第9回:だれかを信じるのであれば、
それは間違いなく自分であるべきだ

るとき一人のプレーヤーが私のところへきて、
「博士、あなたはスポーツ心理学の専門家だ。私がトッププレーヤーになることは可能でしょうか?」

 と聞いてきた。私の答えは、

 「それは、私には分からない。あなた自身はどう思っているのですか」

 であった。そして私はこう続けた。

 「あなたはトッププレーヤーになるだろうと私が思う以上に、自分自身でトッププレーヤーになれると思うことが重要なのだ。トッププレーヤーになる可能性はあるだろうが、私はあなたの心の内側が見えない。あなたの決意がどれほど強いもので、トッププレーヤーになるためであれば、すべてを投げ出してもやり遂げる覚悟があるかどうかの心の内側は、自分が一番よく知っているからだ。その決意が強く、決心が変わらないのであれば、二人でその方法を見いだしましょう」

 これは、ニック・プライスにもいったことである。彼と初めて会ったのは、ジンバブエの小さい町からやってきてツアーですでに12年が過ぎていたときだった。そして勝ち星は一つ。これくらいが自分の実力と認めて、いらだつのはやめ、このままの状態を維持することもできる。あるいは、自分をもっと高めることができると信じて向上することもできる。そんな分かれ目だった。

 しかし、プライスは自分を高めるほうを選択した。その後の彼の活躍は、皆さんもよくご存知であろう。プライスについては、また別の機会にお話しすることにしよう。

 スポーツ心理学とは、心の状態、考え方を最高に持っていき、最高のパフォーマンス(結果)を得るように手助けすることだ。人には考え方に対して選択の自由があり、自分が最高と考える権利があることを認識させてあげるのだ。

 ある選手は「私は、だれにも負けないくらい練習をしたのだから、勝つチャンスがある。」というが、トーナメントがスタートすれば練習の量など全く関係なくなる。自分を信じ切ることができるかどうかが問題となってくる。他人を信じるよりも、自分を信じてプレーできるかである。だれかを信じるのであれば、それは間違いなく自分であるべきだ。

 みんな母親から生まれてきた一人の人間なのである。人間はみんな生まれて、生きて、死んでいく。生まれるときは、何の選択もなく、死ぬときもほとんどない。だが、生きているときは、われわれは自由に選択できるのだ。だから、生きているときの自分の選択に責任を持ち、その行動を目的あるものにしなければならない。