スーパーシニアのゴルフライフ

NO.1〜NO.50はこちら

NO.100

須磨寺(神戸市須磨区)

 源平ゆかりの古刹・須磨寺はJR神戸線・須磨駅から歩いて15分くらいの所にあります。

神戸・元町へ行くついでに途中下車して、2時間ほど散策して来ました。

須磨は源平興亡の舞台となった地で、境内には源平の庭が作られ、平敦盛と熊谷直美の一騎打ちの場面を再現したモニュメントもありました。須磨寺宝物館には、平敦盛の青葉の笛・甲冑・書画などの展示、源平ゆかりの品や源平合戦にまつわる資料の展示、日本最古の一弦琴などが展示されていました。                 

平成25年4月19日 高木晧次

 

 

NO.99

奥川始弘個展

 平成25年4月17日(水)奥川始弘個展を見て来ました。JR元町駅に近い『ギャラリー むかい』で毎年今頃開催されており、今年で10回目を迎えたようです。奥ちゃん(いつもそう呼んでいます)は、神戸市垂水区在住で、日本毛織()婦人服部のテキスタイルデザイナーとして活躍され、引退後も画家として頑張っておられます。個展を10年間も続けて来られたことは偉いと誉めましたら、色々な方にそう言われますと謙遜していました。

 今年も、ニッケ先輩の岡田重一さんと観覧した後、大丸百貨店の東隣のニッケビル地下の「ニューミュンヘン神戸元町店」で美味しい黒ビールに名物の鶏の唐揚げを頂いて帰宅しました。

 加古川の田舎に住んでいると神戸という異国情緒の町並は独特です。心の洗濯でこれからも時々は散策しようと思っています。         

平成25年4月18日 高木晧次

 

 

NO.98

MGCさくら会コンペ

平成25年4月11日(木)『第4回MGCさくら会』に参加しました。武庫の台ゴルフコース主催の関西ゴルフ練習場連盟の会員を対象にしたコンペで、毎年桜の咲くこの時期に開催されています。今年の桜は急に咲いて急に散ってしまい、残念ながら散り終わりのタイミングでした。又、当日は生憎の天気で、風も強く・寒く・雨も降り最悪の天気でしたが、皆さん元気にラウンドされました。コース内には満開の山つつじが一杯咲いていました。

MGC(武庫の台ゴルフコース、6,829Y パー72)は神戸市北区道場町にあり、昭和41年10月31日のオープンですから、創業47年になります。名匠“上田治”氏設計のパブリックコースで、関電子会社の()関電アメニックスが運営されています。設計者の上田治氏は、関西圏では加西インターCC、小野GC、小野東洋GC、よみうりCC、奈良CC、奈良万葉CC、宇治CC、大阪GC、有馬ロイヤルGC、茨木国際GC、近鉄賢島CC、橋本CC等数々の名コースの設計者です。MGCはパブリックコースの中でも歴史のある名門コースです。

プレー終了後、神戸牛の焼肉パーティでお腹を満杯にして、それぞれ全員が何らかの賞品を頂き帰路につきました。武庫の台ゴルフコース様ありがとうございました。 

  平成25年4月15日 高木晧次

 

 

 NO.97

明石城(兵庫県明石市)

 

 

 平成25年4月4日(木)明石公園へ行ってきました。日本さくら名所100選にも選ばれた名所で、JR山陽本線明石駅北側に位置し、駅ホームから間近に望めます。向かって左に坤櫓(ひつじさるやぐら)、右に巽櫓(たつみやぐら)の3層の櫓がそびえ立っています。

 明石の地は、山陽道が通り、北には丹波の国、但馬の国への道が分かれ、淡路島、四国のルートがあり、古来より交通の要衝であったようです。徳川幕府が西国の外様大名の抑えの城として、姫路城についで着目し、徳川秀忠時代の1,618年の築城されたようです。台石まで積まれましたが、世の中が平穏になった為、天守までは作られなかったと書かれています。   

 当日は好天で大変陽気な1日でしたが、公園内には家族ずれや若い人々に溢れていました。

約1000本の桜の木も満開でした。        

 

 平成25年4月5日 高木晧次

 

 

 NO.96

神戸・海岸通り

 平成25年3月中旬、陽気に誘われて神戸・海岸通りを散策して来ました。JR元町駅を南へ5〜6分歩けば神戸港に着きます。神戸港沿いに『海岸通り』が東へ5〜6km続いています。どこからどこまでが海岸通りかは知りませんが、元町の南には海岸ビルや商船三井ビルディングが並んでいます。大正から昭和にかけて、横浜や神戸港が貿易の拠点として栄えたであろう往時の姿がしのばれます。メリケン波止場には展望広場、ポートタワーがあり観光客で賑わっていました。加古川から大阪へ通勤していた頃は、神戸は単なる通過駅でしたが、おしゃれな街・神戸をもう一度見直したいと思っています。        平成25年3月27日 高木晧次

 

 

 NO.95

 ユスラウメ

 自宅のユスラウメ(桜桃)が先日から満開です。ユスラウメはバラ科の落葉低木。中国が原産で江戸時代初期から栽培されているとのことです。直径が1cm位の赤や白の果実がなるようですが、今はその気配はありません。昭和38年から38年間の長きに渡り日本毛織株式会社に勤務し、その後関西ゴルフ練習場連盟で11年半お世話になりました。この73年間、仕事とゴルフにしか目が向いていなかった人生でしたが、もう少し草花や樹木にも興味を持たなければと考えている今日この頃です。               平成25年3月26日 高木晧次

 

NO.94

城崎温泉

 平成25年3月8日(金)兵庫県豊岡市の城崎温泉へ行ってきました。日本海に近い城崎温泉は毎年1月に行っていますが、今年は3月に入ってからとなり、ポカポカ陽気の良い天気でした。かにのシーズンも終わりに近い為、もう少し空いているのかと思って行きましたが、結構ひと通りも多く賑わっていました。卒業旅行でしょうか、特に若いグループが目立ちました。やっぱり、温泉の雰囲気といい、又松葉蟹も格別でした。

 3月になったのは、実は元旦に倒れたからです。元旦だけに恒例のお神酒を頂き、お餅を食べて新聞を読んでいる時に一瞬意識が無くなり倒れました。救急病院へ担ぎ込まれ、頭部MRIと胸部レントゲンを撮りましたが全く異常はなくそのまま帰宅しました。あらためて頸部エコー検査をしましたが異常はなく、下旬の脳波検査も異常はなく、その間の24時間心電図も異常はありませんでした。又、人間ドックに入り色々検査をして貰いましたが、目立った異常はなしでした。結局、脳神経外科のお医者さんからはなぜ倒れたかは不明との事で、もう来なくても良いと言われました。自分としては、加齢とともに動脈硬化も進んでいるのも一因で、『脱水症』ではなかったかと推測しています。それ以来、水分補給には気を付けていますが、人間の身体の2/3は水分との事ですから、どんどん水分を補給して2度と同じ失敗はしないよう心掛けています。

      平成25年3月22日 高木晧次

 

 

 NO.93

南米・ブエノスアイレス

 もう30年以上も前の話になりますが、日本毛織株式会社(ニッケ)の子会社「ニホンケオリアルヘンチナ社」へ短期間でしたが赴任していました。工場は南米・アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの近郊にあり、子供の学校(日本人学校)の関係でブエノスアイレス市内に住んでいました。通勤は車で約30分位でしたが、通勤途中には本当に掘っ建て小屋のような家も一杯ありまだまだ開発途上の国でした。ケ・セラセラの国ですから、今もまだまだ変わっていないのではないでしょうか…。ブエノスアイレスは南緯35度・東経60度(明石は北緯35度・東経135度)ですから、日本のほぼ地球の反対側に位置しています。四季があり当時ブエノスアイレスは南米のパリと言われ、街中のベランダには花が一杯飾られていました。

読売新聞に世界の温度が掲載されており、毎日興味を抱いてみていますが、年末から年始のブエノスアイレスの最高/最低温度は下記のとおりです。

        最高  最低    

12月24日 37℃/20℃   

12月27日 25℃/13℃   日本の6月下旬から7月上旬の気温ですが、最高温度は

1月  1日 22℃/ 9℃   極端に暑い37℃もあるかと思えば22℃の時もあり、1月 6日 31℃/17℃   最低温度は9℃から20℃です。要するに気温の変化が

1月 8日 30℃/15℃   日々だけではなく朝夕も大きく、結構朝晩は寒いのです。

1月 9日 30℃/19℃   

 日本で一時昼間にカーディガンやセーターを腰に巻いている人を見かけましたが、最近は余り見かけなくなりました。外国では朝夕の温度差が激しい為、朝夕はセーターが必要でも昼間は要らない為の所作でしたが、日本ではオシャレとしてその真似をしていたのかと思っています。

子供がまだ小学生でしたが、イグアスの瀧へ行った時の写真を添付しました。

                          平成25年1月15日 高木晧次

 

 

 NO.92

 

あけましておめでとうございます。

昨年の8月末日をもって関西ゴルフ練習場連盟を退職し肩の荷が下りて4カ月、73歳にして初めて気楽な生活を送れるようになりました。毎週月曜日の休み明けの緊張感も必要がなくなり、清々しい気持ちで新年を迎えました。今年も日曜・祝日はゴルフコースへ、平日はスポーツクラブへ、時には関西一円をぶらり散策して、有意義な人生を送る計画です。今年もよろしくお願いします。                       

平成25年元旦 高木晧次

 

 

 NO.91

大伴直幸さんホールインワンコンペ

 

 平成24年12月17日(月)加古川ゴルフ倶楽部(兵庫県加古川市)で開催の大伴直幸さん(兵庫県・豊岡ゴルフ社長)ホールインワンコンペのお世話をさせて頂きました。

 ホールインワンは、関西ゴルフ練習場連盟との付き合いの深い写真家の秋山真邦さんや恒藤光夫さん(エブナゴルフセンター社長)が中心となって、平成24年10月10日(水)加古川ゴルフ倶楽部で開催されたゴルフ団体関係者のコンペで達成されました。加古川ゴルフ倶楽部の15番ホール(137Y)はやや上りのホールでカップは見えず、ボールが見当たらない為カップの中を覗いたら入っていたとの事でした。このお祝いコンペには丁度80名が参加して頂き、プレー終了後盛大に祝賀会が開催され、個々に参加賞や賞品を手にして散会しました。

沢山のご参加にお礼申し上げますと同時に、大伴さんおめでとうございました。(内緒ですが、ご本人はもうホールインワンは懲り懲りと言っていました)

                       平成24年12月22日 高木晧次

 

 

 NO.90

赤穂義士祭(兵庫県赤穂市)

 赤穂義士祭は、忠臣蔵の赤穂義士が吉良邸に討ち入った毎年12月14日に、兵庫県赤穂市のJR播州赤穂駅前で行われています。祭りは1,900年に始まり、戦後の一時期を除いて今年で109回目とのことです。ハイライトは一般応募者が参加する義士行列で、吉良上野介を討ち取った後、泉岳寺の浅野内匠頭の墓前に報告に向かう大石内蔵助ら四十七士を演じます。

 内蔵助が打ち鳴らす陣太鼓に合わせ、白と黒の装束をまとった義士たちが、赤穂城址の大手門からJR播州赤穂駅までの約1.3キロをすり足で進みます。駅前では観光客らと「エイ、エイ、オー」と勝ちどきを上げます。行列の前を進む山車の上では、江戸城松の廊下での刃傷事件や内匠頭の切腹場面が再現され、人形のように身動き一つせず、内匠頭や上野介になりきる姿も面白く拝見しました。約6万人の人出とのことでしたが、天気も良く、おにぎりをほお張りながらのミニ観光旅行でした。

               平成24年12月15日 高木晧次

 

 

 NO.89

谷汲山華厳寺

 平成24年12月6日(木)西国33カ所観音霊場の結願札所『華厳寺』へ行って来ました。父母の出自は岐阜県垂井町で,大正時代の終わりに商売を始めるため京都(伏見区)へ出て来て、洋品店を開いたとのことです。両親ともに今はこの世に居ませんが、お墓は先祖代々から垂井町にありますので、長兄と妹の3人で墓参り方々『谷汲山華厳寺』へ行って来ました。長兄も妹も東京に住んでいますが、妹は西国33カ所巡りをしていて、谷汲山で満願になるので是非連れて行ってほしいとの事で行って来ました。

 谷汲山・華厳寺は、宗派は天台宗、本尊は十一面観世音菩薩、創建は延暦17年(798年)と歴史ある古刹でした。日頃から宗教とは距離を置いた生活をしていますが、やはりこの荘厳な本堂の前に立つと自然と手を合わせ拝んでいました。ゴルフが中心の生活からもう少し伝統・文化・芸術にスタンスを置いた生活に切り替えねばと痛感しました。

             平成24年12月13日 高木晧次

 

 

 NO.88

今頃のセント・アンドリュース

 京都在住の写真家・秋山真邦様から平成24年10月下旬のセント・アンドリュースゴルフリンクス

の写真を送って頂きました。10月のセント・アンドリュースも緑一杯ですね。

 

 

『H23..11エジンバラ城にて』

 平成23年6月11日〜18日に関西ゴルフ練習場連盟の有志12名は秋山様のご案内でセント・アンドリュースGLの3コース(オールドコース、ニューコース、ジュビリーコース)とカーヌスティGL

をラウンドしてきました。スコットランドは北緯56°に位置しておりロシアのモスクワと同緯度で、北海道の最北端の宗谷岬が北緯45.5°ですから、更に北のカムチャッカ半島の緯度になります。昨年の6月のスコットランドはまだまだ寒く風も強く、日本の3月か4月頃の気候の感じでしたが、楽しい遠征でした。

 今までにスコットランドへ行かれた方は秋山様の写真集や著書を見てゴルフの聖地を思い出して頂き、これから行きたいと思われている方は是非予習をして行けば、一層充実したゴルフ遠征になるでしょう。

               平成24年11月8日 高木晧次

秋山真邦様の著書:

 ゴルフダイジェスト社 『セント・アンドリュース 聖地で出会ったほんもののゴルフ』

 京都書院       『ゴルフのふるさとを訪ねて …… セント・アンドリュース』

  講談社        『伝統のゴルフトーナメント・全英オープン』

 ()技術評論社  写真集『ゴルファー至福の聖地 セント・アンドリュースに魅せられて』 

 小学館プロダクション 写真集『セント・アンドリュース オールドコース』 その他著書多数

 

 

 NO.87

関西グランドシニアチャンピオントーナメント

 

 平成24年度の3つのクラブチャンピオントーナメントが有馬ロイヤルゴルフクラブで開催されました。クラブチャンピオントーナメントは12月4日(火)〜5日()の2日間競技でロイヤルコース、シニアチャンピオントーナメント(60歳以上)は12月5日(水)ノーブルコース、グランドシニアチャンピオントーナメント(70歳以上)は12月5日(水)・ロイヤルコースで開催されました。両日ともに天候に恵まれ風もなく最高のコンディションでした。 小生が参加したグランドシニアのロイヤルコースはFWが洋芝の為、若干ゴルフボールが沈む感じになり最初は慣れなかったのですが、2回の練習でなんとかクリア出来たようでした。

 インコースからのスタートでしたが前半は17パットで41打、こんなもんでしょうと思いながらアウトへ行きましたが、後半はパターが絶好調で7ホールまでボギーなしの2バーディで2アンダー、自分自身もびっくりしながら8番ホールへ向かいました。8番のドライバーはナイスショットで残りは打ち上げを入れて130Yと判断して8番アイアンを握りましたが、ちょっと距離が足りず手前のポットバンカーに入れてしまいました。入れてはいけないバンカーのようで、4打掛ってようやく脱出し9も叩きました。最終9番ホールも3パットしボギーで40打にしてしまい、結局41+40=81打で15位タイでした。ゴルフに「たら」「れば」はありませんが、なんと悔いの残る試合でした。

           

平成24年12月10日 高木晧次

 

 

 NO.86

宮崎ゴルフ遠征

 ダンロップフェニックストーナメントの観戦を兼ねて宮崎へ行ってきました。平成17年の観戦が初めてでしたから今年で8回目になります。11月14日(水)は青島ゴルフ倶楽部でプレー、15日(木)は観戦、16日(金)は美々津カントリークラブでプレーしました。青島ゴルフ倶楽部は女子プロトーナメントも開催された素晴らしいコースですし、美々津カントリークラブは宮崎県で2番目の昭和42年に開場したゴルフ場で(1番目は昭和35年開場の宮崎カントリークラブ)、宮崎市からは車で約1時間半北の日向市にありました。日向灘を望みながらのすばらしいゴルフ場でした。

 ゴルフセンター171の田近良三さん、宝塚水上ゴルフクラブの桐越重治さん、阪奈ゴルフの荒川雅洋さん、豊岡ゴルフの大伴直幸さんと小生の5人でした。急なキャンセルがあっての5人という中途半端な人数でしたが、宮崎牛や日向灘の魚に堪能したゴルフ遠征でした。

 

    

 

                    平成24年11月26日 高木晧次

 

 

 NO.85

第64回正倉院展

 平成24年10月27日(土)〜11月12日(月)まで奈良国立博物館で開催されていました『正倉院展』に行ってきました。昭和21年の終戦直後に第1回が開催され、それ以来64回を数えるようです。

 1,300年前の奈良時代には、国、群、大寺院などには「正倉」と呼ばれる倉庫が多く建てられ、穀物や種々の財物、道具類が納められました。正倉がいくつも集まった場所が「正倉院」と呼ぶそうで、長い歴史の中で沢山の正倉がなくなっていき、唯一東大寺の正倉院が今に残ったようです。9,000点を超える財物の中の64点が今回展示されていましたが、瑠璃(ガラス)の器や玉類は大変美しく、磁器や装飾品等も目を見張る物ばかりでした。奈良公園内のすぐ近くの「なら仏像館」や「興福寺」も参拝して来ました。

 奈良、京都の古都巡りは、雑踏の中では思いもつかない感情にとらわれます。心の洗濯の為にこれからも古都巡りは続けていきたいと思っています。

  

                        平成24年11月13日  高木晧次

 

 

 

 NO.84

初代グランドシニアチャンピオン

 

 ホームコースの加西インターCC(兵庫県加西市)のクラブ選手権の決勝戦が昨日雨の中開催され、小生はグランドシニア選手権に出場しましたが、初代のチャンピオンになりました。従来はクラブ選手権とシニア選手権しか行われていませんでしたが、本年からグランドシニア選手権が加わりました。準決勝と決勝戦共に18Hマッチプレーでしたが、準決勝は4−3で勝ち残り、昨日の決勝は19H1UPとなんとか勝つことが出来ました。

 クラブチャンピオンは千草CCで1回、シニアチャンピオンは加西インターCCで7回と沢山のカップを頂きましたが、新設のグランドシニアチャンピオンは初代ですからそれなりに緊張しました。小生がミスをしたら相手もミスをしてくれるという幸運にも恵まれ、エキストラホールの1ホール目でなんとか勝ちました。12月5日(水)有馬ロイヤルゴルフクラブ・ロイヤルコースで開催されます『関西グランドシニアチャンピオントーナメント』では、コンディションを整えて自分のゴルフが出来るようベストを尽くします。 

平成24年10月29日 高木晧次

 

 

  NO.83

ニッケバーディ会コンペ

 日本毛織株式会社のOB会で、ニッケバーディ会という会があり、第75回目のゴルフコンペが平成24年10月25日(水)ローズウッドゴルフクラブ(兵庫県小野市)で開催されました。バーディ会には小生は9月に開催された白鷺GC(兵庫県姫路市)に続き2回目の参加でしたが、好天に恵まれ、おまけにこのコースは初めてのコースでしたので気分よくラウンドさせて頂きました。 スコアは90を切る人が2名、90〜100が7名、100以上が14名とスコアに殆どこだわらず、いわゆる純粋にゴルフを楽しむ人々がメインで、なおかつ同じ会社で働いた同志ですから、和気あいあいのコンペでした。

 普段は4人のハンディキャップが合計で30くらいの方々と回っていますので、全く違うゴルフの世界があり、このような方々にもっともっと練習場やコースに出て頂ければ、ゴルフ業界が更に活性化すると痛感いたしました。参加者は一時代前まではビジネスマンとして活躍された方々ですから、エチケット・マナーも良く楽しいコンペでした。平均年齢は多分60歳代後半でしょうから、これからも切磋琢磨され元気にプレーされることを願ってやみません。

                          平成24年10月26日 高木晧次

 

 

  NO.82

ニッケ掬水会バス旅行

  

 平成24年10月19日(金)ニッケ掬水会(日本毛織株式会社のOB会)にて、京都大原三千院バス旅行に行ってきました。関西から41名、中部から22名の合計63名が参加しました。紅葉には早い三千院でしたが、絶好の行楽日和に恵まれ、昼食は三千院に近い料理旅館『魚山園』で京料理を楽しみました。三千院は大昔前に2〜3度行った記憶がありますが、その時は寂光院にも行きましたが、いつ頃かは全く覚えがありません。今回御会いした殆どの方は17〜8年振りの方々ですから懐かしさで一杯でした。3時間ほどの会食の後、神戸と名古屋へそれぞれのバスで帰路につきました。小生は日本毛織株式会社を定年退職し、関西ゴルフ練習場連盟へ11年半の長い期間お世話になった関係で、日本毛織株式会社関係の方々とは疎遠になっていましたので、大変懐かしい楽しい時間でした。

                            平成24年10月22日 高木晧次

 

 

 

 NO.81

女子プロとのラウンド

 

 平成24年10月17日(水)小生のホームコースの加西インターCC(兵庫県加西市)にて、山口友子プロ(ジョルフスマウラパーク所属・一番左)、橋本幸子プロ(桜宮ゴルフクラブ所属・左から二人目)、大垣香奈恵プロ(豊岡ゴルフ所属・一番右)とラウンドしました。ゴルフを始めて42年になりますが、3人の女性とのラウンドは初めてですし、おまけに3人とも女子プロですからやや緊張しましたが、3人とも小生の前職の関西ゴルフ練習場連盟・研修会で関わりがあった方々ですから、知らない人ではないので楽しく回ることが出来ました。

 午前中のラウンドは曇り空で暑くも寒くもなく絶好のコンディションでしたが、昼食中に雨が降り始め

後半3ホール回ったところでグリーンに水が浮き始めた為、止む無く中止しました。前半のスコアは4人とも40前後でしたが、お三方は初めてのコースとのことで若干.戸惑いがあったようでした。山口さんと橋本さんのドライバーの飛距離(キャリー)は小生とほぼ同じで、200〜210Y位でしたが、大垣さんは50〜60Y前へいき完敗でした。

 シャワーを浴びた後レストランで、それぞれのレッスンの考え方を聞きましたが、きっちりとした考え方をお持ちでほっとしました。『近いうち』の再度ラウンドすることでコースを後にしました。

                          平成24年10月18日 高木晧次

 

 

NO.80

映画『あなたへ』

   

 高倉健、6年ぶりの映画出演作となる『あなたへ』は、今作で20本目のタッグとなる降旗康男監督が、市古聖智の原案を脚本家・青島武とともに再構築し練り上げていったオリジナルストーリー。一期一会の1200キロの旅を、ワンカットワンカット慈しむように撮影し、夫婦の愛とさまざまな人生を丁寧に綴り、2012年の最高の感動作に仕上げている。

 人と人との絆の大切さを改めて気づかされた現代の日本。高倉健のワンボックスカーによる一人旅は、富山から始まり飛騨高山、大阪、瀬戸内、北九州、門司、そして長崎県平戸市の漁港・薄香へと続く。一期一会の出会いを通し、人と人とが生きて行くことの難しさ、人生の迷いや幾重にも重なる想いを浮かび上がらせて行く。(以上映画パンフレットより)

 前作『単騎、千里を走る。』(中国映画)に続き鑑賞しましたが、高倉健の朴訥とした雰囲気は、最近の若い人にはない人生そのものを感じ、自分の人生とオーバーラップさせながら、残された人生に何かやり残したことがあるように思わせる映画でした。その他の主な出演者:田中裕子、ビートたけし、佐藤浩市、草g剛、余貴美子、綾瀬はるか、三浦貴大、大滝秀治、長塚京三、原田美枝子、浅野忠信。    平成24年10月15日 木晧次

 

 

NO.79

加古川ゴルフ倶楽部

 平成24年10月10日(水) エブナゴルフセンター社長の恒藤光夫さん(関西ゴルフ練習場連盟の前理事長)のお誘いで、加古川ゴルフ倶楽部(兵庫県加古川市)でラウンドをしてきました。連盟との付き合いの深い写真家の秋山真邦さんが中心となって、日本ゴルフ設計者協会や日本ゴルフジャーナリスト協会の方々の集まりでした。

快晴の当日は風もなく絶好のコンディションで、北野正之プロ、秋山さん、恒藤さんと同組で回らせていただきました。フロントティからのラウンドでしたが、グリーンが難しく3パットが5回もありましたが、結果は81打でしたからまずまずの出来でした。北野プロの高い高い球筋は流石のプロ技でした。小生も振り抜きを心がけていますが、高い球筋はなかなか出ません。

プレー後の姫路市内のふぐ料理店『ふくだ』での「てっさ」、「てっちり」は大変美味しく、久しぶりに痛飲してしまいました。2次会はご無礼して帰宅しましたが充実した1日でした。

連盟の事務局長をさせて頂いた関係で色々な方とのお付き合いが出来、有意義な人生が送ることが出来ています。                平成24年10月12日 高木晧次

 

 

NO.78

ニッケ土山ゴルフコース

 日本毛織株式会社は1,896年(明治29年)創業ですから、116年を経た羊毛業界では老舗の会社です。当時創業者は神奈川県の伊豆や兵庫県に牧場を持ち、羊の育成を手掛けたようですが、蹄の病気で(小生の記憶では)羊は育たなかったようです。その後、土山牧場(兵庫県稲美町〜明石市)は牛の牧場になっていましたが、1971年(昭和46年)に18H・3,148Y・パー59のショートコースに生まれ変わりました。バブル当時はどこのゴルフ場もエントリーが出来ず、そのお蔭で土山コースはショートコースにも拘らず結構賑わったようです。その後は、全国でゴルフコースの増設が続き、バブルもはじけ、結局はショートコースとして赤字体質から脱却できず、廃業せざるを得なくなったとのことです。41年間の営業が続けられましたが、平成24年9月末日をもって土山コースは閉鎖されることになりました。その跡地は日本毛織株式会社が30億円を投資して、ソーラーパネル発電所に生まれ変わり、来年の3月頃には送電を開始するとのことです。

 閉鎖直前の平成24年9月24日(月)に、かっての従業員14名が参加して、OBコンペが開催されました。勿論小生も参加しましたが、懐かしい顔ぶれが揃い、天候にも恵まれ楽しい1日を過ごさせて頂きました。             平成24年9月25日 高木晧次

 

 

NO.77

ニッケ掬水会

 昭和38年に日本毛織株式会社へ入社しました。38年間の勤務の後61歳で退職しましたが、その後『関西ゴルフ練習場連盟』に11年半という長きに渡りお世話になりました。本当に悔いのないサラリーマン生活でした。

 日本毛織株式会社のOB会に『掬水会』という会があり、年数回のゴルフコンペや懇親会が開催されています。小生はニッケOBになってからも、関西ゴルフ練習場連盟に引き続きお世話になっていた関係で、掬水会には一度も参加していませんでしたが、8月末日で連盟を退職したのを機に9月入ってから諸行事に参加することにしています。

 9月15日(土)にはニューミュンヘン神戸店(神戸大丸東隣のニッケ本店ビル地下)での例会に参加しました。小生は初参加でしたが約50名の参加者があり、皆さん60歳以上ですが、賑やかな懇親会でした。80歳に近い方も参加されていたように思います。9月19日(水)にはニッケ土山ゴルフコースでのコンペ(写真)にも参加しました。ニッケ土山ゴルフコース(兵庫県明石市)は開業41年を経た、パー59・18Hのショートコースですが、ゴルファーの減少及び本コースの安売り合戦には勝てず9月末日で閉鎖し、跡地はソーラーパネルの発電所になるようです。このコースは小生にとってニッケ最後の勤務地(ニッケレジャーサービス)でもあり懐かしく参加してきました。結構面白いコースでしたが閉鎖は寂しい限りです。掬水会は10月19日には京都へのバス旅行も計画されていて小生も参加します。

日本毛織株式会社は創業116年という老舗の会社ですが、創業以来一度も社名の変わっていない珍しい会社です。繊維産業の衰退と共に本業の縮小も避けることが出来なかったのですが、工場や倉庫の跡地をショッピングセンターやゴルフ事業へ転換し、今も黒字経営を続け、小生の記憶では一度も人員整理をしていない会社です。長くお世話になった会社に哀愁を感じると共に今後もOB会には積極的に参加しようと思っています。

                         平成24年9月21日 高木晧次

 

 

NO.76

FF会(伏見・深草)

 

 京都市伏見区深草にある京都市立深草中学校は昭和22年創立ですから、今年は65周年を迎えるようです。我々昭和30年卒業生の一部の方々ですがFF会と称し、一泊旅行をしたり、時々集まって一杯飲みながら大昔を思い出し、楽しい時間を過ごしています。

 平成24年9月4日(火)は、小生が関西ゴルフ練習場連盟を退職するという理由で集まってくれました。正午から、京都駅近くの『京都センチュリーホテル』で会食・懇談の後、2次会は三条木屋町下がるにある『ふみ文』という居酒屋で気勢を上げました。夜8時頃には解散しましたが、一部は午前様のようでした。皆さん72〜3歳ですが大変元気でした。但し、元気な人しか出てきませんが……。

                         平成24年9月10日 高木晧次

 

 

NO.75

ラグビー部OB会

 

 50年振りに、昭和38年卒業の京都工芸繊維大学ラグビー部同期生の方々にお逢いしました。昭和34年に当時国立大学2期校の京都工芸繊維大学に入学し、即ラグビー部に入部しました。その後昭和38年に卒業し、日本毛織()に入社しましたが、その後のラグビーとの関わりは殆どなくなり、何回か社会人ラグビー(現在のトップリーグ)の観戦には行きましたが、ほとんどご無沙汰でした。勿論ラグビーのテレビ観戦は欠かさず見ています。現在はむしろサッカーに押されて影が薄くなっていますが、当時はラグビーの方が人気があったように思っています。

 昭和38年卒のラグビー部OBは8人でしたが、物故者の1名以外は皆さん元気のようで、内4名が9月2日(日)正午にニューミュンヘン神戸大使館に集まりました。4年間通った真夏の岐阜県・高山合宿、名工大・東京農工大との定期戦、京滋リーグ戦等アルバムと戦績を眺めながら、汗と涙の思い出が蘇ってきました。今回の出合いのセッティングをしてくれた大橋浩二君(神戸市在住)、楽しい時間を共にしてくれた竹迫雄司君(奈良市在住)、小倉から駆けつけてくれた浦野義弘君ありがとうございました。

平成24年9月3日 高木晧次

 

 

NO.74

中部ゴルフ練習場連盟へ訪問

 お盆明けに中部ゴルフ練習場連盟(名古屋)へ行ってきました。全くプライベートな旅でしたが、揖斐勝・事務局長とニッケOBの鈴木康平さんと3人で色々だべりながら、名古屋駅近くの居酒屋で旧交を温めてきました。

中部ゴルフ練習場連盟は、財政難から(社)全日本ゴルフ練習場連盟を脱退し2年くらいになると思いますが、独自に連盟活動を行われ元気にされていました。(社)全日本ゴルフ練習場連盟はかっての7支部が6支部になり寂しい限りですが何とか復活されることを願っています。

小生は8月末日をもって関西ゴルフ練習場連盟を退職しますが、揖斐さんも年内に退職され、後任も決まっているようです。お互いに去る身ですが、練習場連盟が益々繁栄することを願いつつ、新幹線で名古屋駅を後にしました。

               平成24年8月29日 関西ゴルフ練習場連盟 高木晧次

 

 

NO.73

貴船・川床料理

 7月下旬に京都・洛北の貴船へ行ってきました。クラブツーリズムの日帰りのバス旅行で、晴天に恵まれた大変暑い1日でしたが、流石に川床は涼しく、清流のせせらぎを聞きながら鮎等の川魚料理やそうめんを美味しくいただきました。帰路には岩倉の実相院を訪れ、緑深い庭園でしたが、紅葉の時は一段と趣のある景色を想像しながら後にしました。関西ゴルフ練習場連盟の

事務局長も8月末日で退職しますが、月に3〜4日は関西一円(西は岡山から東は彦根・長浜)

を見直しながらのぶらり散策を予定しています。

            平成24年8月吉日  関西ゴルフ練習場連盟  高木晧次

 

 

NO.72

映画『わが母の記』

 原田眞人監督・脚本 役所広司、樹木希林、宮崎あおい出演の『わが母の記』を見てきました。昭和の30年代から40年代を描いた日本の家族の物語です。原作は、昭和を代表する文豪・井上靖氏が、自身の人生、家族との実話をもとに綴った自伝的小説『わが母の記〜花の下・月の光・雪の面』を題材にしているとのこと。日本の上層家庭を舞台にし、ロケ地は沼津市、伊豆市で行われ、東京・世田谷にある原作者の井上靖さんの邸宅も使われたようです。

 

 この映画の時代は小生が育った年代と符合しているため、大変懐かしい思いで見させて頂きました。最近は年を経るごとに、生・老・病・死と向き合う自分自身を見失わないよう気を張り詰めているつもりですが、いつまで元気で生きられ、いつまで元気にゴルフが出来ますことやら…

      平成24年5月7日 木晧次

 

 

NO.71

映画『山本五十六』

 成島出監督 長谷川康夫・飯田健三郎脚本、役所広司出演の『山本五十六』を見てきました。昭和初期から太平洋戦争が始まるまでの10数年、人々は不況に喘ぎ、雇用不安と所得格差に苦しみ、総理大臣は次々と短期間で交代を繰り返していた。そして、軍部、マスコミ、知識人、国民、その全てが混然一体となって日本はアメリカとの戦争へと突入していった。しかし、そんな中、軍人でありながら誰よりも強硬に日米開戦に反対し続けた男がいた。

聯合艦隊司令長官、山本五十六。その言葉に・・・

『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば人は動かじ。

話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、

姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず』

 (映画パンフレットより)

平成24年1月27日 木晧次

 

 

NO.70

 

あけましておめでとうございます。

昨年の6月には英国・スコットランドへ遠征しました。写真家の秋山真邦様をはじめ連盟の

皆様には大変お世話になりました。セントアンドリュースGLのオールドC、ニューC、ジュビリーCの3コースとカーヌスティGLのラウンドでした。又、11月にはフェニックスOPの観戦方々宮崎旅行にも行きました。充実した1年でした。新年になり家内と城崎温泉へJRのかに

カニ日帰り旅行に行き、松葉蟹を満喫してきました。今年も元気で頑張りたいと1年の計を立

てました。昨年は東日本大震災と原発事故、台風12号の襲来や天災・人災色々ありましたが、今年は平穏な1年でありますように願っています。

      平成24年元旦 高木晧次

 

 

NO.69

プロ野球28会親睦ゴルフコンペ

 昭和28年生まれのプロ野球選手会のゴルフコンペに参加しました。『日本プロ野球28会』は真弓明信さん、中畑清さん、落合博満さん、梨田昌孝さん、田尾安志さん達82名の元プロ野球選手で構成されている親睦団体です。「トークディナーショー&チャリティオークション」は12月11日(日)西神オリエンタルホテル(神戸市西区)で、翌12月12日(月)には三木ゴルフ倶楽部(兵庫県三木市)で100名近い参加者の親睦ゴルフコンペが開催されました。

 チャリティショーではユニフォーム、ウインドブレーカーや野球道具等選手から寄付された商品で行われ130万円を超える収益金が集まり、東日本大震災で被災された野球少年に野球用具を購入し寄贈されるとのことです。

 小生は、真弓明信さんと親しい上野栄士さん(明舞ゴルフセンター)の紹介でゴルフコンペに参加しましたが、ラウンドは選手会の福田功さん(中日ドラゴンズ、横浜ベイスターズのコーチを経て2010年より阪神タイガースの球団本部勤務)、恒藤光夫さん(エブナゴルフセンター)、大伴直幸さん(豊岡ゴルフ)とご一緒し、楽しくプレーできました。ダブルペリアでの成績は隠しホールがうまくはまり、高木がネット72.6で2位(賞品はTV)、大伴さんが3位(賞品は西神オリエンタルホテルディナーセット)に入りましたが、上野さん、恒藤さんは飛び賞からも外れでした。ゴルフコンペの賞品もファンならではの商品が多々あり、参加者は大喜びでした。

この28会は全国各地で開催され、たまたま今回は関西での開催であったようです。関西で開催される折は次回も是非参加したいものです。

               平成23年12月14日 関西ゴルフ練習場連盟 高木晧次

 

 

『一命』

NO.68

 三池崇史監督  滝口康彦の「異聞浪人記」の映画化。

出演:市川海老蔵 瑛太 役所広司 満島ひかり

 17世紀。戦国の世が終わり、平和が訪れた江戸時代の初頭、大名のお家取り潰しが相次ぎ、仕事も家もなくし生活に困った浪人たちの間で《狂言切腹》が流行した。「武士の面目」という地位や威厳を保つため、見栄や建前といった武家社会の形式を重んじるようになった侍たち。貧しいながらも支えあい、毎日を懸命に生きてきた一浪人の生き様に激変が起こる。

 武士道とは何なのか? 現在のこの太平の世の中では考えられない物語でした。必見です。

                      平成23年11月7日 高木晧次

 

 

 NO.67

あけましておめでとうございます。

なんとか1年が過ぎ去ったという感じです。

真夏には腰痛に悩まされ、11月には同窓会の

昼酒で泥酔転倒して怪我をするなど反省の多い

1年でした。

約7kmのウォーキングも一昨年とほぼ同じ

62回行いました。体重は66kg前後でほぼ

目標を保てています。

ゴルフへ行った回数は82日、平均スコア:

83.2、パット数:16.2、バーディ:55ケ

OB:16ケ。70歳を過ぎてから若干くたばっ

てきたのかなと実感しています。 

今年の目標は、日本グランドシニアゴルフ選手権(鹿児島・南九州CC)に出場することと、

エージシュート(72打)を目指します。さて、どうなります事やら…?

      平成23年元旦 高木晧次

 

 

 

NO.66

2年連続7度目のシニアチャンピオン

 

兵庫県加西市にある加西インターカントリークラブへ入会し30年になります。本年10月に開催されたクラブのシニア選手権(参加資格:満60歳以上)にて2年連続7度目の優勝をさせて頂きました。直前まで余り良いゴルフをしていませんでしたが、鹿屋体育大学教授・児玉光雄先生のメンタルトレーニングの本を読み、それなりに頭の中を整理して出場したのが良かったように思います。

27Hの予選は、37、39、42(雨)でメダリストでした。普段は85前後でしか回れていなかったのですが。マッチプレーの決勝戦は昨年と同じ相手でしたが完全に負け戦でした。前半1ラウンドを3ダウンで折り返し、残りの9ホールの2番Hで4ダウンとなり、5番ホールでバーディを取ったものの、3ダウンで7番Hに向かいました。万事休すです。ただ情けない負け方だけはしたくないと思いながら、パー、パー、バーディでマッチイーブンとしエキストラホールへ行きました。結局10、11番と小生はやっとのパーでしたが、相手は4〜5mのバーディパットを決められず、結局12番で約4mのパーパットを決めた小生が勝ちました。

小生のように71歳になり、ゴルフを始めて40年、コースHCは4、練習場へは今でも週1〜2回は通い(ゴルフを始めた頃は週4〜5回)、ここ数年の年間のラウンド数は

毎年100回近くになります。もう自分のスイングは自分なりに分かっているつもりで、如何に邪念を取り除いて振り切れるかが課題です。能力以上のことは絶対に出来ないという認識も充分持ち合わせています。

その時々に集中出来、良いショットが出来る自分に驚いています。これからも出来るだけ長くゴルフ場へ通い続けたいと願っています。

           平成22年11月18日 関西ゴルフ練習場連盟 高木晧次

 

 

 

NO.65

なんとか通過

平成22年度 第22回関西グランドシニアゴルフ選手権の予選は、5月20日(木)三木GC(兵庫県三木市)で行われた。東・西・南の各コースから合計85名がスタートし、30名が決勝戦へ進める。小生は西コースからスタートし20名中7名が通過となる。ミッドシニアで5回、昨年のグランドシニアの6回連続で予選を通過しているとの自負心からか、案の定もの凄い緊張感でスタートした。賞金が掛かっているわけでもなく、そんなに固くなることもないのにと言い聞かせながらも、相変わらずカチカチであった。公式戦であるこの試合だけは格別である。

フロント9はパー、ボギー(第2打がオーバーの)、パー、パーでスタートしたが、次のショートホールでグリーン真横からのアプローチが50cm位につけたものの、ほっとした為かヘッドアップで押し出してボギーとしてしまった。その後3パットが1回あり、短いパーパットも外して41打で折り返した。39で上がれたのにと半分悔やみながら、バック9の1番ではドライバーで力が入り引っ掛けて第2打は前下がりのラフからでボギー。次のショートホールでは、悪い癖のヘッドアップの大ダフリでOBのトリプル、次のミドルではラフからの第2打が良い当たりをし過ぎてまたもオーバーしボギーで、3ホールで5オーバーとなってしまった。今年は駄目かなと思いながら次のミドルホールは2オンのパー、その次の短いミドルホールは50cmくらいにつけてバーディを取り、それからの3ホールはパーオン出来なかったものの全部パーが拾えた。内2ホールはバンカーからのパーセーブの為、まぐれとしか言いようがない。最後のロングホールはラフからの第3打が又もや大オーバーし、左足下がりの難しいアプローチが残ったので、なんとか4オンのボギーで終われることを願った。結果として予選通過が出来なければ諦めようと心に決めたアプローチは何とか1ピン位にオン出来た。最後の上りのパーパットは決められなかったものの、41打で上がれた。計82打は結果的には3位タイとまずまずであったものの、内容的には悔やまれるものがあった。もうこんなしんどいゴルフはやりたくないと思いつつ、終わればほっとし、通過出来た爽快感は筆舌し難いものがある。

決勝は6月8日・9日に垂水GC(神戸市垂水区)で行われるが、初めてのコースである。ラウンドした人の話では、距離は短く狭く難しいとのこと。この関西の決勝戦は約70名が参加し16位に入れば、11月上旬に岐阜CCで行われる日本グランドシニアゴルフ選手権に出場できる。2006年にエリエール松山GCでの日本ミッドシニアゴルフ選手権以来の4年振りのジャパンとなる。ラッキーが続けばと願うばかりである。

         平成22年5月24日 関西ゴルフ練習場連盟 高木晧次

 

NO.64

映画 『おとうと』

 山田洋次監督・脚本、吉永小百合・笑福亭鶴瓶出演の『おとうと』を見てきました。

あらすじは、東京の郊外で、夫亡きあと小さな薬局を営み、一人娘の小春(蒼井優)を育ててきた姉・吟子(吉永小百合)。大阪で何ひとつ成し遂げないまま歳を重ねてしまった弟・鉄郎(笑福亭鶴瓶)。音信不通だった彼が突然、小春の結婚式に現れる。以前も吟子の夫の十三回忌で、酔っ払い大暴れした鉄郎。今日は一滴も飲まないと約束するが、酒を目の前に我慢が出来ず、酔っ払って大騒ぎ、披露宴を台無しにしてしまう。激怒する身内の中、鉄郎をかばうのは吟子だけだったが、後日、ある出来事がきっかけで、吟子は鉄郎に絶縁を言い渡す。

肩を落として出て行く鉄郎の背中に不吉な予感を覚える吟子だったが……。

 吉永小百合さんは『母べえ』(2007)に続く山田洋次監督の主演映画。冗談ばかりの弟と真面目な姉の、微妙に噛み合わない可笑しさを軽やかに演じると同時に、賢い姉であり母である吟子の家族への愛情を全身からにじませ、スクリーンに優しさと温かみを添えている。

 この吟子という「けなげな女性」は日本の女性の鑑のように思えてきます。涙をこらえながらの2時間でした。             

平成22年2月22日 高木晧次

 

 

 

「競技を楽しむ」ってこと

今、バンクーバー冬季五輪の真只中です。スキーにスケートに色々の競技に世界のアスリート達が集まっています。日本からも九十数人の選手が頑張っています。殆どがアマチュアの選手だと思っていますが、この4年間培ってきた血と汗と涙の結晶を、国の代表という使命感をもって、ベストな成績を出せるよう極度の緊張感の中で頑張っているはずです。

 19位に終わった女子モーグルの里谷多英選手は、目を真っ赤にして報道陣の前で「ここに来るまでに100人以上の人に支えてもらった。ちゃんとした滑りを見てもらいたかった。悔しい」とコメントしていた。もし、転倒せずにメダルを取っていても、多分「100人以上の人に支えて頂いたお陰です。ありがとうございました。」と言っていたように思えました。

 2〜3日前の読売新聞のコラムに、スピードスケートの長野五輪ゴールドメダリストの清水宏保選手がこう述べています。『「オリンピックを楽しもう」。この言葉には色々な意味がある。でも、選手も、見る人も、「楽しむ」をはき違えてはいけない。……。個々の選手に押し寄せるプレッシャー(重圧)を楽しむべきだ。……。筋肉も関節も最終仕上げの段階に入った時、重圧という強烈な刺激が入ってこそ、本物の張りが出てくる。体がそうなれば、気持ちにも、緊張感がみなぎってくるのだ』。正に、日頃の血と汗と涙の結晶の言葉と思えました。

アマチュアのスポーツには、トップレベルになってもプロへの道のないスポーツが一杯あります。冬季五輪の種目だけではなく、バレーボール、バスケットボール、柔道、陸上競技等々の選手には殆どプロの道はないように思います。しかし、彼ら、彼女達は毎日毎日汗みどろになって頑張っているのです。一部のトップアマを除いて、殆どの人の報酬は500万円にも満たないのではないでしょうか。お金ではなく名誉のために頑張っているのです。

 一方、昨年のプロゴルフトーナメントで、あるトッププロが予選終了後、『今日はゴルフが楽しめた。明日も楽しんでやりたい。……。』とコメントしていた。この言葉を聞いて、大変違和感を憶えた記憶があります。その選手は年間1億円以上稼いでいるのです。ゴルフは楽しんで1億円を稼げる楽なスポーツなのでしょうか……。聞き方によっては、楽しむという言葉は、その能力さえあれば苦労もせずに、遊び半分でも稼げてしまうスポーツと勘違いしてしまいそうです。そうではないと思っています。

 政治の世界でも言葉の軽さが問題になっていますが、プロゴルファーも、違う環境のスポーツでは汗水たらしていかに頑張っても、報酬に比例しないスポーツが沢山あることを、そして毎日毎日汗を流して頑張っている人が沢山いることを認識すべきなのです。あのプロゴルファーの楽しむという言葉は余りにもが軽すぎる、とそう思うのは小生だけでしょうか……?

平成22年2月18日  高木晧次

 

NO.64

あけましておめでとうございます。

1年365日の早さが、更に早くなったように感じます。

とうとう昨年11月には、70歳になってしまいました。

人様からはいつも元気でなによりですねと言われますが、

薬に頼っている部分もありますし万全ではありませんが、

それなりに健康には留意してきているつもりです。

兎に角、仕事にゴルフに、概ね良好な1年が過ぎた事に

感謝しています。

一昨年末からのダイエットも功を奏し、なんとか65Kg前後

を保てていますし、約7Kmのウォーキングも1年間で

61回行いました。ゴルフへ行った回数は107日、

平均スコア:81.0、ベストスコアは73でした。

今年の目標は、日本グランドシニアゴルフ選手権に出場する

ことと、エージシュート(71打)を目指します。

さて、どうなります事やら…?      

平成二十二年元旦 

                                          高木晧次

 

 

NO.63

平成21年が終わって

 関西ゴルフ連盟主催 「関西シニアチャンピオントーナメント」 が平成21年12月8日(火)鳴尾ゴルフ倶楽部(兵庫県・川西市)で開催され、本年最後の対外試合として出場し無事1年間が終わりました。当試合は関西2府4県のKGU加盟クラブのシニアチャンピオンだけに出場権がある試合で、毎年12月に行われています。鳴尾GCは1920年(大正9年)開場の手作りのゴルフコースで、各ホールは松林でセパレートされ、バンカーは深く、高麗芝の小さな速いグリーンに悩まされました。結果は、1トリプルボギー、4ダブルボギー、3パット4回で86打を叩き52位タイでした。116名出場でほぼ真ん中の順位でしたが、寒くなってからの不調を思えばこんなところが妥当な実力でしょう。

 加西インターCCのシニアチャンピオンは6度目で、70歳になる直前の試合の為意地でも勝ちたかったのが真相です。27Hの予選は3位で通過し、1回戦18Hのマッチプレーは3−2、準決勝27Hも3−2で勝ち、決勝の27Hは4−3でなんとか優勝できました。

加西インターCC・今本陽三理事長(左)と

 本年の対外試合の結果:

 *アオノオープンゴルフ予選   H21..10   アオノGC 予選落ち

 *関西グランドシニアゴルフ選手権予選 H21..22 吉川CC 83打 9位Tで通過

        〃        決勝 H21..10〜11 飛鳥CC 168打32位T

    上位16名が出場できる日本グランドシニアゴルフ選手権には出場出来ず

 *パブリックミッドシニア予選  H21..26 アオノGC 80打5位で通過

    西日本地区決勝は宮崎・トムワトソンGCで開催されたが欠場

*デイリースポーツ年齢別予選  H21..25 三木吉川CC 68人中79打13位で通過

      〃      決勝  H21..25 吉川CC   73人中79打11位T

 *アオノシニアオープン予選  H21..8  アオノGC 52人中80打で11位通過

       〃    決勝  H21.10.6 アオノGC 60人中85打41位

*テレビアマチュア選手権予選 H21..17 北六甲CC西C 45人中77打3位Tで通過

          決勝は六甲国際GC西Cで開催されたが欠場

 *日刊アマゴルフ・マスターズ選手権 H21.11.26 北六甲CC西C 23人中81打で8位T

*関西シニアチャンピオンT H21.12.8 鳴尾GC 114人中86打で52位T

 

よく頑張ってこれました。この年になるとゴルフが出来て試合に出られるだけでも幸せであると思っています。来年も切磋琢磨して頑張ります。

                        平成21年12月15日 高木晧次

 

 

NO.62

近況報告(1)

今年の11月には、とうとう大台の70歳になります。生きてる限りは健康でいたい、なんとか“ヨボヨボ”になってもゴルフはしていたいという強い願望があります。

その為、平成20年12月9日から何回目かの減量に挑戦し、なかなか出来なかった減量が、バナナダイエットにより達成できました。西宮名塩ゴルフセンターの木場本社長の助言で、とにかく3カ月でいいから3食前の30分前にバナナ1本と水を飲みなさい、後は通常と同じ食事をしても良いという事でした。約3カ月後の2月下旬には約3kg減ったので、4カ月目からは朝食前のみにしていますが、69.5kgから4.5kg減って65kgとほぼ目標通りになりました。結局胃が小さくなり、特に夕食の食べる量が減ったことが主因のようです。その後も体重は減少傾向のため、最近は少々多めに食事を摂るようにしています。

もう一つの健康対策として、昨年末に始めたウオーキングを続けています。通勤のJR大阪駅から地下鉄南森町近くの事務所まで毎日歩くのは以前と同じですが、出勤しない日でゴルフ場へ行かない日は、加古川河川敷のフルマラソンコースを7.5km早足で歩いています。1km10分、1時間15分を掛けて歩きます。今日まで33回歩きましたから、250kmほど歩いたことになります。万歩計の1週間23.0Exの目標は必ず達成しています。目的は、あくまでも下半身の強化とゴルフの飛距離の低下の防止です。

又、昨年7月にゴルフクラブが振れないくらいの腰痛になり、事務所(大阪市北区)近くの整骨院に通い始めて1年になります。背骨矯正は3〜4回して貰いましたが、その後は週3〜4回マッサージに通っています。マッサージは筋肉をほぐし、血流を良くして腰痛を防ぐとの事です。ゴルフプレー日の夜から翌朝にかけては腰がパンパンに張っている感じで、危い感じがあるものの何とか持ちこたえ、日常生活やゴルフに影響するほどの痛みも出ることなく良い状態が続いています。健康保険が利くため1回400円で済む為、コーヒー代と思って通っています。

小生は性格的に、『ケ・セラセラ、なるようになるは』という生き方が出来ず、毎日毎日なにか目標を設定しています。仕事の日はこれとこれをやると決めて出勤し、休みの日は1日の行動を決めて始まります。ゴルフの日は、例えば今日は絶対に身体を開かないとか、身体を突っ込まないとか、ボールを見続けてインパクトするとか、具体的なイメージを決めてスタートします。しかし、スコアの目標設定はしません。

すべてが、行き当たりばったりでは出来ないという性格がなせる業のようです。

         平成21年7月7日 関西ゴルフ練習場連盟 高木晧次

 

 

NO.61

『おくりびと』

 第81回米国アカデミー賞・外国語映画賞を受賞した「おくりびと」を見ました。この映画は俳優の本木雅弘さんが、10数年前旅先で遭遇した“この世の旅たち”の儀式に感銘を受け、以降密かに納棺とそれを職業とする人々に興味を抱き続けていました。偶々、この映画のプロデューサーや監督が、「笑って、泣けて、深く心を打つ……そんな映画を作りたい!」と思っているところへ、本木さんのアイデアが飛び込んできて、映画化されたとのこと。

 主人公(本木雅弘)は東京でオーケストラのチェロ奏者をしていたが、楽団の解散で演奏家への道をあきらめ、故郷の山形へ戻ってきた。“旅立ちのお手伝い”という求人広告に、旅行社と思い面接に出かけた。しかし、“安らかな旅立ちのお手伝い”で納棺業者であったが、社長(山ア努)に言われるまま引き受けてしまった。妻(広末涼子)からは汚らわしいと云われ、昔の同級生からはその職業を見下されながらも、新人納棺師として色々な出会いの中で生きがいを見い出して行く……というストーリー。

 小生も数年前、98歳の母親を亡くした折、京都の葬儀會舘で遺体を湯灌で洗い、口の中や鼻に脱脂綿を入れている作業を鮮明に憶えていたため、なんとも複雑な心境の中で、見終わりました。「笑って、泣けて、心を打つ映画」でした。見終わって周りを見渡したら、小生夫婦も含めて、ほとんどが「おくられびと」でした。

                        平成21年3月3日 高木晧次

 

 

NO.60

ウオーキングを始めました

 『人生七十古来稀なり』の年になってしまいました。今から47年前に会社へ入った頃は定年が55歳でした。その頃の55歳は本当におじいさんでした。その頃のお年寄りのことを省みず、自分はまだまだと思っていましたが、やはり寄る年波には逆らえず、もう一度アンチエージングに向かっていかなければとの強い思いから、ウオーキングを始めました。ドライバー(ゴルフ)のスイートスポットヒット率が落ち、飛距離も落ちて来たように思い、下半身の衰えが原因と考えたからです。

仕事にも行かず、ゴルフにも行かない日は休養と考え、のんびりと家で過ごすことにしていましたが、昨年暮れから7.5kmのウオーキングをしています。自宅の近くの加古川の河川敷には、県立のフルマラソンコ−スがあり、スタートとゴール地点が自宅から1.5kmの所にあります。スタートから折り返しの40kmの地点までの2.2kmを往復し帰ってきます。1km丁度10分の速さで歩きますが、約75分掛かって帰って来たら真冬でも下着は汗ばんでいます。2月22日までに16回行いましたから、120km以上歩いたことになります。以前にジョギングもしていましたが、約3年前に出勤途中急にふらつきが出てお医者さんに飛び込みましたら、血圧が高く薬を飲むように勧められました。それ以来ジョギングも止めていましたが、ウオーキングによりアンチエージングに向かって行くことにしたものです。直ぐにゴルフに直結するとは考えていません。とにかく、今は続けることが大事と考えています。

今月の初旬には2日間の人間ドックに入りチェックしてきましたが、まずまずの成績でした。降圧剤や尿酸値を下げる薬やらでなんとか保持している部分もありますが、それなりに満足できるゴルフが出来るように頑張って生きたいと思います。

               平成21年2月23日 関西ゴルフ練習場連盟 高木晧次

 

 

NO.59

1981年1月20日

第44代米国大統領にバラク・オバマ氏が就任し、TV、新聞等で大々的に報道されました。今から丁度28年前の1月20日、小生はアメリカ・ジョージァ州、アトランタを訪問していました。カーペット業界視察のため、ロンドン→ブラッセル→フランクフルト→パリからニューヨークへ渡りアトランタ入りしていました。丁度見本市会場をぶらぶらしていたら、TVの前の人だかりに覗いたところ、第40代大統領のロナルド・レーガン氏の就任式でした。その当時日本でも今のように大々的に報道されていたかどうかは不確かですが、その当時も米国人にとっては一大事だったのでしょう。しかし小生は余り興味もなく、TVの前をさっと通り過ぎた記憶があります。

アトランタはクラーク・ゲーブルとビビアン・リーが主演した映画『風と共に去りぬ』のロケ地であり、コカ・コーラ発祥の地でもあったと思います。夕食の分厚いステーキに堪能し、美味しくビールを飲んだことが思い出されました。アトランタの後、ロス、ホノルルを経由して帰ってきましたが、訪問したヨーロッパ諸国及びニューヨークは街角に雪が積もり、どんよりとした曇り空だったと記憶しています。それに引き換え、ハワイ・ホノルルは晴天で当然暑かったのですが、米国・西海岸のロスも大変太陽が眩しく、半袖姿の人が多くその違いに驚かされました。

今、20日間程の間にこれだけの国を回れといわれたら、多分時差だけで参ってしまうでしょう。40歳そこそこのよき思い出でした。

         平成21年1月23日 関西ゴルフ練習場連盟 高木晧次

 

 

NO.58

高価な持ち物の値段は?

11月中旬の日本経済新聞の特集版に、

高価な持ち物の値段はいくら?

とのアンケート結果が出ていました。

 もう十数年前に仕事仲間といっぱい呑

みながら、家や自動車を除いて一番高価

な持ち物は何かと問われて返事に窮した

事があります。その当時、自宅から会社

迄の定期券が6カ月で約20万円でした

から、一番高価なものは定期券でした。

 このアンケートでは、パソコンやテレ

ビも入れて、10万円以上30万円未満

が52%、30万円以上50万円未満が

19%、50万円以上100万円未満が

12%、100万円以上が3%となって

います。

 小生は数年前に一念発起して、12%

に属する時計を買いました。皆さんは

どれ位の高価な持ち物をお持ちですか?

    平成20年12月10日 高木晧次

 

 

NO.57

南田洋子さん

長門・南田夫妻追ったドキュメンタリー新番組が22.9%の高視聴率の理由

 11月3日(祝)から放送がスタートしたドキュメンタリー新番組『報道発ドキュメンタリー宣言』(テレビ朝日 午後7時〜)の第1回目は、認知症になった妻・南田洋子さんを献身的に介護する夫・長門裕之さんというスター夫婦の“老老介護の現実と愛の絆に密着した”報道番組でした。

 もう50年も前に、京都の四条・河原町近くのアクセサリー店から出てきた南田洋子さんに、ばったりと出くわしたことがありました。勿論、一瞬見ただけでしたが、当時25〜6才の南田さんは既に大女優で颯爽としたその姿が、今も脳裏にはっきりと残っています。映画のスクリーンやTVを通しての姿とは全く違う何かがありました。

 1933年3月生まれとの事ですから75才になられますが、老いても昔の美形は残ったままでした。当番組も約23%の高視聴率で、今後も続編を考えているとのこと。献身的に介護をされている長門裕之さんには敬意を表するばかりです。認知症が進行しないことを陰ながら願って止みません。

             平成20年11月5日  関西ゴルフ練習場連盟 高木晧次

 

 

NO.56

「灘のけんか祭り」

 姫路市の「灘のけんか祭り」は、毎年10月14日が宵宮、10月15日が本宮と決まっているようです。今年の本宮に恒藤理事長から誘われ、北野副理事長と3人で行ってきました。姫路市白浜町の松原八幡神社や周辺では、絢爛豪華な屋台6台の練り合わせやみこし3基のぶつけ合いが披露され、迫力満点でした。当日は快晴で、ふんどし一つの氏子さん達も汗を滲ませ奮闘していました。松原神社に集まる7つの町の更に東の大塩天満宮へ行きましたが、神輿が2〜3台飾られ、大きな獅子舞も3〜4カ所で行われ、あちこちで盛大な祭りが行われていることにびっくりしました。

 小生はこの姫路市からそう遠くない加古川市に住んでいますが、宮本武蔵と宮本伊織ゆかりの泊神社のお祭りも、子供の小さな神輿が練り歩く程度の形ばかりのお祭りです。

町全体がこぞって、多分学校も休みになり、会社も休んでお祭りに参加する老若男女の熱気、約500年前から続くこの伝統と文化には圧倒されました。

             平成20年10月20日  関西ゴルフ練習場連盟 高木晧次

 

NO.55

腰痛が治りました!!

 もう20年も前から時々腰痛に悩まされてきました。特に冬場は毎年2〜3回は右腰部分が痛くなり真っ直ぐに立てなくなります。その度に整形外科で診て貰い、レントゲン撮影の結果、脊椎の間隔が狭い所があり、それが原因とのこと。結局、ブロック注射を打って貰い、湿布をし、薬を飲み、後は時間の経過で、良くなることを願うのみでした。予防策として、日頃から腰の負担をなるべくかけないようにすること、歩くこと、ゴルフの前はストレッチを充分心掛ける事でした。

 今年は暑い7月初旬からゴルフの最中に痛み出し、2〜3日で痛みが和らぐため何とかプレーを続けていましたが、デイリースポーツの年齢別予選(福崎東洋GC、7月16日)では、遂に歩行もままならなくなりハーフでリタイア、7月20日のホームコースの理事長杯準決勝は棄権せざるを得ませんでした。

所が、連盟事務局(大阪市北区西天満)の近くのうどん屋の大将から、近くのH整骨院は『神の手』と言われているけど一回行ってみたらと勧められ、半信半疑で行ってみました。整骨院や整体院は一度も行った事はなかったのですが、「背骨が曲がっているのが原因だから、これは治ります」と言われました。背骨の矯正を4〜5回行い、その間、電気と手によるマッサージを受けた結果、ほぼ1カ月で痛みは完全になくなり、ゴルフ後の腰の張りもその半月後には出なくなりました。1カ月半後の9月からは、ゴルフに行った翌日はマッサージをして貰いに行きますが、今のところ痛みは出てきません。マッサージは背骨が曲がろうとするのを防いでいるとの事ですが、健康保険も効きマッサージ料金は400円と安い為気軽に行っています。勿論、いつギクッとくるか分からないため細心の注意を払っていますが、やっぱり整骨院のお蔭と信じるようになってきた今日この頃です。

          平成20年10月10日  関西ゴルフ練習場連盟  高木晧次

 

 

NO.54

歌手の香西かおりさん

 連盟事務局から歩いて2〜3分の所にある、JGCゴルフスクール(大阪市北区西天満5丁目)には有名芸能人が沢山来られます。勿論、JGCゴルフスクールは連盟の会員で経営者兼校長先生の田中久夫様とは個人的にも親しくして頂いています。9月12日(金)午後に、歌手の香西かおりさんが来られてるので、良ろしければ来て下さいとの電話を頂き、早速カメラを手に駆けつけました。予め予約の電話が入るので、一般客はお断りしているとのことで、お付きの女性と二人だけが練習していました。

TVの画面で見るご本人は、和服姿しか知りませんが、GパンにTシャツのラフなスタイルでは、普通なら見分けがつきません。しばらくスウイングを見ていましたが、かなり鋭く振りぬいておられ、結構上手とお見受けしました。「見られてると恥ずかしい」と言われたので、「大勢の前で歌っておられるのに、何を言うてますねん」と言いましたら「あれは別」と言われてました。

JGCゴルフスクールの田中さんは、スポーツ紙等で日本のデビッド・レッドベターと云われ、独特のスウイング理論をお持ちで、芸能人だけではなく九州や関東等の遠方から、わざわざ来られる生徒さんもおられるようです。又、企業からも依頼されて年に数回は講演会も催されています。インドアゴルフ練習場はスウイング作りにはもってこいの場所と痛感しました。

しかし、ほとんど化粧っけのない香西かおりさんは、大変素敵な可愛いいお嬢さんでした。

           平成20年9月17日 関西ゴルフ練習場連盟 高木晧次

 

 

NO.53

カルチュア・ショック

 小生の出身地にFF会という同窓会があります。昭和14年4月〜15年3月生まれの京都市伏見区にある深草小学校、稲荷小学校、深草中学校を出た同窓生(有志)の集まりで、伏見・深草の頭文字を取ってFF会と言っています。昭和20年代後半から30年代前半の頃は、小学校、中学校、高等学校共に、転校してきた人、転校して行った人、私立へ行く人等ばらばらでした。その為同じような地域の出身にも拘わらず全く面識のない人等顔見知りの人が少ないくらい、ばらばらでした。高等学校も普通科(伏見高校:今の伏見工業高校ではなく)、商業科(桃山高校)、工業科(伏見高校)だけではなく、音楽科(堀川高校)や絵画科(日吉高校)の公立高校や私学高校(同志社、洛西)へと皆さんそれぞれに進んで行きました。

 その為か、この会の面白い所は、職業・趣味が多彩なことです。先日も、第60回三軌会関西展があるので京都市美術館へ集合の声が掛かり、何十年か振りで岡崎の美術館へ行ってきました。T女史(アマチュア)の作品を眺めながら三軌会という会の存在も知りました。夕方から三條大橋近くの飲み屋では人数も増え、ゆかた会(長唄の会:今藤会)が平安神宮近くの京料理「六盛」で行われ、私も出ますけど祇園の舞妓さんも沢山出ますよとのことでN女史から和紙で作った目録を貰いました。又、京都美大を出て在学中から日展に出品し、毎年日展に出展しつつ日展特選を取り、サラリーマンの経験もなく日本画壇で活躍している、日展会友でもあるK氏等多士済々が集まって来ます。

   

勿論平々凡々と生きてきた人も多いけれども、会社勤めとゴルフしか知らない小生にとって、自分の生き様の如何に狭いかを痛感させられます。もっともっと違った生き方があったようにも思います。これもカルチュア・ショックなんでしょうか。

 とは言いましても、もうじき69歳になる我が身に、いまさら悔やんでもなんともなりまへんけどなぁ……。

             平成20年9月8日  関西ゴルフ練習場連盟 高木晧次

 

 

NO.52

堀晋治プロのご逝去を悼む

親しくして頂いていた堀プロが平成20年8月12日早朝亡くなられた。享年43。

余りにも早い鬼籍入りに愕然としている。この5月の連休の4日に加西インターCCで、翌5日にオーセントGCでラウンドして頂いたが、これが最後となった。以前から体調は思わしくなかったらしく、翌週12日(月)から病院で検査をし、更に精密検査をすべく検査入院をされたが、既に癌が全身を蝕み帰らぬ人となった。

在りし日の堀晋治プロ(右)と

 以前にもこの欄でご紹介させて頂いたが、180cmの長身から振り抜くスィングは、シード選手に負けないものを持っておられた。兵庫県オープンや南都オープン等でもいつも上位に顔を出していた。又、JGTOのQTでも3rdまではいつも進出するが、Finalには届かず、今年こそ崖っぷちに立ったつもりで頑張ると言っておられた。

 それにしても、5月12日の検査から丁度3カ月で、亡くなるとは……。

無念の死だったろうと思う。心からご冥福をお祈り申し上げます。

平成20年8月18日 高木晧次

 

NO.51

カレセンって?

毎日新聞によると、若い女性の間にカレセンが増えているという。カレセンとは「枯れたおじさん好きな女性」のこと。

 枯れオヤジの定義

 1、一人の時間をもてあまさない。

 1、路地裏が似合う。

 1、ビールは缶より瓶。ペットは犬より猫が好き。

 1、ひとりでふらっと寄れる行きつけの店がある。

 1、さりげなく物知り。

 1、携帯やメールに依存しない。

 1、金や女を深追いしない。

 1、自分の年齢を受け入れている(若ぶらない)。

 1、人生を逆算してみたことがある。

 1、年をとってからのほうが若いころより断然カッコよくなった。

 その魅力は、「隠してもにじみ出てしまう味」、「決して気取らず、世間の荒波に程よく湯通しされ、脂の抜けた感じがいい」のだそうだ。「本当のおじさん好きは、おしゃれじゃなくても、おなかが出ていてもOK。アンチ・アンチエージングなんです!」とのこと。

 薄毛やメタボを気にするおじさんには、なんとも心強い言葉だが、あからさまに喜んではいけない。「心の中で『おっ』と思っているぐらいがいい。『若い子の考えることはよく分からないね』なんて言って、照れてうつむいちゃうような」のが、正しい枯れオヤジの態度なのだそうである。

 カレセン女子が独断で選んだおすすめの枯れオヤジは、ジャーナリストの有田芳生さんの他に次の6人を選んでいました。

女性はなぜ枯れオヤジにひかれるのか。

あるコラムニストは「知識豊富で包容力もある。背中から『人生いろいろあった』的な哀愁が漂っているところもいい。

『いろいろあった彼の最後の女になりたい』という、女性の願望というか、妄想かもしれません」と分析する。

「20〜30代の女性は、なにかと疲れている。

枯れている男性と一緒にいると、結婚しなければとか、

家族を作らなければというプレッシャーから離れられる。

盆栽に癒されるのと同じ心理」なのだそうです。

小生は、潜在的な枯れオヤジ願望ですが、

定義をみれば無理ですね…。

平成20年7月25日  高木晧次