファーたちが「武蔵野カンツリー倶楽部」をつくった。これまでのゴルフ場と異なり、建設費や入会金などの金銭面はもちろん、全長2000ヤードの6ホールという規模の面から言っても、実に庶民的なゴルフ場だった。まさに関東におけるゴルフ大衆化に一役買ったのである。

 

5.2.3 戦争による打撃を乗り越えて、国民スポーツへの道のり

 1937年(昭和12年)の日支事変から第二次世界大戦に至る軍事体制は、ゴルフ場に大きな変化をもたらした。そのほとんどが軍事施設地として閉鎖に追い込まれた。その中に神戸GCのように戦後また復活したGCもあれば、そのまま歴史の幕を閉じたGCも少なくない。

 終戦後、1945年(昭和20年)10月から、続々とゴルフ場が再開した。経済発展とともに、ゴルフ場の数は徐々に増加していった。そして、ゴルフの大衆化のうえで、大きな役割を担った大イベントが開催された。それは1957年(昭和32年)の「第5回カナダカップ」である。会場となった霞ヶ関カンツリー倶楽部には、36カ国の選手が集まったなか、日本チーム(中村寅吉、小野光一)が優勝した。この快挙は日本初のテレビ実況放送によって、一般の人たちの目にも飛び込んだ。そして、ゴルフというスポーツが広く民衆に知れ渡ったのである。

 これをきっかけに、1959年頃からゴルフ場数も急速に増加していき、ゴルフ人口も増していった。1970年代に入ると、高度成長期の波はゴルフ産業にも大きな影響を与えた。これまでの職人気質の高いゴルフ場建設から、大手ゼネコンによる数百億円の大プロジェクトへと進化していった。また、ブランド志向が高まったこともあり、海外の一流の設計家によって設計されたゴルフ場も急速に増えていった。

 さらに、日本のトーナメント界にジャンボ尾崎というニューヒーローが誕生したことが、ゴルフブームに拍車をかけたのである。そして、1975年(昭和50年)にゴルフ場数は1,000を突破した。1971年(昭和46年)までに各地区のゴルフ連盟も組織され、日本ゴルフ場を支える組織ができたのである。また、練習場の利用者数は1991年の153298千人のピークに達するまで、急激に伸びてきた。1984年の76137人から実に77161千人、率にして2.01倍に成長した。マーケットが7年で倍増したこととなる。この時期は、ジャンボ尾崎、青木功、中嶋常幸プロとスター選手が、第3次ゴルフブームを作り上げた時期でもあった。今までのブルジョア層が対象のゴルフ界が「ネコも杓子」もゴルフをする時代として、ゴルフを「カジル」層がゴルフ練習場にファッションとして来場する姿も良く見られた。 

 

5.2.4 バブル経済とその崩壊がゴルフ産業への影響

 高度成長によって、民衆化を遂げたゴルフに、バブル経済は訪れた。ゴルフ会員権は急速に値を上げた。また「接待ゴルフ」という言葉も生まれ、スポーツとしての純粋なゴルフのイメージから、仕事の延長、仕事の一部というイメージに変えられた。大掛かりなプロジェクトとして動き出していたゴルフ場建設はさらに加速していった。

 しかし、バブル経済の崩壊後、ゴルフ場は経営困難となり、倒産に追いやられるゴルフ場も続出した。またここ数年でみられる傾向はセルフゴルフ場の登場である。つまり、それはキャディーがいないだけではなく、クラブハウスにスタッフを常駐させず、すべての精算を自動精算機で行っているというゴルフ場や、スループレーを導入しているゴルフ場である。このような現象にたいして、これはバブル時にゴルフ場が身に付けた「サービスの偏重」からの脱皮による純粋なスポーツとしてのゴルフへの変化であるという肯定的な評価もあれば、サービスレベルの低下によって顧客の減少を招くのではないかという懸念もある。

 いずれにしても、ゴルフというスポーツほど、その時代、政治や経済に強く影響されるスポーツはないことは周知の事実である。日本ゴルフの歴史が100年を迎えた現在、ゴルフがこれまで以上に多くの人々に、国民スポーツ、生涯スポーツとして愛されるはずであるが、バブル経済に崩壊による打撃が重くのしかかっている。 

 

5.3 日本のゴルフ産業の現状

 前述のように、日本ゴルフ産業は政治と経済の展開とともに、波瀾万丈の歴史を見せている。また今は非常に厳しい時代を迎えている。日本ゴルフの関係者たちは、経済のグローバル化が進むなかで、いかに新しい国際秩序に対応出来る産業づくりをし、日本ゴルフ産業の再びの繁栄を実現させるか、という課題に直面している。そして、第二創業という角度から、日本ゴルフ産業の再生へ、サイドから提案することも本研究の目的の一つとなる。

 

5.3.1 統計からみるゴルフ産業

日本のゴルフ産業の現状を見るとき、まず練習場とゴルフ場の施設数の推移とその入場者数の推移を見て分析研究することで、市場特性が浮かび上がってくる。

図表52は、日本のゴルフ練習場とゴルフ場の施設数の推移を1984年から2001年の18年間に渡り示したものである。これらから日本におけるゴルフ産業発展の特徴を以下の2点にまとめたい。

第一に、1984年から2001年の18年間で合計983のゴルフ場が増えたこととなる。これは率にして66.92%の増加となる。この間のゴルフ人口の増加を考えると、需給のバランス以上にマーケットを無視したゴルフ場開発がされてきた感じが否めない。

その根底には、ゴルフ場の会員権販売に伴う預託金制度がある。すなわち経営者サイドは、売上げ計上する必要がなく、またゴルフ会員権市場相場が上がり続けている限りは返還請求がない、潤沢な資金を湯水のように得ることが出来たのだ。バブル当時では、1000万円を超える新規会員権募集は珍しくなく、1500人を集めれば150億円という巨額の資金が、転がり込んでくるわけだ。そして会員権相場は、株式相場以上にバブル化して高騰する結果となり、投機の手段として買い求めるゴルファーが横行した。ゴルフ場経営者にとってみれば、会員権相場が上がり続ける限り、返す必要のない預かり金を税金もかからずに持ち続けることが出来る。往々にしてゴルフ場開発で必要な資金以上を得て、それを元手に次のゴルフ場開発に当たるという「雪だるま式」のゴルフ場乱開発が行われてきた経緯がある。

 

図表52 日本のゴルフ練習場とゴルフ場の施設数の推移

 

 

練習場数

 

 

ゴルフ場数

 

 

年度

 

前年

比率

 

前年

比率

1984

3825

255

7.1%

1469

31

2.2%

1985

4032

207

5.4%

1496

27

1.8%

1986

4170

138

3.4%

1538

42

2.8%

1987

4321

151

3.6%

1588

50

3.3%

1988

4545

224

5.2%

1640

52

3.3%

1989

4790

245

5.4%

1722

82

5.0%

1990

5099

309

6.5%

1818

96

5.6%

1991

5338

239

4.7%

1926

108

5.9%

1992

5420

82

1.5%

2028

102

5.3%

1993

5399

-21

-0.4%

2127

99

4.9%

1994

5359

-40

-0.7%

2200

73

3.4%

1995

5309

-50

-0.9%

2273

73

3.3%

1996

5233

-76

-1.4%

2340

67

2.9%

1997

5131

-102

-1.9%

2370

30

1.3%

1998

5037

-94

-1.8%

2404

34

1.4%

1999

4918

-119

-2.4%

2421

17

0.7%

2000

4785

-133

-2.7%

2443

22

0.9%

2001

4611

-174

-3.6%

2452

9

0.4%

  出所:株式会社ゴルフ経営研究所資料。

 

第二に、ゴルフ練習場の施設数は、1992年をピークに減少に転じている。表31が示すように、練習場は1992年の5420ヶ所をピークとしてその後は現在まで減少の一途をたどっている。2001年の4611ヶ所は、13年前の1988年レベルまでの施設数が減少したこととなる。19843825ヶ所から9年間で1595ヶ所、41.70%増加した。1992年のピークから2001年の10年間の減少数は809ヶ所、14.43%である。これは日本の景気の状況から1から2年遅れで連動している。1992年を境として練習場の施設数が減少している。9年間で809施設が減少したこととなる。そしてその内訳は、最近にはるほど大きくなっている。最近の5年間の減少数は、合計622施設となり、9年間の76.89%である。特に2001年の174施設の減少数は、過去最大で、今後もこの傾向が続くものと思われる。

第三に、練習場とゴルフ場の相関関係を見ると、ゴルフ練習場対ゴルフ場数の比率の減少が明らかである。1984年の練習場数は3825で、ゴルフ場数の14692.60倍でその差2356ヶ所であった。練習場数がピーク時であった1992年の5420の時、ゴルフ場数は2028で、それぞれ2.67倍、その差3392ヶ所となった。2001年には、練習場数は4611となりゴルフ場の24521.88倍、その差2159ヶ所。練習場数がゴルフ場の2倍以下になったのは2000年に入ってからが始めてである。ゴルフ場の増減数は、ピーク時の1991年で108施設と、練習場の309施設と比べれば、3分の1程度である。今後もこの倍数は、引き続き減少傾向が見られると思われる。これは、上記で述べたところの、練習場数の減少傾向とゴルフ場数の微増傾向の関係結果から来る。

 

5.3.2 ゴルフ場数が微増している数字の裏

 表5−3は、ゴルフ場とゴルフ練習場を利用する人数を示している。

利用者数は1993年からゴルフ場や練習場においてともに減少する傾向である。また、前節で述べたように、ここ数年ゴルフ場の倒産が相次いでいる。それにもかかわらず、統計上では、ゴルフ練習場の数は減っているのに対して、ゴルフ場の数はバブル崩壊後も微増している。その原因は以下のようなものである。

 第一に、ゴルフ倒産後も営業し続けている。日本のゴルフ場は、国土が狭く人口密度が高い都市部から離れた山岳地帯に設置される場合が多い。すなわちゴルフ場以外の利用価値が少ない立地条件のために、転用が利く場合が多くない。したがって不況下で経営が厳しく、倒産や民事再生法等の法的処理がされた後も、そのままゴルフ場として経営する以外使い道がないのが現状である。ゴルフ場の施設数の推移を見ても、1991年のバブル崩壊後もその数が526コースも増えている。この期間の法的整理された200以上のゴルフ場があるが、その後も営業を続けているものがほとんどだ。

またゴルフ場が計画されてから許可申請業務を経て開発造成し営業を開始するまでは、少なくても5年から10年を要する場合が多い。したがってバブル期に計画されたゴルフ場が、バブル崩壊後にオープンすることも少なくなく、上記の表5−3の推移となって出てきている。  

 

 

 

図表53 ゴルフ練習場とゴルフ場の利用者数の推移

 

練習場利用者数(千人)

 

 

ゴルフ場利用者数(千人)

 

 

年度

 

前年比

比率

 

前年比

比率

1984

76137

3356

4.6%

66919

3494

5.5%

1985

81153

5016

6.6%

68159

1240

1.9%

1986

91244

10091

12.4%

72292

4133

6.1%

1987

103892

12647

13.9%

77630

5338

7.4%

1988

120287

16395

15.8%

82185

4555

5.9%

1989

134841

14556

12.1%

89963

7778

9.5%

1990

145508

10667

7.9%

95193

5230

5.8%

1991

153298

7790

5.4%

98809

3616

3.8%

1992

153170

-128

-0.1%

102325

3516

3.6%

1993

142110

-11060

-7.2%

99364

-2961

-2.9%

1994

132260

-9850

-6.9%

97833

-1531

-1.5%

1995

127455

-4805

-3.6%

97512

-321

-0.3%

1996

126202

-1253

-1.0%

99651

2139

2.2%

1997

125078

-1124

-0.9%

100529

878

0.9%

1998

120111

-4965

-4.0%

96032

-4497

-4.5%

1999

114948

-5162

-4.3%

93228

-2804

-2.9%

2000

110152

-4796

-4.2%

90000

-3228

-3.5%

2001

106010

-4142

-3.8%

90175

175

0.2%

    出所:株式会社ゴルフ経営研究所資料。

 

第二に、練習場は異業種への転換によって減少の要因である。練習場の開発には、ゴルフ場のような時間のかかる特別な許認可が必要ない。また建設期間も6ヶ月から1年弱とゴルフ場よりも短いため、経済状況に応じて施設数の増減が起こって来た。ゴルフ練習場は、周辺5キロから10キロの半径を中心市場としているために、ある程度の人口密度がある立地条件を満たしている。そのために練習場の跡地利用は意外と他業種に及ぶ。たとえば、大阪市内のシラヤマスポーツセンターは、日曜大工とスーパーの複合施設となり、なんばゴルフセンターは、住宅展示場に転用された。転用の可能性が少ないゴルフ場と比べて、練習場はマーケットニーズにより施設数の推移が見られる。過去にボーリング場で起きた現象に似ている。

 

5.3.3 ゴルフ練習場とゴルフ場のマーケットの関係

 前節の図表53を参照して、分析をおこなおう。ゴルフ経営研究所は集計、発表した統計によると、2001年度全国のゴルフ練習場利用者数は、10601000人で、前年比4142000人減少し。率で3.8%の落ち込みとなった。10年連続の減少となったこの利用者数でもわかるように、ゴルフ練習場のマーケットは厳しい環境にあることは間違いない。このゴルフ練習場市場の実態に直面して、ゴルフ練習場とゴルフ場の二つのマーケットは一体のものであることを一度再確認する必要があると考える。ここでは、まずゴルフ練習場利用者数の減少はゴルフ場の利用者数との深い関係を分析する必要がある。

 図表54の延利用者数の相関と図表55の一施設当たり利用者数の推移を示している。

 

図表54 延利用者数の相関

  

        出所:『ゴルフマネジメント』20023月号

         

       

 

 

 

 

     図表55 一施設当たり利用者数の推移

 

     出所: 同図表5−4。

 

 図表54、図表55からわかるように、ゴルフ場とゴルフ練習場のマーケティングが一体となって動いている。まず図表54が示すように、ゴルフ練習場の利用者数が1991年をピークに減少へと折り返し、ゴルフ場は翌1992年がピークで減少傾向を強めた。両者の深い関係が明らかである。

また、図表55の一施設当たりの利用者数の動きからは、別の連動性が読み取れる。一施設当たりの入場者数が早く減少したのはゴルフ場の方である。ここには、価格設定や予約を含めたプレーへの阻害要因が強く働いたと考えられる。その是正が前述したようなセルフプレーの増加や低料金化などの流れである。

もう一つ図表55から読み取れるのは、マーケティングが拡大するスピードと縮小するスピードの相違である。需要拡大のスピードは比較的に緩やかであるのに対して、縮小するスピードは非常に速い。この動きには非常に危険な要素が含まれている。縮小するペースが大きな角度で落ちているのはゴルフ練習場の利用者数の減少に比べて、ゴルフ場の利用者数の落ち込みが急なためである。この動きが起きたのは、前にも触れたように、ゴルフのマイナス成長が起こっていないからである。ゴルフ練習場は施設数を減らすことで需給調整をしているが、ゴルフ場コース数を減らすというマーケティング機能がまだ働いていない。そのために、一施設当たり入場者数が急激に減少する結果になったのである。

 

5.4 マーケットからみるゴルフ産業の行方

いままで、ゴルフ産業の落ち込みは景気の循環と関連付けて説明されることが多かった。景気は循環するので、辛抱する木に花が咲くと考えると、ここは我慢するしかないという主張である。しかし、世界秩序の変化や世界分業化の進展などによって、日本経済は従来のシステムでは景気回復しないことがようやく認識された今、政治も経済も大きな転換期を迎えようとしている。ゴルフ業界も変えなければならない。それは需要をつくることである。ゴルフしたい人を掘り起こし、潜在市場を顕在化させ、需要規模を維持する。このようなマーケティングはゴルフ業界に一番欠けていたのではないかと考える。その方法としては、以下の2点を提言したい。

第一に、経営意識の転換が必要である。日本ゴルフ業界に携わる関係者から「ゴルフ好きだから、ゴルフを仕事として選んだ」という発言が良く聞く。このような動機は仕事に情熱をもたらすプラス面はもちろんあるはず反面、自らの趣味をビジネスに転嫁し、消費者の志向を軽視するといった危険性も持っている。それが日本のゴルフ業界で、マーケティングが定着しない原因となっているという指摘がある。現在ゴルフ組織の中核にある多くの関係者にも、同様な傾向が見られる。このような関係者の価値観や志向が、消費者の感覚と一致している場合は問題にはならなかった。しかし、ゴルフ市場を構成する中心層が大きく変わった現在、ギャップが当然生まれたのである。このギャップを解消するのが、マーケティングの役割であろう。経営者は、自分の道楽をビジネスの対象とすることの違いを十分に認識し、マーケティングを重要視する経営意識の転換が大事である。

第二に、組織の転換が必要である。現在ゴルフ市場の低迷は、ゴルフ人口の減少と稼働率の低下による部分が大きい。それは既存ゴルファーの「ゴルフへの飽き」や「ゴルフ離れ」と一般生活者の「ゴルフ無関心化」が原因であるとの見解がある。しかし、このような需要環境を変えるには、組織の転換を行わなければいけない。それは需要環境の変化に対応できない既存組織の体質と能力に問題がみられているからである。

現在日本ゴルフ業界では一つの財団法人と8つの社団法人が認可され、活動を展開している、このような多くの公益法人を抱えるスポーツは、他にはあまりみられない。この他にも多くの任意のゴルフ団体が存在し、その中の7つを加えた16の組織が「日本ゴルフサミット会議」を結成し、ゴルフの普及と活動を展開している。このような縦割り行政的な組織形式の弊害が近年指摘されるようになった。まず、日本のゴルフ界では、活動の中核となる公的ゴルフ組織は夫々異なる監督官庁の管轄のもとにある。しかもその担当区割りはゴルフ活動と直接な関係がなく、単に行政の都合によるものである。そのため行政主導による縦割り展開の弊害が、需要構造の変化への迅速な対応を防げる障碍となっている。

 ゴルファーとその需要が存在する市場はひとつである。ところが、供給側は領域のことなる行政組織の監督のもとに、複数の団体が個々に活動に取り組むといった、複雑で矛盾する対応を取り続けてきた。

経済高度成長を背景に、多量な新規ゴルファーの参入が可能な過去のゴルフ市場では、このような組織的矛盾もさして問題にならなかった。ところが、ゴルフを取り巻く環境が一変した現在、活性化への対応を防げる大きな障壁となってきたのである。いくら多くの組織が結集し、共同のスローガンを掲げ行動を起こしたとしても、現在のような共同体的な活動を続ける限り、その実現は困難である。

 

上述を総合してみると、ゴルフ産業は最も経済影響されやすい産業であるゆえ、今日の日本経済のなかで、ゴルフ産業の発展が厳しい状況にあることがはっきりしている。そこで、新しい起業に際する立地選択原則として、潜在市場のある場所を選択すべく、中国に着目したのである。そして、新市場としての中国ゴルフ市場について、次章で詳述する。

 

                     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6章 新市場としての中国からみる中国における第二創業の根拠

 

 1989年のベルリンの壁崩壊は、ボーダレスの経済の開始でもあった。それ以来、あらゆる価格が地球規模で一つになろうとしている。同じ仕事でも、日本人の給料は中国人の給料の数倍あるいは数十倍だと、負けることが目に見える。それは、給料も地球規模で一つの流れとして考えなければならないからである。

競争相手も、近くの同業者ではなく、世界のどこからでも現れる。とはいえ、日本人は危機感だけを感じる必要もない。というのも、地球規模で価格が一つになっていく過程で、様々なビジネスチャンスも地球規模で生まれるからである。チャンスをつかめるかどうかが鍵となる。

 筆者はゴルフ練習場経営に関わる仕事に従事しながら、日本ゴルフ産業界も、グローバル化の時代に対応出来る経営システムを模索しなければ再生できないと痛感している。そこで、日本ゴルフ産業の再生策を、日本国内だけを考えるではなく、地球規模で考えるべきである。そして、本研究を通じて、日本ゴルフ産業再生のための国際的な第二創業の方法論を模索したい。

 本章は産業論の角度から、産業分析を通じて、第二創業の立地選択を中国にした理由を明らかにすると同時に、第三次産業に属しているスポーツ産業、とりわけゴルフ産業が中国において、形成背景、発展する条件、可能性を検討して行く。そして、ゴルフ産業化を背景に、第二創業としての「Image Golf School」の展開の可能性を引き出していく。

 

6.1 中国における改革開放の推移と現状

6.1.1 計画経済から市場経済への軌跡

 中国は建国後半世紀の歴史において、本格的な経済発展を成し遂げたのは、1980年代半ばからの十数年間であるといえる。この時期において、政府は長年わたり実行してきた計画経済対する見直しを行い、経済体制における市場経済への移行が経済成長の一番の原動力であると考えられる。そして、このような市場経済体制への移行は、ゴルフ産業形成の条件を創出し、さらに発展する可能性を作り出したと考える。

ここでは、まず中国の「計画経済体制」を説明しておこう。

中国の近代史を振り返ると、100年近くの内外戦争のため、近代的な民族工業はほとんど発展させることできなかった。1949年中華人民共和国は建国後、長い内外戦争が終焉し、平和時代を迎えると同時に、自力で工業化を開始しようとした。そこで旧ソ連1930年代の工業化のための社会主義的計画経済システムをモデルとして、社会・経済政策を取り始めたのである。そして、旧ソ連を模倣し、最初の経済発展5ヵ年計画が制定された。[1] それには重工業化体制の構築、生産手段の社会主義化、計画経済体制の定着など内容が盛り込まれていた。この時期は「一五期間」と呼ばれている。

中国の「計画経済体制」では、政府はすべての重要生産単位を国有化した。1952年に中央政府は全国的に計画・執行する最高行政機関として国家計画委員会を創設し、一連の計画化措置を通じて政府統治制の企業の生産・流通過程はもとより、資金の調達や労働力の配分・賃金にまで及ぶものであった。計画の実施は具体的には産業監督官庁から企業へ、中央から地方へという二つの系統を通じて、計画指標を細分化し、下達していくというシステムで行われていた。  

しかし1958年から、毛沢東をはじめとする共産党は「大躍進」、「文化大革命」などの政治運動を起こし、いわゆる「動乱期」が始まった。まず、「大躍進」期間において、経済運営は極端に混乱させられた。「大躍進」とは、根拠のない高い目標を設定することによって、アメリカやイギリスにキャッチアップする「躍進」を狙うことである。無論、この政策は国を躍進させるどころか、膨大な浪費をもたらす結果になった。また、「文化大革命」時代において、人は「経済」という言葉を口にするだけで罪になるほど、「政治運動」優先の時代に突入したため、1953年から1957年までの間に始まった工業化も台無しになり、政治的な試行錯誤が繰り返されていた。国民経済は20年間発展せず、産業政策も言うまでもなくなかった。1979年から「ケ小平時代」に入り、毛沢東時代の「経済発展より政治運営優先」路線が終焉し、中国政府は改革・開放の政策を採用した。そして、1980年代半ばには、人民公社は解体され、生産請負制[2]が導入された。この生産請負制によって、農業生産性の大幅向上が実現した。更に、人口の8割近くの農民はこの請負制によって、初めて収入を得る機会が与えられた。これはまた消費市場が拡大する契機となった。

 第65ヵ年計画の198185年の間で、中国政府は国民の生活を如何に早く豊かにすることを課題にした。そのために、経済発展の重点を国民生活と密接に関係する軽工業に置き、加工業に対する生産奨励政策を打ち出した。結果的には、全国的にカラーテレビ、冷蔵庫、洗濯機など家電製品の加工業に対する過剰投資と生産能力の遊休化が生じた。これは、地方政府が生産規模の拡大を追及した結果であると考えられる。この時期には、まだ市場メカニズムが重要視されていなかったからである。

1988年国会計画委員会の中に産業政策司(司は日本の省庁なかの局に相当する)が設立された。翌年の1989年、政府は5ヵ年計画と別に、国家計画委員会が「国務院の当面の産業政策に関する要点の決定」を公布した。ここでは「産業政策」という言葉が初めて使われた。[3] この「産業政策」は日本の「産業政策」とその理論についての研究を背景に、特に小宮隆太郎や正村公宏などの理論が参考にされて、打ち出されたものと言われている。その意味としては、「産業(部門)の資源分配、あるいは産業(部門)内の産業組織に、政府が介入することによって、その国の国民的な目標を達成しようとする政策である」。[4] 産業政策の直接の目標は、産業の発展を促進し、産業構造の高度化と産業の国際競争力の向上を進めることである。産業政策の手段は、政府の介入と市場メカニズムを結合するという原則により、産業間・産業内の資源分配に介入することによって政策目標を実現することである。そして「国務院の当面の産業政策に関する要点の決定」の中で、加工業の生産能力が過剰であることと、エネルギー、素材、輸送などの基礎産業の生産能力が不足している問題が指摘され、供給過剰の業種を制限し、供給能力が不足する業種に支援するという産業構造調整の政策が決定された。ここまで、また経済の発展は政府当局の計画によって作用される比重が大きかった。

そして、中国経済発展における一里塚的な存在は「社会主義市場経済体制」へ転換するという1992年の政府の政策決定である。中国は長期間計画経済において試行錯誤を繰り返した末、市場メカニズムの存在を認めて、市場経済へ移行することにようやく辿り着いたのである。これによって、経済における飛躍的な発展が開始したのである。

 

6.1.2 開放政策の推移 

 中国の開放政策による大規模な外資導入は中国経済発展の大きな機動力となり、そして、産業構造の高度化をもたらす大きな要因となった。なかでも、直接投資による外国企業の中国進出は第三次産業の拡大をもたらし、またスポーツ産業やレジャー産業の発展には最も影響を与えたと考える。

中国の改革・開放政策の実行は1979年から始まって、段階的に導入されたのである。その理由と過程、さらにゴルフ産業を含むレジャー産業への影響について、本章で検討する。その前に、中国における対外開放政策導入の経過をまとめておこう。

19797月に公布された「合弁企業法」によって、禁止されていた外国の資金、技術、管理システムなどの導入が解禁された。政府は対外開放の国内への衝撃を緩和するために、開放地域を段階的に限定する政策をとった。この政策によって、中国東沿岸部における発展経済圏の形成をもたらした。

 最初に対外開放したのは東南部沿岸の広東・福建両省である。中央政府は両省に「特殊政策・弾力的措置」をとる権限を与え、1980年に広東省のシンセン・珠海・汕頭、福建省の厦門を経済特区に決定した。特別経済技術開発区の企業は、所得税や土地・インフラ(水、電力など)の使用及び原材料の輸入、出入国などの面で優遇される。更に、1984年には、大連、天津、上海、広州など14の沿海都市を沿海開放都市とすると共に、これらの都市に経済技術開発区を設置し、経済特区と同様な優遇措置を与えた。19851月には、上海市を中心とする長江デルタ、珠海市を中心とする珠海デルタ、厦門を中心とするミンナンデルタを沿岸経済開放区に指定し、対外開放の範囲をこれらの地区の農村部まで拡大した。19884月に大連市を含む遼東半島と青島市を含む山東半島を経済開放区に加えると同時に、海南島を広東省から独立させ、海南省として全島を経済特区とした。その分布状況を整理し、作成した地図は図表61である。90年代に入って、開放政策は従来の沿海地域から辺境地域と揚子江流域へと更に拡大した。

 そして、経済特区の優遇政策は大規模の外資が中国へ流入する最も大きな要因の一つとなった。それと同時に、経済特区の展開が外資の導入や外国企業の進出を大きな影響を与えたため、経済特区の分布状況は中国経済発展を理解するには非常に重要なキーポイントになっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図表6‐1:中国対外開放経済特区分布図表 

 

シンセン

 
角丸四角形: 珠海デルタ 角丸四角形: ミンナンデルタ

   出所:筆者作成。

 

6.1.3 外資導入の展開

開放政策のもとで中国が、最も経済の発展に影響を与えたのは外資の導入

である。対外借款や、直接投資といった外資を経済発展のために積極的に活用してきたからこそ、先進諸国は半世紀から百年掛かって実現したことを中国では、ここ二十数年の間で成し遂げてきたという奇跡的な発展ができたと考えられる。ここで、この中国経済にとって極めて重要な存在である外資の導入の推移と特徴をまとめておこう。

 まず、外資導入の段階をみると、中国の開放政策の流れと外資進出の動向からみると、経済発展とともに、五段階の展開を経過していると考えられる。中国の外資導入の形態には対外借款、直接投資、コマーシャル・クレジットなどがある。また、対外借款は外国政府借款、国際金融機関借款、債券発行などを含む。直接投資は合弁会社、合作企業(協力会社)、独資企業(100%外資企業)、協力プロジェクト、支店・駐在員事務所などの方式を含む。コマーシャル・クレジットは委託加工貿易・補償貿易などを含む。そして、その5段階は以下のようなものとなっている。

第一期1979~84年の開放政策の始動期である。借款を中心とする外資導入を行った。直接投資は協力・合弁が主であった。

第二期は1985~91年の開放政策の拡大期である。経済開発区の設定などはこの時期である。さらに、1986年に外資奨励政策が公布されるなど、開放政策の拡大とともに、外資進出の増加もみられた。

第三期は1992~94年開放を全国範囲への拡張期である。1992年、ケ小平の経済特区視察の際発表した南巡講話によって、開放政策の対象は内陸まで押し広げられ、一段の拡大時期となった。その結果、外資の対中進出の第一次ブームが出現した。1993年1年間全国で契約された直接投資件数は83,437件であり、開放政策をとって以来12年間の累計件数の倍に近い数字となっている。またこの時期を境に、外資導入のウェートは借款から直接投資に移った。

第四期は1995~99年の引き締め期である。この時期における金融不安の発生の要因などによって、各方面における産業政策の調整を行っていたため、外資導入が、特に直接投資の減少がみられた。

第五期は2000年からの第二次投資ブームである。WTO加盟交渉において、政府はアメリカなど先進国に対して開放の拡大を約束したことがこの再びの外資投資ブームを呼んだと考えられる。

次章において、中国ゴルフの発展は以上の外資導入の各段階のつながりを見ながら、詳しく分析を行なう。

次に、外資投資の傾向についてみてみると、外資の流れは以下の二つの大きな傾向が見られる。第一は、政府による借款から外資企業の設立による直接投資への移行である。1990年に対外借款と直接投資がそれぞれ65.3億ドルと34.9億ドルであったのに対して、1998のそれは116.2億ドルと454.6億ドルであった。